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小説を書いているとき、楽しいか苦しいか(回答結果)

先日、透明文芸部のマガジンに以下の記事を追加させていただきました。

表題の問いに対し、丁寧で深いコメントをいただきました。本当にありがとうございました。この記事ではその結果を書きたいなと思います。

小説を書いているとき、楽しいか苦しいか

※「小説を書くこと」ではなく「小説を書いているとき、楽しいか苦しいか」に変えて質問しました。

楽しいだけ、苦しいだけ、という方はあまりおられず、楽しいときもあれば苦しいときもある、という意見が多数でした。ちなみに楽しいとき、苦しいときはどういうときかというと

楽しいとき
・「楽しい」にさまざまな苦しみや悩みが包摂されていて、「楽しい」という気持ちが土台あるいは表面を覆っている
→苦しいときがあっても、「楽しい」という動機からはじまり「楽しい」に着地し、それが動機になり……ということでしょうか。そのサイクルにのれば末永く創作を続けていけますね。とても参考になりました。
・「苦しいことなんてあったかな?」というレベルで楽しい

苦しいとき
・アイデアが思い浮かばなかったり、あるいはもう少し練り込んだほうがいいと思ってしまうとき
・筆が進まないとき

上記では「楽しいとき」「苦しいとき」に分けましたが、楽しい苦しいを分けるのはそういう「シーン」だけではないということが分かりました。

例えば、亀山さまからは「小説を書くことは楽しい」とした上で、以下のコメントをいただきました。

執筆より歴の長い演劇はずっと苦しいのに続けていたんですよね。
演劇はお金と時間と心労の三重苦だとか、この公演が終わったらやめてやるとか言いながら終演後の達成感にひたっているうちに中毒になりました。

自分の中で「小説を書くこと」がどのような位置づけかによって変わってくるということですね。普段Twitterやnoteでは「書くこと」を第一に置いている方と関わっているのでこの意見は目から鱗でした。「楽しいだけ」の位置づけのものを持ってみるのもいいなと思いました。

また丹宗さまからは以下のコメントをいただきました。

純文学は苦しいです、エンタメは楽しいです。
向き不向きの問題かなと思うんですが、純文学は気を配らないといけないことが多すぎてキャパが足りてないのかなと(略)。エンタメは構成ができてしまえば会話がテンポを作ってくれるので、ノリと勢いですらすらいけます。

書くジャンルによって楽しいか苦しいかが変わるということですね。私はエンタメしか書いていないので、純文学とエンタメを書くときの違いが分かり勉強になりました。

書いている途中で面白くないと感じたときはどうするか

こちらについては様々な意見をいただきました。

・完結させたい
・短編は最後まで書ききるが、連載はストップする場合もある
・自分が書いてて「面白いかどうか」疑問に思うならやめない
・誰かに聞くのがベスト
・面白いかどうかは、書いてて悩んだことがない。つまらないと思ってしまったら、そのまま続きが書けなくなる。

また石川さまからは以下のような意見をいただきました。

寝かせている物語はたくさんあります。タイトルだけ決まっている作品も多数あります。書かれる物語はどれも面白いものだと思っていて、それを光らせるための技術や時間を自分が持てるかどうかだと考えています。

すっぱりやめるのではなく、寝かせてみる。ということですね。

完結させるか、やめるかの二択ではなく、インプットしたものや自分の経験が物語とつながるときが来るまでストックしておく。その決断をする勇気も必要だなと思いました。

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今回は記事に対しコメントをいただきまして、ありがとうございました。多くの気づきがあったのはもちろん、みなさん色んな思いで小説を書かれているんだなと、その事実が書く手を進ませてくれました。おかげで短編が無事完成しました。

また小説を書くことについて意見を伺いたいことがありましたら記事を書こうと思います。そのときはどうぞよろしくお願いいたします。

読んでいただきありがとうございました。サポートしてくださると本づくりが一歩進みます。