見出し画像

潜在的な考え方からの変化について

お久しぶりです。
前回のnoteを読んで下さった方々、ありがとうございます。

あのnoteを書き終わった時、もうこちらのページを更新することはないだろうと考えていました。
しかし以前の経験を踏まえて、感じたこと、自身の考え方の変化をもう少し書き出してみたいと思うようになりました。

ーーーーーーーーーー

まず前回のnoteでも触れていましたが、私は「心が女性なら体が男性でも女性である」といった考え方を持っていました。LGBTQに対して偏見が無いと思っている方、心あたりはございませんでしょうか‥?
私は自身の経験を踏まえて考え方が変わりました。「身体的に男性の場合、心が女性でも、身体的女性とは区別すべき」と今は思っています。


女性限定のイベントや女湯、女性用トイレの利用は身体的女性の為に設けられたものです。身体は男性のままだが心は女性といった方が入れるようになっては身体的女性の安全性が失われてしまいます。
また身体的男性で心は女性だが恋愛の性対象は女性といった場合に「自分はレズビアン」だと称することに対し、今は違和感があります。(以前は前述の考えを持っていましたので、そういったこともあるのだと受け止めていました。)


話を戻します。
「身体的に男性の場合、心が女性でも、身体的女性とは区別すべき」について
私は自分自身の経験から考え方が変わりましたが、以前は「心が女性なら体が男性でも女性である」と考えていました。以前の私がそうだったように、このような考え方をお持ちの方が実は潜在的に多いのではないかと思うようになりました。

自分は差別したなくない、偏見を持ちたくないといった意識を強く持つことで、差別と区別の垣根まで考えがいっていなかったのだと今は思います。差別したくないと心理的に強く思うほど、身体ではなく、性自認や心(目に見えないもの)を重要視してしまっていました‥
何が差別なのか、何が区別なのか、今現在私自身勉強中です。

ーーーーーーーーーー

自己整理も兼ねて書き出してみましたが、もし読んだ方が何か感じるものあれば、何か考えるきっかけになれば幸いです。

もう少し分かり易く伝えられる文章を思いつきましたら更新したいと思います。

2021.2.10

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?