こんにちは、午後もがんばりましょう
置き場所に困らないノートPCを手に入れたので、noteの更新がはかどる。
そもそも脳内雑多、タイピング大好きなので携帯性に優れたPCはたすかる。
最も、重量感は普通にあるので、自宅唯一のテーブルにおいてもご飯を食べるスペースがあるので、ありがたいといったところ。
脳内雑多、タイピング大好きなので、今日も頭に浮かぶよしなしごとを綴ろうと思う。
元恋人から、「白神ちゃんは冗長な文章を書くよね。推敲すればいいのに」と言った言葉を何度か賜ったことがある。
推敲すればいいのに、に関しては本当にその通りだと思う。冗長な文章を書くのは趣味なので許していただきたい。冗長な文、LOVE。読むのも好き。興味のある内容ならな。そのため推敲してもおそらくそう改善はされない。
対して彼はそもそも文字を目で追うだのということをあまり好まず、端的な文章を好む。これが方向性の違いってやつか。
元彼の話はここまでにしておこうと思う。多分、半月後くらいに元彼オンリーの文字の塊を書くはずなのでご興味があれば見ていただきたい。
多分思い出話と今の恋愛観について書くと思う。
今回フォーカスを当てたいのは脳内雑多。
そう呼んでいるだけで、実際のところはなんだろうと思っているがわからない。ADHDの人間がコンサータやストラテラを飲んで、真っ先に驚くのは脳内が静かであるということらしく、僕はそれに驚いている。
少なくとも僕の脳内では、思考が流れ続けているというか、永遠に話し続けている。例えば目の前のタスクに向き合うにも「ここはこうしてああしてどうだそれが終われば次はそうだな、お腹が空いたからカップ麺でも食べてしまおうか以下略」などと永久に声が流れている。では何もしていないときはどうかというとやはり声は流れている「お友だちのために大阪まで行くのもしんどいがここまで呼び寄せても、交通費だの来る手間だのに見合う楽しさを提供できるほど愉快な人間でないことを考えるとわざわざ呼ぼうとも思わない。もっと気軽に会える人間がほしい。しかし発達障害者の称号を手に入れているあたり内向的であるのは言うまでもないし、わざわざ時間を割いて心を割いて友達を作るメリットなどないのでは。今日もツイッターのフォロワは恋人だのがいたりデートしていたりオンゲに勤しんだりしているのに僕という人間はどうして休みの人もなると電気もつけず天気も悪いので薄暗い部屋で、布団に潜ってツイッターを眺めるしかしないんだろうか。部屋の掃除をしてくれ人間ちゃんに会いたい。適当に声かけるか、いやしかしそろそろ一人で過ごす休みがほしい」などと永久にタラタラと声が流れている。
生まれたときからそんななので疑問を一切持ったことがなく、ぼーっとする、といったものはそもそも、そういう自分のうちなる声に耳を傾けるものだと思っていたし、無心になる、というのもその目の前のタスクに対して脳内のほぼを占める状態だと思っていたので、これが薬で消せるもの、というよりどちらかというと異常であることに驚いた。
当たり前が異常に変わる瞬間である。
毎日毎日事務所を出て、真っ先にやるのは家まで30分間のサイクリングである。しかし、そのたびに今日も仕事でうまく行かなかった。今日もコミュ障だった。死ぬしかない、死んだら楽しいだろうか。いつになったら真人間になれるのだろうか、生まれたときから真人間でないならもう一生真人間にはなれないのではなかろうか。ある程度金をためて、誰とも会わない生活をしたい。あるいはこうだ、まずある程度金を貯める。そして投資をする。正社員を辞める。次にパートタイマーとかで週に2日ほど家賃を稼ぐために働く。田舎暮らしも捨てがたいが虫が苦手なのと、アルバイトは固定ではあまり続かなかったことを考えると、各所へのアクセスがいい大阪に帰りたい。食費は投資とかで賄えばいい、美味しいものを食べたいときはふるさと納税で返礼品が美味しそうなところを。となると今の僕がしないといけないのは投資の勉強であり、ふるさと納税の勉強である。つみたてNISAとはなにか、ふるさと納税はどのようにしてどう手続きすれば税金が安くなるのか。散財するために働いている節があり、貯金がさっぱりできない僕が貯金をする方法とは。それらを調べるのが今のやることではなかろうか。しかしそうなると実家である。今は安定して給料があるので実家にお金を渡すのは痛くも痒くもないが、職を手放すとなればお金は入れづらくなる。半身が動かない父と社会性にあまりにもかけている母。三男が僕と同じ血が流れているとは思えないほどいい子なので高卒で職に就き家に金銭も入れているらしいが、いつまでも期待してはいけない。長男は介護問題の主力となっているらしいが、一人暮らしを視野に金は全く入れていないらしい。ところで、一人暮らしをすると介護をする人間が減るが実家はいかがお考えなのだろうか。長男は正直5年はまともに顔を見ていないし思考にいるだけで嫌悪感で吐きそうなのでやめることにする。それはそうとして、介護の主力がいなくなるなら積極的に施設も検討してほしい。というか老老介護は地獄絵図としか思えないので兄弟が全員実家からいなくなったら施設への入所を積極的に検討してほしい。となると、老人ホームにある程度金がいる。脳出血から別に奇跡でもなんでもなく現代医療の力で今も生存している父を見ていると、本人にはものすごく申し訳ないし、あまりにも親不孝と思うが、これが昭和であれば、大正であれば、医療の発達していない時代であればきっと今頃生きておらず、少しは悲しいかもしれないが20年後の実家の金銭問題に思いを馳せる必要もなく。長生きってそんなにいいもんか?等々。
比較的微笑ましい例を挙げておくと、会社の人間と8時間以上同じ空間にいるので息が詰まるし反省会をするし正社員をやめるのはもはや毎日のことであるが、その日あった面白いやり取りを思い出したりしている。
「がんばりましょう、がんばるしかない。死にそう」
「長生き、してほしい、ですね?」
でめちゃくちゃ笑われて「ありがとうございます」って言っていたのが非常に可愛かった。
最近よく好んで食べている贅沢ルマンドを人に差し上げたら、「このルマンドめっちゃ大きくないですか?しかもなんか重い。ルマンドってめっちゃスカスカなイメージあるんですけど」とか言ってて非常に面白かった。
とか、事務所机目の前の方がよくお腹を空かせていらっしゃって、なんとか柿の種をよく食べていらっしゃるというところまでわかったので柿の種を差し上げて、試しにハッピーターンをお渡しして、「めっちゃありがとうな、来週お菓子あげるからな」と言われて、ハッピーターン一袋、アーモンドクッキーを翌週頂いた。アーモンドクッキーっていうチョイスがあまりにも解釈一致で喜んでいたこじらせオタク。これ今日の残業代なって言われて頂いたカカオ98%のチョコレートがあまりにも苦かったことなどを思い返して次はどんなお菓子を置こうかななどと考えているときもある。等々。
帰宅するまで永久に脳内に声が流れ続ける。
頭おかしなるでホンマ。
長いこと当たり前だと思っていたが、当たり前ではないかもしれないと知ると狂気の沙汰にも思える。
当たり前だと思っていたけど、やめられるものならやめたい。
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