見出し画像

生と死の狭間で-修士作品のはなし-

みなさんこんにちは。かどかわです。
寒暖差の激しい季節ですが、いかがお過ごしでしょうか。

私といえば、大学院の修了・修士作品の展示、加えて引越しを並行して進めているところで、感慨深さに浸る余裕もないままバタバタと過ごしています。
スピードアップしまくったテトリスを目をかっ開きながらこなしているみたいな焦燥感と緊張感。
毎日ヒリヒリしています。

さて。
いよいよ大学学部から院まで6年間在籍してきた女子美術大学も、今年の3月に卒業することとなりました。ついに。
兎にも角にもあっという間だったなあ。
入学当初は学部すら卒業出来るのかという不安でいっぱいでしたが、気づいたら学部を卒業し、大学院に進学して修了しようとしているので、6年前の私に教えてあげたら本当に心の底からびっくりすると思います。

今回は2/20(木)から3/1(日)までの期間、東京六本木にある国立新美術館で開催されている「第43回東京五美術大学 連合卒業・修了制作展」に展示させて頂いている作品について書きたいと思います。

※注:展覧会は新型コロナウイルスの影響により、2月28日(金)までの短縮会期に変更となりました。(追記:2020/2/27)


画像9

(通称:五美大展)

今回の修了制作で私は3枚組の絵画作品を制作しました。キャンバスにアクリル絵の具と色鉛筆で描いています。サイズも一枚あたり162×130cmと大型です。

画像9

画像12

                           《7:47 AM》2020
                   技法:アクリル,色鉛筆,キャンバス
                         サイズ:162×130cm

画像13

                           《2:37 AM》2020
                   技法:アクリル,色鉛筆,キャンバス
                         サイズ:162×130cm

画像14

                           《9:38 AM》2020
                   技法:アクリル,色鉛筆,キャンバス
                         サイズ:162×130cm

                            (©︎末正真礼生)

可能な限り会場で作品を前にしながら直接お話できる機会をつくりたいと思っていますが、お会い出来ない方、来られない方にも今回の作品についてお伝えできる形をとろうと思いnoteを書くことにしました。

見てから読むのと、読んでから見るのとでも、印象が少し変わる作品なのではないかなと思っています。
ご自分のタイミングで読んで頂ければ嬉しいです。

※大学学部時代の卒業制作についても当時noteを書いています。
お時間ありましたら併せてお読み下さい。

(全記事がひとまとめになっているマガジンはこちらです)

🔹私の制作の動機🔹

私はこれまでの6年間、自分の経験から得てきた死生観をもとに絵画やインスタレーション作品の制作をしてきました。
根底にあるのは「死は生の対極にあるのではなく、いつも誰しもの隣に存在しており、それがいつ訪れるのかは誰にも分からない」という経験則です。

今の私たちが生きている日本という国は戦後74年を迎え、医療や科学技術、経済が目覚ましい発展を遂げたことで、多くの人々が直接的で切迫した生命の危機に瀕する機会は限りなく少なくなっていると思います。平均寿命もぐんぐん伸びて、「人生100年時代の到来」と謳われるまでになりました。

その一方で、近年若年層の死因の第1位が自殺であることが問題視されている状況が続いていることに私は着目しています。
厚生労働省がweb上で公開している「自殺対策白書平成30年版」によると、

「我が国における若い世代の自殺は深刻な状況にあり、15〜39歳の各年代の死因の第1位は自殺となっている。こうした状況は国際的に見ても深刻であり、15〜34歳の若い世代で死因の第1位が自殺となっているのは先進国では日本のみで、その死亡率も他の国に比べて高いものとなっている。」


とあります。
ちなみに若年層における死因の第2位、第3位は「不慮の事故」「悪性新生物(がんや肉腫)」と続きます。

スクリーンショット 2020-02-21 20.00.33

スクリーンショット 2020-02-21 20.01.09

(引用:厚生労働省 自殺対策白書平成30年度版)

