嵐25周年をハワイで祝うという狂ったオタ活の顛末
日本もやっと秋の気配が訪れ、束の間の心地よい季節に身を委ねている今日この頃。
せっかく涼しくなったので、私の暑苦しいオタク話を聞いてほしい。
来る 2024年9月15日、私はハワイにいた。
ホテルの部屋にあるTVをYouTubeに繋げて「untitled」を流しているうちに日付が回っていたらしい。
嵐結成25周年、その記念の日をなぜハワイで過ごそうと思ったのか、あまりにも狂ったオタ活の全容をお話ししよう。
ことの発端は、海外旅行好きであり同じく嵐ファンである友人が「ハワイは思い入れが強すぎてknu(私)としか行けない」と言い放ったことである。
もとより、この子は「11/3(嵐CDデビュー日)めっちゃソワソワするからホテルのビュッフェ行かん?」とか言ってくるタイプである。
嵐活休が決まってから、私たち2人はハワイに行きそびれていたことに気付いた。
だがしかし嵐活休が決まった時は2人とも学生であり、大人になったらハワイで聖地巡礼したいねみたいな感じだったのに、私たちが大人になる頃には嵐は活動休止に突入してしまうことが決定したのだ。
当時のLINEでも「2020年以降になったら行こう」とか言っていたが、コロナ禍もコロナ禍だったり、そもそも私が「嵐いないし活動すらしてないのに行っても寂しいだけじゃない?絶対嫌」と言っていたりしてすぐ実行されることはなかった。お前、5年後の結成記念日ハワイにいるぜ。
話が本格化し出したのは2年前くらい。私が社会人になって病んで休職した時だった。友人は院進したためまだ学生であり、私のことをすごく心配してくれた。
その時に「ハワイに行くまでは生きよう」と言われたのだ。
(そんなに重い意味はありません心配ご無用)
お互い社会人になり、ハワイに行く日はどうせなら25周年にぶつけよう、ということになった。
くだらない週刊誌が復活があるかもとかぬかしていたが、そもそもお潤の大河もあるし、その後の舞台のスケジュールを見る限り9/15も11/3も嵐がどこかで揃うことができなそうなのは明白だった。というかお潤があんなに忙しくしている中で、どうやってセトリ組むんだよ、という話だ。お潤がいなければ嵐はライブができない。
じゃあもう胸張って亡霊ムーブをかまそうじゃないか、と私たちはいそいそと準備を始めたのだ。
そして9/13の夜、飛行機に乗り込み、ハワイに着くと時差の関係で9/13の朝になっていた。
海外旅行自体が初めての私は、海外旅行に慣れている友人におんぶに抱っこ状態。
初日は飛行機疲れがあったり時差ボケで眠くなったりするからホテル周りの下見でいいんじゃないかな、とのこと。意外と周りにはいろんなものがあって、初日からお土産候補を見つけた。特段9/15以外はあまり嵐関係のところを巡る予定はなく、行きたい場所も大体は決まっていたので、その日はご飯を買って夕方にはホテルに戻った。
そんな中、私は思い出してしまった。日本時間9/14に確か櫻井翔の新写真が発売されるんだった、と。
これが因縁(?)のsemiformalである。
なにげなくファミクラストア(私は一生「ジャ○ショ」と呼ぶ)のページを開くと、次から次へと展開される"良すぎる"写真たち。
呻き声を上げながらスマホと睨めっこしている私、その後YouTube shortでメイキングを見てしまい完全にノックアウト。友人に笑われていました。だってしゃあなくね、あれは。な〜にがsemiformalだよ。記念日前にオタクを殺すな。
翌日ハワイ現地時間9/14、もう日本では9/15らしい。
25周年記念についての情報がわんさか流れる。文章を一つも理解できないまま、私たちは9/14の行動を続行した。(そう、これがパルプンテ)
この日はアウラニディズニーリゾートに行き、朝ごはんを食べた。量がはちゃめちゃに多いし、ワイキキから遠すぎたのでこれだけでもまあまな旅となる。
