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蛍光ペンの話

(もし今これをやったら、どうなっちゃうんだろう...........)

ふとそんなことが思い浮かんで、ドキドキしてしまうこと、あるだろうか?


授業中に大声出したらどうなるんだろう

全裸で街に繰り出したらどうなるんだろう



私は子ども時代、そんなことを考えることが、わりと多かった。


体育祭の学年リレーでいきなり逆走したら、周りにどんな目で見られるかな?

定期テストで、自分の名前書くとこにクラスの全然仲良くない奴の名前書いて提出したらやばそうだなー

Twitterで、一度だけ話したことある、挨拶するか迷う仲の人の全部のツイート(他人へのリプも含む)にいきなりいいねしまくったらどう思われるだろう

電車の中で、座ってる人の膝の上に何食わぬ顔で座ったらどうなっちゃうだろう

事務的なことで数年前LINE交換したっきりの人にいきなりYouTubeのおもしろ動画送って「見て〜!」とか言ったらめっちゃ引かれそう〜

そんなことを考えて、心の中で盛り上がる。


他の人にそのことを話してみることもあるけど、共感されたりされなかったりって感じだ。

だからこそ、共感されたときの喜びは大きい。


印象的だったのは高校のとき。文化祭のクラス演劇でキャストをやっていた友達にたまたまその話をしたら、

「めっちゃわかる。自分も文化祭当日に学校サボってディズニー行ってその様子をインスタライブにあげたらマジでどうなっちゃうんだろうって考えてドキドキしてた」

と言っていて、(そのシチュエーション最高〜!)と思った。




しかし、この一連の想像たちは、本当にあくまで想像でしかない。実際には絶対できやしないことばかりなのだ。

恥ずかしすぎるから、人に迷惑がかかるから、自分の人生が終わるから、めっちゃ怒られそうだから、など理由はさまざまだが、"できやしない"という枠から越えることはまずない。

それはそう。そういう絶対にできやしないことだからこそ、想像したときにドキドキするからだ。できることだったらそもそもあまりドキドキしないのだ。



しかし一度、そのできるとできないの狭間を目撃したことがある。


小学校のとき。たしか5年生くらいだっただろうか。ある日、"授業ノートにもっと色を使ったり、工夫して欲しい"という先生の思いから、クラス全員に同じ蛍光ペンの5本セットが配られた。

その日から私は授業中、その蛍光ペンを使うようになった。みんなも使っていた。


そしてそのころ私の隣の席には、たまたま席替えの運がよく、1番よく話す友達が座っていた。

実はその友達とは日常的に、この"やったらどうなっちゃうんだろう話"をして盛り上がることがよくあった。

合唱コンクールのピアノの伴奏で、本番に練習と全然違う曲無断で弾き始めたらやばくない?とか、

学校の催し物で、音楽系の部活が楽器を弾きながらマーチをしているのを見て、通せんぼしたい!などと話していた。



友達はその日、いきなりこんなことを言ってきた。


「この蛍光ペンの先をさ、思いっきり机に叩きつけてたら引っ込むかな?」


え?元に戻んなくなったらやばない?書けなくなって、もしバレたらめっちゃ怒られない?どう説明すんの?

そんな心配が沸いたが、よく考えたらたしかに、できやしないことはなかった。

リスクはあるけど、他の想像とは違ってこれは、できないこともないぞ..........


私は見守った。


そして友達は、ペンを持った腕を振り上げて、思いっきり机に叩きつけた。


ガンッ


という音が一瞬教室に響いた。叩きつけられたペン先をゆっくりと眺めると、めっちゃ引っ込んでいた。


ペンの本体の部分から、0.1㎜くらいしか出てなかった。


涙が出るほど笑ったが、「そのペン書けそう?」と訊くと、友達は引っ込んだペンでノートに試し書きをし始めた。


「垂直にしたらギリギリ書けるわ!」


そう、普通のペンは机に対して斜めでも書けるけど、引っ込んだペンは机に対して垂直にしないと書けなかった。

そしてそのせいでノートの文字が全然見えないから、ラインがめちゃくちゃ引きづらいのだ。


やはり、やったらどうなっちゃんだろうと思うことを実際にやると、このような代償はつきものだった。

そして何より、まだ年齢的に真面目で、羽目を外すこともあまり知らない小学生にとって、学校で配られて今後も使っていくものを形状が変わるほど叩きつける、それも授業中に、というのは、今とは比べ物にならないくらいの勇気がいることだったに違いない。

それでも、この"やったらどうなっちゃうんだろう"と想像したときに生まれる好奇心やドキドキは、何にも変えられないほど魅力的なのだ。


おわり


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