幼少期、物が捨てられなくなった話

この話は何年も忘れていたけど、今日たまたま思い出した出来事だ。せっかくなのでここに書いておこうと思う。

おそらく5〜6歳、幼稚園のときのことなのだが、私は折り紙が大好きだった。毎日のように折り紙を折っていた。するとある日母親がこんなようなことを言ってきた。

「作った折り紙、毎日増えていくと流石に置き場に困るよね。でもどれもあなたが作った物だと思うとどうしても捨てられない....Aちゃんのお母さんはすぐに捨てるって言ってて潔いなと思ったけど、それはやっぱり真似できないんだよね」

この言葉、今から思えばよくある、ごくごく普通の悩みなのだが、当時の私にとっては大きなターニングポイントとなる。

Aちゃんが作った折り紙がすぐに捨てられているということが、めちゃくちゃ衝撃だったのだ。

それは、せっかく作ったAちゃんが可哀想という気持ちではない。作られた折り紙が可哀想!と思ったのだ。

なぜなら、当時の私にはそもそも作った折り紙を"捨てる"という発想がまずなかった。動物の形をしているものが多く、生きている感じがしたのも大きな原因だろう。作った折り紙って、捨てられちゃうんだ、、、いや、まてよ。たしかにどんどん増えたら、いずれ絶対に捨てなければならない。別れが訪れる、、、作りながら、そんなこと考えたことがなかった。ショックだった。

なぜか胸が信じられないくらい苦しくなったのだ。子供は不思議だ。

その日から、私は"捨てる"という行為に非常に敏感になっていった。そしてしまいに、鼻をかんだティッシュ1枚も簡単には捨てられなくなってしまった。

もちろん、捨てないわけにはいかない。だから私はゴミ箱の前に立って毎回ティッシュに囁くのだ。「ありがとう。さようなら。」そしてこのティッシュと出会うことはもう2度とない。その事実を1分間ほど噛み締めて、泣きながらそれを捨てた。酷い時は捨てたティッシュをもう一回拾ってまた葛藤することもあった。

異常だった。

今になって調べたらものを捨てられなくなる病気は存在するらしい。ためこみ症と言うらしく、ものへの執着心が非常に大きくて、ものが捨てられなくなったり異常に収集してしまうのだ(1分間ほどの儀式を行えばものを捨てられていて、また収集癖はまったくなかった私はかなりマシな方だったのかもしれない)。

また、子どもだったから、掃除などの家事はほとんど親がやっていたので、私がこのような状態になっていることはまったくバレなかったし、私も隠していた。私が捨てるのはせいぜいティッシュ、トイレットペーパー、紙工作で出たゴミくらいだから、それは容易だった。

しかし、親に打ち明けられなかったことが、このあと大きな悲劇を生む。

私はこの症状を早く誰かに言えばよかったのだけど恥ずかしくて誰にも言えず、どんどんストレスが溜まっていた。ストレスが溜まることで余計にものを捨てるのが苦しくなって悪化する。

ある日、母親が買い物に出かけた直後、私は自分のティッシュじゃなくて猫が残したごはんがゴミ箱に捨てられているのを発見し、また症状が出た。

もったいない、、かわいそう、、どうしよう、、、、次の瞬間私はそのキャットフードを口の中に入れていた。

!!、まずい!!!

でも吐き出してはいけない。そんな義務感に駆られながら私の頭は完全にパニック状態になっていた。どうしようどうしよう、、、、吐き出せばいいなんて、思いつかなかった。

ここで私の今までのストレスがピーク状態となった。こんなことはもうやめたい!もう苦しい!誰か助けて!そんな気持ちで私はキャットフードを口に入れたまま玄関を飛び出し、数10秒前に家を出た母親の姿を追いかけていた。

母親を見つけた瞬間、おかあさーーーん!!!と泣きながら後ろから抱きついた。母親は当然、びっくりしていた。

さっきまでなんともなかった娘が号泣しているし、追いかけてくることなんてなかったし、なんか食べてるし、しかも変な匂いがするし。

「くさ、、え、ちょっと何食べてるの?」「猫のごはん、、」「え???もしかしてさっき捨てたやつ???」「うん、、」「なんで捨てたやつ食べるの??」「なんかもったいなくて、、1度食べてみたかったし」「猫が残したもの食べられるわけないでしょ、おうち戻って出そう」

2人で家に戻り、私はようやくキャットフードを出した。

私も落ち着ち、再び母親が出かけようとすると、私はまた怖くなり、行かないで!と言った。

すると母親は「苦しくなったり、私がいなくて寂しいならテレビを見たらいいよ。テレビ見て楽しんでる間にすぐに帰ってくるから、心配いらないよ」と優しくアドバイスをくれた。

私も(そうじゃん、、テレビ見ればいいんじゃん、、)と思った。

その日から私の症状は嘘のように治った(代わりにテレビ依存症になった)。

当然、キャットフードを口に入れて号泣しながら屋外をガンダするなんて事件も、2度と起こらなかった。

それでも私はティッシュを捨てられなくなっていたことは母親や他の人には一切言わなかった。

何年か前に「昔あんたが、キャットフードを口に入れたまま走って追いかけてきた時はなにかと思ったわ」と言われたことはあったけど、そのときも言わなかった。

そこから考えるに、細かいことは打ち明けなくても、ただ泣いているときに寄り添ってもらえれば楽になることっていっぱいあるんだな〜と今は思う。

あと、あのときみたいに苦しくなるのは嫌だけど、捨てる前にものに感謝するのは素晴らしいことだから、やろうかな〜と思う。

あと、ものをモノって書かなきゃいけない場面あるけど、なんか書きたくないな〜と思う。

おわり

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