見出し画像

配慮と無差別

前世の記憶は無い。
どんなことをしたのか、雌なのか雄なのか人間なのか生き物なのかさえ。

何か良くないことでもしてしまったのだろうか。
穴だらけの落ち葉に目を落とし母の迎えを待つ。

見知らぬ誰かの母達が小さな命を抱き、井戸端会議をしている。
耳にまとわりつくような赤子の泣き声に苛立ちを覚え、視線やるとクリっとした瞳が私を覗いた。
まるで私の考えや心の中を見られたようなそんな気がした。

私の身体の一部は欠陥していて、他人からの視線がいつも怖いし、痛い。
それが自意識過剰だとしても嫌な気持ちになる。
そんな思いを者心がついた幼少期から抱いている。

赤子にまで笑われているのかと恥ずかしく思えて、目を逸らせばその赤子は泣き始めた。
目を合わせると泣き止み、笑う。逸らすと泣くのだ。

純粋、とでも言うのだろうか。
この子はきっと馬鹿にしている気は無い。
だから皆何も思わず触れ合えるのだろう。
どんな見た目でも「可愛い」と愛でられるのは赤子の特権だ。
歳を重ねると純粋さは消え、意図せずに相手を傷付けることがある。


敬意を持つ大人。
これから先学びを得てく子供。

人の数だけ感じ方があって、見守る側の数だけ配慮の仕方がある。
誰も傷付かない正しい配慮の仕方なんてものは多分無い。

「貶してやろう」とか「馬鹿にしてやろう」とかそういった悪意がなければ何でも良い、なんて綺麗事を言える程心は広くないが、可哀想だと思われる事に迷いながらも傷付けたいわけではないという他人からの気遣いや配慮に、多少の感謝はしなければならない。

夕暮れの中から現れる白い自動車が目の前に止まる。
笑顔で「ただいま」と言った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?