子供時代の親との記憶(トラウマ)

こんにちは。ユタです。

今回、はじめてnoteに言葉を綴ってみようと思います。

というのも、最近、

佐々木康治さんという心理カウンセラーの方のYouTube動画を見ていて、どうも自分は「愛着障害」とか「AC(アダルトチルドレン)」に該当するんだなって気付きました。

それらを癒すためにnoteに書き起こすのがいいんじゃない!?と思った次第です。

簡単にAC(アダルトチルドレン)について


僕はいつもどこか生きづらさを感じていて、

自分の生きづらさはどこからくるのだろう、どうしたらもっとラクに生きていけるのだろうと、日々探しているのだけど、

この愛着障害とかACは、僕の生きづらさの根本原因では!?って、少しばかり希望を感じてます。

詳しくは佐々木さんのYouTubeを見て欲しいのだが、

愛着障害、ACは、過去の養育環境に大きく影響を受けていて、

改善していくには、過去の記憶(トラウマ)を癒すことが必要みたいです。

子供の頃、押さえ込んで言えなかった感情を、今の自分が何度も言ってあげることで、

徐々に過去の記憶(トラウマ)が少しずつ解消されていくよ

ってことだと僕は認識しました。(あってるかな…?)


だから、生きづらさを解消させる第1歩として、思い出せる限り、過去の親との記憶(トラウマ)と、その時の感情をここに綴ってみます。

きっと僕より辛い経験をしてきたり、今辛い思いをしてる人も沢山いると思います。

そんな人達に、「あなたごときが何を」と思われるかもしれない。って考えてしまう僕もいるし、

全然まとまりのない文章で、誰も読んでくれる人がいないかもしれないし、

普段から自分の感情を表に出すのに恐怖心があるから、今とっても怖いし、

でもどうせ書き出すなら、誰かと共に生きづらさを解消できたら嬉しいし、

なので、拙い文章かもしれないけれど、どうかお手柔らかに、よろしくお願いします。


父親との記憶(トラウマ)


小学生の時、週5でサッカークラブに通っていた。

練習や試合の後、必ずと言っていいほど送迎担当の父親から、帰りの車の中で罵声を浴びた。

家の駐車場についてからも、車の中でただただ罵声を浴びていた。

長い時は2時間とかあったかな、平均でも1時間ぐらいはあった気がする。

何を怒られていたのかはよく分からない。

次第にサッカーへ行くのが辛くなる。

練習後、試合後、また怒鳴られるから。

それでもサッカー続けて欲しいという親の気を察してか、中学生になっても、勧められるがままにクラブチームに所属した。

その時にはもうサッカーは楽しくなかったな。

遊び盛りのチームメイトは適度に練習をサボる中、サボることなく真面目に練習に参加する僕はそれなりに試合にも出た。

出たくなかった。

中学生になり父親が見に来ることはだいぶ減ったけれど、怒鳴られる恐怖に常に怯えながらサッカーをしていたのだと思う。

練習も恐怖心は常にあったけど、試合はもっと怖かった。

怯えながらやるサッカーは全く良いプレイができないみたいで、

僕は練習と試合で同じようにやってるつもりなのに、試合だと全くダメみたい。

試合に出ると監督から罵声を浴びせられ、出場後すぐに交代させられることも何度もあった。

僕の所属していたクラブチームでは、年初めに「初蹴り」というお楽しみ試合をする。

その日はクラブチーム内で、ランダムに3チームほどに振り分けられ、戦術とか勝ち負けとか一切忘れて、ただただサッカーを楽しむ。

僕はその日、とても活き活きサッカーをしていたみたいで、
監督から「今日みたいなプレイをいつもやったらいいのに」って言われた。

その時は笑いながら「がんばります」とでも返したのだろうけれど、

それは無理だ。

いつもは恐怖心にかられ、怯えながらサッカーをしてるから活き活きできるわけないよ。

僕は少しでも早くこのサッカーから離れたくて、推薦で勉強なしで高校受験を通過したにも関わらず、高校受験を理由にチームから一抜けし、合格後にもチームには戻らなかった。

僕はただただ楽しくサッカーがしたかっただけなんだよな。

中学生時代の監督はともかく、小学生時代、父にはサッカーをする僕をただただ認めてほしかったな。

勝ち負けとか、上手い下手とか、チームに迷惑かけた貢献したとかは、監督だけで十分だから、

父親には純粋にサッカーを楽しんでる僕を肯定して欲しかったな。

負けたり、チームに迷惑かける下手なプレイをした日は、怒鳴るんじゃなくて励ましてほしかったな。

母親との記憶(トラウマ)


サッカーを終え、帰ると家には酔った母がいる。

サッカーを辞めた高校時代、バイトを終えるとやはり家には酔った母がいる。

中学生まで自分の部屋がなかった僕は、基本リビングにいるしかない。

途中から兄弟共有の部屋ができたが、エアコンはないし風邪は通らんしで、やっぱり基本リビングにいるしかない。

高校生になると、サッカーもやめ、部活には何も所属しなかった。

パスタ屋でバイトをして、初任給全額使ってクロスバイクを買った。

そのクロスバイクは10年経った今でも愛用している。

時間はあり余り、お金はあまりなく、あまり家にはいたくなかった僕は、クロスバイクで目的もなく、ただただ外をウロウロしていた。

嫌なことから離れられる手段を手にした当時の僕は、中学までと比べると、少しは精神状態は良くなってた気もする。

ただ、どうしても家には帰らなければならない。

家に帰るとやっぱり酔った母がいる。

今思えば自分で作れって思うけど、夕飯がないことも多々あったし、酔った状態の母親に、何を話しても翌日には何も覚えていない。

母親は時々、リビングやトイレ、風呂場や洗面所で倒れている。

ほぼ意識のない母親に対して、父親や弟は怒鳴っていた。いずれ諦めて寝ていくのだが、基本怒鳴っていた。

僕は何を言っても変わらないと思っていたから、疲れるしなるべくほっておいた。

そんな毎日だった。つらかった。

耳を、目を、塞ぎたかった。

基本ほっておく僕だけど、たまに我慢の限界が来て爆発する。

酔った母親に対して罵声を浴びせ、罵声を浴びせる父親と弟に対しても罵声を浴びせる。

物に当たるようになって、投げて壊してみたり、壁を殴って穴を開けることもあった。

でもそんな自分が嫌で嫌で、罵声を浴びせている途中で涙が出てくる。

酔っていた母親は、きっとその時の記憶はほとんどないんだろうな。

母親とは、普通に話がしたかったな。

その日の出来事を、ただただ話したかったし、聞いて欲しかったな。

そんな普通の日常を過ごしたかったな。

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