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拝啓 10年後の私へ

一通りの卒業旅行が終わり、数週間前までは毎日のように顔を合わせていた友も、もはやSNS上のみの付き合いになった。

私の大学の卒業式は3月下旬なので、卒業式が催されるまでの期間は皆、新生活に向けて引っ越しをしたり、大学生活を締めくくる旅行・イベントに追われている。が、それらがなくなってしまえば、何もすることはなく、ただひとりSNSでみんなの楽しむ様子を眺めるか、資格勉強等々に勤しむか、引っ越し準備を黙々と進めるほかなく、案外つまらない。

かくいう私は、やるべきこと(卒業式直後にある資格試験や引っ越し手続き)を放り出して大学時代に撮り溜めた写真をみて物思いにふけるか、その勢いでお世話になった友人たちへの手紙諸々をいそいそと書く日々を送っている。ただ、手紙を書くという目的を果たしてしまうと、目の前にはやるべきことしか残らないわけなので、私はまた”やらなくていいこと”をみつけてはやるべきことを先送りしている。

今日は雨なのに諸事情あり、自転車で登校した。
そして案の定、雨が強まったので、自転車を大学に置き去りにしたまま近くのファミレスに逃げ込んだ私は、かれこれ5時間居座ってぼけぼけしている。そこで、言うまでもなく暇を持て余している今、”やらなくていいこと”=noteで回顧を始めようと思った。



この大学生活は長かったようで短かった。

2020年。受験期から流行り出したコロナに飲まれ、大学1年生の半分はバーチャル世界に消えた。
1年生後期からは対面授業が再開した。
バイトをする勇気を持てなかった私は、とりあえず授業後のサークルの集会には必ず参加していた。対面授業が再開したとはいえ、行動が制限されていたサークルの集まりはとてもつまらなかった。先輩たちも何とか活動しようともがいていたけれど、結局手っ取り早いのは”交流”を目的としたゲームしかなくて、せっかく集まっても何も生まれない状況下で段々と集まりが悪くなっていった。

この頃の私は、友達を作るのに必死だった。SNS上でしか周囲の状況を把握できなかったため、TwitterやInstagramで着飾る彼ら彼女らには随分動揺した。
「どうしよう、取り残されてしまう」
そんな思いに駆られて、出会う人全員の意見を飲み込んでは迎合して、”いい子ちゃん”を必死で演じていた。そんなこと誰も望んでいないとは知らず、とりあえず頷いて共感していれば良いという安直な思考が当時の私を縛りつけていた。この結果、1年生の終わりにはそんな自分に辟易して、人と会う数日前になってドタキャンをしてしまう、どうしようもない人間になってしまった。

2021年。学部での専門科目が本格化し、実験やグループワークを通じて多くの人と関わるようになった。同時に単位を落とすことも数回経験し、まじで泣いた。
学外では居酒屋のバイトを始めた。高校時代のちょっとした夢だった居酒屋バイトは、始めて間もなくして現実を突きつけてきた。体力がなく朝型の自分にとって、店長の「上がっていいよ」待ちをしながら働いたり、重いジョッキ・お皿を同時にいくつも運んだりすることは結構しんどかった。コロナ禍の時短営業に救われていた私は、半年足らずで夢の居酒屋バイトを辞めた。辞めて以降、代わりとして新たなコミュニティ(地域活性化グループ)に本腰入れるようになった私は、無賃労働も厭わず、グループに貢献することに生きがいを見出していた。2年生の終わり、このグループのメンバーのひとりと男女の関係になるも、数か月後には破局した。初めての彼氏だった。
ここから私の何かが暴走し始めた。

2022年。前述した”暴走”=マッチングアプリで心の隙間を埋めていた。もともと希死念慮を拗らせながら息をしていたので、アプリで多くの人と話をして”おもしれー女”になることで必死にこの世に自分を繋ぎとめていた。メッセージを交わしたり電話をしたり、対面までこぎつける中で色々なことがあったが、後悔はしていない。アプリで共通の趣味を見出そうとする工程で自分の”すき”を明確にできたし、普段は出会えないような人たちに出会えたことが刺激的だった。アプリと聞いてみなさんが想像するような流れも経験したし、それによって自分の弱さと意識の低さに気づいてちょっとだけ病んだ。それでも、大学生活でやってよかったことのひとつであることに変わりないし、自分自身を変えるきっかけになったことは間違いない。
また、3年生のこの時期は授業がほとんどない時期でもあり、アプリがいわばOB訪問と化していたことも今となっては懐かしい。
親にはとても言えないけど。

2023年。就職活動・研究室活動が本格化し、人に八つ当たりすることが増えた。特に3年生後期からジムに付き合ってくれてた友達には、会う頻度が友人の中で一番多かったためか、その日ごとの気分の浮き沈みをもろに晒した。そうしてしまったのは、彼自身が歯に衣着せぬ性分であることも影響しているだろうが、ともかく私は彼に無様な喜怒哀楽をぶつけていた。のちにこれを人前で露されることも知らずに。

ただ、その甲斐あって(?)、7月には希望職種・業界で内定をもらうことができた。就活を終えると、今度は卒論研究で先生と意思疎通が取れな過ぎて泣いた。自分の無力さ・先生の説明不足に憤慨しては自省し、「あいつよく『不甲斐泣き』してるよ」なんて、友人たちから言われるようになった。彼らは私をそうやってからかいながらも鼓舞し、さらに私の努力不足な点も指摘してくれた。そのやさしさに私がどれだけ救われたことか。彼らは知る由もないだろう。
そんなこんなで私は卒論を書き上げ、発表し、今は卒業式を待つだけの身になれた。

そしてこの間、よくこのnoteに書いているような人間関係のもつれ、男女の付き合いの難しさに対峙することも経験した。今となっては総じていい経験だったけど。
そう思えるのは、この4年間、喜び怒り哀しみ楽しみながら生きた実感があるから。
大学入学前の私には想像もつかなかったような経験と人に出会うことができて、田舎町から出てきた私は確実に成長したし、恐れるものが減ったから。

だから、短いようで長かったこの大学生活は、コロナの汚染を払拭する勢いの色濃さで、スピード感で、いまの私を築いてくれた。


大学に進学して本当に良かった。
両親へ。奨学金も払わずに通わせてくれてありがとう。
友人たちへ。本音で語り合ってくれてぶつかってくれてありがとう。
これまでの私へ。挑戦を恐れずに行動してくれてありがとう。


そして未来の私へ。

もう しにたい なんて絶対言わせないからね。

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