どうしてこのような状況が生まれているのか、というのは一口には言えないと思います。
自殺に至った人々の原因や動機もそれぞれで、それをひとまとめに「こうだ」とは言い切れない。
現代の日本社会が抱える様々な問題が複合的に絡み合っている結果なのかもしれません。

画像5

でも私がこの状況に注目しているのは、10代の頃から自分自身も生き辛さを強く感じたり、
悩みをインターネットなどで吐露する中で、理由は違えど同じように深く悩む友人たちに出会ったり、
何人もの友人が自殺未遂で死にかけたり、自殺を完遂した人もいる、
という実体験に起因しています。

こうした自分の経験と、統計と、社会の状況とを照らし合わせた時に、現代における死への意識の在り方は多様化しているのではないかと考えるようになりました。

ひとつ思うのは、命の強度に対する過信が生まれているのではないか、ということです。

こう言ってしまうのは少し暴力的にも感じられてしまうかもしれません。
でも、平均寿命が80年まで延びて、先述したように戦争もなく、事故や事件や災害に巻き込まれたり、病気にでもならない限り「死なない」いま、死がものすごく遠くにあるように感じるのではないでしょうか。
死が70年や80年先にあるように感じられる今、それは途方もなく先のことのように感じられるのではないでしょうか。

生きている「今」が苦しい状況にある人にとっては、それは地獄のように感じるのかもしれません。
この先も延々、苦しく辛い状況が続くのかと思ったら、それらから解放される手段として死を選ぶというのは想像に難くありません。

私はかつて、命の強度を過信していました。
だけれど私自身、自らの過失で臨死体験をしたり、友人を交通事故や自殺で亡くしたことで大きく考え方が変わりました。

どの命も絶対長く生きられる保証などどこにもなく、そこに存在しているだけで奇跡の連続なのだと。

画像5

ラテン語に「Memento mori(死を忘れる勿れ)」という言葉があります。
いつか必ず、しかしいつ訪れるとも分からない死について考えることは、「生きる」ことについていっそう真摯に考えることが出来ると私は考えています。
そして、よりそのことに自覚的であるために、刹那的で儚い命の在り様を、私は表現に落とし込みたいと考えるようになり、今まで制作を続けてきたのです。

🔹修士作品のはなし🔹

当たり前のように享受しているこのいのちの姿を、より明確に捉えようとした時、私は日々の生活の中の何気ない瞬間、そして自分を取り巻く人々ー家族や友人や恋人ーのことを描き留めるようになりました。
それは個人的なメッセージでもあり、記録でもあり、他者と共有することのできるイメージであると考えています。

morelight展示風景

(大学4年次の卒業制作)

今回修士作品を制作するにあたり、私はパートナーをモデルにすることにしました。
彼と私は付き合って3年が経ちます。
彼は、これまで数々の場面で私のことを支えてくれました。また私の死生観や制作に、大きく新たな展開をもたらしてくれた人物でもあります。
今回の修了制作は、今までの制作の中でひとつの節目であり、このタイミングで彼をモチーフに描きたいと思いました。

彼は会社員で、朝から晩まで、1日の殆どを会社で過ごしています。傍から見ているとハードワーカーだと感じます。
そしてこれまで一緒に過ごしてきた中で、私はしばしば彼が眠っているところに遭遇してきました。本人曰く「眠ることが好き」なのだそうですが、寝息が聞こえないほど静かに、泥のように眠りこけている姿を見ていると、私は時々彼が死んでいるのではないかと不安になります。日頃の仕事ぶりだったり、近頃ニュースでもよく取り上げられているせいか「過労死」の3文字が頭をよぎりつつ、彼の顔に手や耳を近づけて呼吸しているのを確かめるとほっとします。
この行為を繰り返すうち、人が眠っている状態とは生きながらにして最も死に近い状態なのではないかと考えるようになりました。

画像7

                          《9:38 AM》2020
                   技法:アクリル,色鉛筆,キャンバス
                         サイズ:162×130cm

