私がnoteをきちんと始めた理由
私がnoteをきちんと始めてみようと、直接的なきっかけをくださったのはマトメガミさんのセッションです。星の通り生きてみよとw(表現よw)
今までいろんな方から「アウトプットする人」「表現者側だから」と言われてきました。弁護士に「言葉に説得力がある。なんかしたら?」と言われたことも。ただ「わたしゃ一介の勤め人、そんな能力ありゃしませんぜ」と全力拒否でした。
書くことも、「それが私の発散なのかもなー」とうっすら気づいていましたが、自身のクローズドなSNSで済ませておりました。
ただ今回のセッションをきっかけに、もう降参して書いてゆこうと決めました。楽しんでいただけたら嬉しいです。
何故、頑なにアウトプットしてこなかったのか。
今回はそんな話をさせてください。
◆インターネットにのめり込んだ学生時代
元々、私はネットの世界が大好きです。まだ2chがあめぞう、ひろゆきで盛んだった頃から楽しんでおりました。当時は掲示板が全盛、ブログもなく、表現するならHPを作るしかない時代。私もHPを作って遊んでいました。海外サイトのように拘りたくて海外から画像やフォントを集めて楽しんでいました。
◆ネット大好き少女が隠れた理由
HPや掲示板でネット民と交流しオンオフ楽しんでいた頃、2chで標的にされるようになりました。当時はまだ10代後半とかハタチそこそこ。知らない人に叩かれるって事が怖かったんです。
そして比較的大きな企業に勤め出したこともあり、情報リテラシーを守らなきゃならんと言うことで、完全クローズドと、鍵垢として過ごすことにしたのです。
とは言えTwitter歴はもう13年が経ちました。携帯電話向けサービス前からなので、ネット自体は楽しんでいましたし性に合っていたのだと思います。
◆文章を褒められる事が多かった小中学校時代
今を思えば、たくさん文章を誉められていました。
小学3、4年生の頃、校長先生直々に呼び出され、ビビりまくって校長室に入ると、校長先生から「あなたの書いた手紙がすごいよかった」と誉められました。
小学5、6年生の頃、国語の授業で書いた作文が誉められ、みんなにお手本として読まれました。
中学1年生の頃、弟の代わりに書いたポスターの標語が、市のなんなら賞に受賞して、なんか貰ったこともあります。得意なことだったんですねぇ。
◆星通りに生きてたのにね
マトメガミさんのセッションで言われましたが、表現すること、アウトプット、クリエイティブなことが自分の星として持っているので、無意識にやれていたことだったのですね。ただ大人になってからその才能を全力否定して生きてきたんだなぁと、ちょっと悲しいことだなと思います。
そんなこんながあり、今の私はnote を楽し無ことにしました。そしてこうやって自分のことを書くのも、実は私の星から課せられた宿題なのでした〜〜〜。
本当に拙い文章ですが、よろしくお願いいたします。
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