その後、嵐が15周年の時にVS嵐特別編で訪れたアロハシャツ屋さんでお買い物をした。そこで香港から1人でハワイに来られた嵐ファンの方とお会いする。大野さんが着たアロハシャツは売っていたのでそれを購入され、「うちらクレイジーなファンよね」と笑って別れた。
そのあと、同じくVS嵐特別編で訪れていた、もともとARASHI BLASTのフラッグがたくさんあった通りに行って、嵐と同じ構図で写真を撮る…などなどまあまあ盛りだくさん。
この辺でTwitterに写真を投稿したところ、いろんな方から反応をいただいた。
嵐のいないハワイに、しかも25周年記念に行っているなんてとんだ狂人だと笑ってくれよと思っていたが、みんな感動してくれていたみたい。
そして来る現地時間9/15
トロリーに乗ってダイヤモンドヘッドまで行ってなぜか最初の展望台まで登り、ここで一旦HPが0になったため少し休憩。
デューク・カモナハク像で翔さんと同じポーズで撮っていたらまた昨日の香港のお姉さまに出会って爆笑。そしてモアナサーフライダーで「ここでめっちゃ足に銀テープ絡まってたな…」みたいなことを思い出した。
夕方にはカカアコウォーターフロントパークの夕日を見ながら嵐の曲を聴く手筈であったので、トロリーに乗りアラモアナセンターで腹ごしらえ。その後、日没に備えてバスでカカアコウォーターフロントパークへ。
カカアコウォーターフロントパークは15周年の時にMステでマイガールを披露した場所。
サンセットを見るのはマストだと思っていたので晴れてよかった。
正確な場所を探していると同世代くらいの同担の女の子を発見。「同担でも大丈夫ですか?」と聞かれたけど、「そんなの今更ないですよ〜」と答えた。
というか同世代の同担なんて貴重すぎる。それこそ15周年の頃にはたくさんいたはずなのに、20周年の頃には私の親と同世代の方ばかりになっていて、逆の若いだけで目を引いたのか毎公演必ず目があったのを思い出す。SNSも自分の親と同い年くらいだろうな、という方の方が目立つし。
嵐の活動休止と共に社会人になった同世代の皆さん、どこにいますか?私はあなたたちとお話ししたいです。
ま、そんなことはともかく、その同担の女の子が監督してくれてMステと同じような画角で写真を撮ることができた。もう今の時代、頼るべきは同世代の同担である。
そして夕焼けを見ながら
A・RA・SHI→マイガール→感謝カンゲキ雨嵐→5×10→Turning Up
と波音混じりの音楽を聴いて、月明かりの中その場を後にした。
と、私のハワイ旅はこのような感じになる。
だが、ここから起こることもなかなかであった。
かなり充実していたな、と振り返っていたところに「櫻井翔音声生配信」のお知らせが届く。いや届いていたんだけど、アンケートとかそういうのがあるというのは帰国してから気が付いた。そう、私は情報過多で何が何だかパルプンテであったのでな〜んにも気付いていなかったのである。
私が気付いたのは設問4が追加されたよ、というメールからだったが、金曜日まで解答期間があるとのことだったので、仕事の昼休みにポチポチとお便りの文を打ちはじめることにした。
ハワイ帰国後、微熱と猛烈な喉の痛みに襲われ、完全に風邪をひいた状態だったのだが、音声生配信を楽しみに今週は乗り切ろうと背筋を伸ばす。
それで、あの「ハワイで25周年祝いました」というドン引きお便りが出来上がった。
そして音声生配信の日、別に読まれるとか読まれないとかあんまり気にしていなかったが、文面のパンチ的にもこれで目につかなかったら一生何も読まれないぜというくらいのものだったので、少し期待しながら配信を聴く。
いかにも櫻井翔らしい時の流れ方、本人がなで肩の角度をやけに気に入ってるのを微笑ましく思いながら時は過ぎていった。
配信が進み、画面には「嵐25周年」という文字が浮かぶ。お便りを紹介する雰囲気になったところで翔さんが一言
「この方すごいよなあ」
と言った。
もしかして、私か?