私は16歳の時に、自宅で同居していた父方の祖母が息を引き取る瞬間に立ち会ったことがあります。

当時、祖母は末期癌を患っており、高齢であることもあって手術が出来ず、自宅で緩和ケアをする方針となりました。
身体が思うように動かせなくなり、寝たきりになって1ヶ月ほどが経った頃、その時はやってきました。
危篤状態に陥り、在宅介護を担当して下さっていた医師から「もう家族を呼んだ方がいい、2〜3日が山場だ」と言われ、父は兄姉たちを関西から愛知の自宅へと呼び寄せました。従兄弟たちも何人か来てくれたと記憶しています。

危篤状態となってから3日後、祖母は私たち親族に見守れながら息を引き取りました。
医師が家にやってきて、死亡判定を行い「○時○分、ご臨終です。」と皆の前で告げました。

「眠るように死んだ」とか「永眠」という言葉がありますが、まさに死亡直後の祖母はまだ少し温かく、眠っていた時と何ら変わりない姿でベッドの上に横たわっていました。

画像8

                          《2:37 AM》2020
                   技法:アクリル,色鉛筆,キャンバス
                         サイズ:162×130cm


死亡判定は

1.心臓拍動停止
2.呼吸停止
3.脳機能の停止(瞳孔対光反射の消失)

の「死の3徴候」を以って判定されるといいます。
改めて見てみると、このたった3つの項目分しか生きていることと死ぬことは違わないのだということに驚きます。

私が彼の寝顔を見つめる時、彼の命とその先にある死を見つめているような気がします。いつか来たるべき日が訪れた時、私は彼の姿を同じように描くことがあるのでしょうか。

彼の寝顔を描くことは、彼の命や魂を慈しむと同時に、いつか必ずやってくる別れに対してーそれが死別となるのか離別となるのかは、今は知る由もありませんがーどこか準備をしているのかもしれません。

🔹さいごに🔹

これが、今回修士作品を制作するにあたり私が考えてきたことたちです。
また形を変えて何か発信していくこともあるかもしれないし、展示されている絵を前にして対話をするとしたらまた別の言葉が生まれてくるかもしれません。

今回この作品は、国立新美術館女子美アートミュージアムで展示させて頂きます。(注:展覧会の開催について会期短縮と中止が決定致しました。追記をご覧ください。)
ぜひ、実物をご覧になってください。そして何か感じるものがあったとしたら、ぜひ感想を教えてください。
多くの人に作品を見てもらえること、そしてお話出来るのを楽しみにしています。

最後までお読み頂きありがとうございました。

追記:新型コロナウイルスへの感染予防対策として、国立新美術館での展覧会は2020年2月28日18時をもって終了、女子美アートミュージアムでの展覧会は中止となりました。有事の中ご足労頂いた皆様、ありがとうございました。予定を立てていたのにご覧になれなかった皆様、大変申し訳ありません。また別の機会に作品を実際にご覧頂けるよう、今後とも精進して参ります。温かく見守って頂ければ幸いです。(追記日:2020年2月29日)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

画像10

🔹東京五美術大学連合卒業・修了制作展🔹
会場:
国立新美術館(東京メトロ千代田線、乃木坂駅直通) 
1階展示室1C 女子美術大学ブース
日時:2020年2月20日(木)〜3月1日(日)
10:00-18:00 ※2/25休館、入場17:30まで※追記:本展は新型コロナウイルスの影響により、2/28(金)18時までの短縮会期となりました。あらかじめご了承ください。(追記日:2020/2/27)

画像11

🔹2019年度女子美術大学大学院博士前期課程修了制作作品展🔹
会場:女子美アートミュージアム(女子美術大学・相模原キャンパス併設)
日時:2020年3月8日(日)-3月12日(木)
10:00-17:00 ※入場16:30まで

🚫追記:女子美術アートミュージアム展覧会中止のお知らせ🚫

本展は、新型コロナウイルス感染予防対策のため、中止となりました。ご予定を立ててくださっていた方々には大変申し訳ありませんが、ご理解頂きますようお願い申し上げます。(追記日:2020年2月28日)

(公式ホームページによる発表)



頂いたサポートは、かどかわの制作活動(絵画制作、展示、リサーチ、レポート)に活用させて頂きます。 ありがとうございます。