見出し画像

Suffocating

反対側の電車に乗ってしまえば、
いつもと違う路線のバスに乗ってまえば、
“日常”は簡単に打破できるのに
そんな勇気も持ち合わせていない。

いつも通り人流に流され、
駅のホームからバスターミナル6番乗り場にいて
死んだ顔をつけてる人といつもと同じアナウンスに
嫌気がさす。

今更ながら、これまでは
日常から引き離してくれる非日常的な空間が
この世界を回していたんだなという印象。

ただ非日常に、生きる価値を見いだしている。

友達とインスタ映えのお店に行く
崇拝してるアーティストのライブに行く

人によっては日常で人によっては非日常で
それは今、一概に非日常に変わった。

そんな非日常で英気を養って
成り立っていたあの日々は
ウイルスひとつで変わってしまった。

世界は案外、
ひとつの事で180度も変わってしまうのだな。

そう感じたとしても、
反対側の電車に乗る勇気も
別路線のバスに乗る勇気も溢れてこない。

世界単位で考えたら自分なんて動物は小さいのに

息の詰まるような日々に、息を止めて潜んで
気づいた頃には苦しくなって溜息を漏らしてる。


外出の制限と比例するように
コミュニティも制限されて
学生の社会は学校でありクラス単位であると痛感する。

勉強の意義も相手の発言の本質も
考えてない人が多すぎる。

“生徒も生徒なら、教師も教師だな”
なんて笑いながら言うあいつは、
その生徒に含まれるようなろくでもない奴で

そんなことを言ってる自分も
ろくでもない奴な気がしてきて
思考を放棄したくなる毎日。

自分はお前と違うことを知らしめたいかのように
意見が教室を飛び交って

ひとつひとつ吟味しては
浅はかだななんて俯瞰してる自分を殴りたくなる。

これが正しいと、賢明な判断であると思えば思うほど、
自分と違う側の判断を排斥したくなるのは人間の性で

だから自分はこうやってブログに綴っているし、
ここまで読んだ君もそう思っているかもしれない
ここまで読んでいない人はそういうことだね。

そもそもそうじゃなければこの世には
愚痴も悪口も存在しないんじゃないか。

いつだって思考の数珠繋ぎで
1歩引いた気になって生きてる。

自分のそういうところが
いつまでたっても好きになれない。
ある意味、好きなのかもしれない。

どれだけ頭を働かせても何も変わらない現状
アイデアだけでは
何も起こらないことを突きつけられる。

もうその事実にすら目眩がする。

気がついたら1時間同じ曲を聴いていたらしい。

この記事が参加している募集

#最近の学び

181,589件

#振り返りnote

85,214件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?