天てれのエンディング曲の歌詞

小学生時代、狂ったようにテレビを見ていた。

毎日毎日。

幼稚園のころは親にプリキュアの代わりに「リチャードホール」という深夜のお笑い番組の録画を見させられていたが、小学生時代はそういったことはなく、普通に教育テレビを見ていた。

なぜプリキュアの代わりにリチャードホールの録画を見せていたのかこないだ親に聞いたところ、「面白いから」と言っていた。

小学校時代に話を戻す。

当時の教育テレビでは4時から7時までぶっ通しで子供向けの番組をやっていた。

私の中で特にお気に入りだったのは、その流れのトリを務める天才テレビくんだった。

その日も、楽しく天てれを見て、もう終わっちゃうのか〜という気持ちでエンディング曲を迎えた。

すると昨日までのエンディング曲が変わり、新しいエンディング曲になっていた。

普通に聴いていると、その中の歌詞の一節が妙に引っかかった。

「明日の今頃はどこで何しているんだろう♪」

細かくは覚えてないが、こんな感じだったと思う。

私は心の中でツッコんだ。

(明日もこのテレビの前でこの歌聴くだけだろ!

そしてまた、(明日もこのテレビの前でこの歌聴くだけだろ!)と同じツッコみすることになるだろ!

その次の日も!

またその次の日も!!

そんな悲しい状況、作るなよ!!!)

と。

この歳になっても、この気持ちは変わらない。

いや、何回考えてもやっぱりおかしくない?この状況。

不定期に流れる曲ならいいんだけど、毎日同じ時間帯にやる曲に採用する歌詞として1番間違えてない?

しかもこの歌詞の部分の映像では、天てれに出ている子どもたちが山の中を駆け回り冒険しているような映像だった。

私は思った。

(君たち出演者はそうやって冒険できるのかもしれないけどこっちはテレビでそれを明日も明後日も見続けることしかできないってことを言いたいの?もしかしてこれってマウント?)

当時はマウントという言葉は知らなかったが、本当にこのようなことを思った。

テレビを見るしかやることがない子どもたちへのマウントだろ!って。確信した。

今考えても、これは絶対にマウントだったと思うし、わざとだと思う。

だって、わかるもん普通に。視聴者がこれ聴いたら(明日も同じことしてるわ)ってなるの絶対制作段階で確実に気付くはずだもん。

それなのにやめなかったのは絶対にわざとだと思うね私は。

それか子どもは気づかないとでも思ったか?

あんまり子ども舐めるなよ。

そんなんだから小4くらいで「まだ天てれ見てるの?俺ピラメキーノだけど?」ってみんなが言い出すんだよ!

あの流れほんと謎だったな〜

おわり













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