健康は何のためだろう。

先程つぶやいたのですが、入院中の母が、電話口でこんなことを言うようになりました。

私は黒背景派w

自身で動けはしましたが、半身麻痺を20年以上続けていて、今年5月に脳梗塞になり、もっと動けなくなりました。

高次機能障害も併発しているので、認知症とまでは行きませんが、認知の面でもかなり衰えが見られます。

母はこの7月で74歳になり、来年には後期高齢者と呼ばれる年齢になります。

確実にできないことが増えている実感。現状を理解できる時とできない時が交差する高次機能障害、そんな状態の今、ふとこのリハビリは何の意味があるのかって動かない体にいろんな想いが交錯するんだろうと思うと、心が痛みます。

以前、「私の体質改善」の中でこんな投稿をしました。

私の目的は
『いつまでも好きな人たちと居られること』
『いつまでも「したい」「やりたい」「行きたい」を叶えられる自分でいること』

ただ、ふと、、、『いつまでも「したい」「やりたい」「行きたい」を叶えられ無くなった時、私は不幸せなのかなと、思いました。

その答えが、母にかけてあげられる言葉なのかなって、思いました。

会話ができたら、一緒に何かができたら、一緒に生活できたら、すっごい嬉しい。でもできなくても、生きて、笑って、反応してくれるだけで嬉しい。

そしてそれがいつまでも続くと嬉しい。
もうシンプルだけど、そんな事なのかな。

私はお一人様ですが、どこかの誰かのためのそんな存在になれるような人間でいたいですね。

それがパーパスって言うモノなのかな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?