私以上に嵐25周年に対する反応でヤバい文章を書いた人はいないだろうよ、と思っていたところにラジオネームが呼ばれる。
「かなすけさん」
俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ〜!!!!!
自分が書いた文章を自担が読み上げているという何とも奇怪な体験と、おそらくどこかのタイミングで目には入るだろうと分かっていて送ったはずなのに自分の亡霊オタ活がご本人に伝わっていることに手が震える。
私も文章を書くのが好きな方なので、ああいう文章は句読点の位置とか気にする性格なんだけど、櫻井翔さん私が意図した行間と読み方のまま音読なさるものだから拍手してしまった。以心伝心じゃん。これは運命的なkoi-wazuraiじゃん。
オタク御用達の3点リーダーの意図も汲み取っていただけて何より。
語彙力が無さすぎて頼ることになった「何が何だかパルプンテ」にも反応してもらえてびっくり。いやそっちこそ、よく覚えてますね。私はあなたのファンだからさ、変なことばっかり覚えてるんだよ。
私のハワイ関連のツイートに「嵐に届いたらいいのにな〜」みたいな引用をしてくださった方がいたんだが、私は自分で自担の郵便箱にねじ込み、結果届いたというか、大勢の同担の前で読まれた。すごくない?どういう顔したらいいん?
その後、翔さんは「25年前のハワイはね〜」とお話しされ始めたが、申し訳ない。25年前の9/15、私はまだ0歳だ。私がリアルタイムで感じることができなかった当時のことを聞いている間も手は震え続けていた。
今の私よりもかなり歳下の自担が、まだ迷いもある中、ハワイで大々的にデビューしたというそのスケールは、ハワイに行ったくらいで想像できるものではない。
お話を通して、お便りが読まれたことへの震えの中、よくアイドルでいつづけてくれているなあ、といういつも通りの感想に帰着する。どこに置かれたってこの世でいちばん綺麗に咲くことのできる櫻井翔だからこそ、いつ摘まれるかもわからないアイドルという土壌で笑ってくれていることの奇跡を改めて感じた。
インスタの質問箱とかもそうだけど、数打ちゃ当たる戦法でいっぱいお便り送って読まれたいっていうタイプではなく1通しか送ってないんだけど、込めた想いが伝わったんだろうか。いや、ただただ異質だったんだろうな私のお便りが。すまんな。
こうして、思いつきで半分勢いのまま行われた、亡霊オタクによる狂ったオタ活inハワイ。
無事、自担に伝わってしまい(自分で伝えた)、いちばん綺麗な形で締めくくられることになった。
25年前だけでなく、10年前にも嵐がハワイを訪れたこと。
友人がハワイに行こうと言ってくれたこと。
嵐が解散ではなく休止という選択肢をし、周年の概念が残っていること。
私と友人が今日まで元気に生きていたこと。
何事もなくハワイ旅行が円滑に進んだこと。
櫻井翔さんが音声生配信という企画を不定期ながら開催してくれること。
とかいろんなことが重なって、このような顛末となった。
コンサートで持つ名前団扇くらいの感覚で郵便箱に投函したお便り。紹介されただけなのに、自分の作った団扇を本人がステージ上で持って歩いてる感覚?に近い体験をし、非常に何が何だかパルプンテだ。というかこの顛末の全てがパルプンテである。
ただ、このパルプンテな中でも、いろんな人に感謝申し上げたい気持ちだけは確実にある。
嵐の皆さん、櫻井翔さん、友人、ハワイで出会った嵐ファンの皆さん…ていうか皆々様。
ありがとうございます。これからも。
中学生とか高校生の頃、結成日とかデビュー日にはきっしょいポエムみたいなツイートを垂れ流していたのだが、
社会人になった今、ハワイに行った挙句、自担の音声生配信にお便りを送って読み上げられ、5,000字近いnoteに気持ちを綴るという普通にやばい人になってしまった。
これでよかったんだろうか私は…と思いながら、自分の中にある「オタクとして叶ったらいいなリスト」の「自担に自分の文章が読まれる」にチェックをつけた。まだチェックが増えることに感動しながら。
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