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ただ理解してほしかっただけ-私のエゴイズムについて-

つい先日、初対面のAさんと話していてこんなことがあった。
A「尊敬する人っているの?」
私「...」

このとき私の心に2つの感情が入り混じった。
ひとつは、素直に「柾 昊佑 (まさき こうすけ) 」(好きなアーティストさん)と答えたいという感情。
もうひとつは、Aさんがわかる人を選んだ方が良いのではないかという感情。

私はこれを納得感のジレンマだと感じた。
私の発言に対する"私自身の納得感"と"Aさん(聞き手)の納得感"のバランスである。

初対面の対人コミュニケーションには一定の型があるように思う。
その型を守っている限り、ある程度までは誰とでも打ち解けることができる。

納得感のジレンマとはつまり、"コミュニケーションの型"と"私のエゴ"のバランスである。

コミュニケーションの型を越えて、エゴを通したとき高確率でコミュニケーションには不利益が生じる。(もちろん一部の場合を除き、それがコミュニケーションの面白いところではあるが。)

性格にもよるが、コミュニケーションにおいてエゴを通したいと思うときは、少なくとも聞き手に対して「打ち解けたい」「理解してほしい」などの淡い期待があるのだと思う。

私は冒頭のAさんの質問に対し、自分に正直であることを選んだ。
その結果、やはり知らなかったのかきょとんという顔をされた。
あの時、双方が心地よいコミュニケーションを取るためにはどうしたら良かったのか、もしくはどちらかが歩み寄らなければいけなかったのか私にはわからない。

少なくとも私はAさんに期待していたのだと思う。それがエゴであろうとも。

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