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maybe杞憂

卒論もろもろの成績がついてひと段落したあたりから、「学生最後の」イベントたちに心揺さぶられる日々を送っている。

いま、私の世界は男女グループ2つで回っていて(うち、1人は共通)、女2人男3人の計5人の友人たちがレギュラーメンバーだ。

最近、一方のグループで卒業旅行に行き、ますます私たちは仲を深めることになった。
前回夏の一泊二日旅行に次ぐ2回目の旅行となった今回、我々は男女で部屋を分けるのをやめた。

日付が変わるまでカードゲームに勤しみ、夜食をつまみながら駄弁って、疲れて眠った。

我々の間には、男女というよりは同期という名の仲間意識が強くあるように思う。
でもそれはお互いに対する敬意があるからこそ成り立つもので、気を抜くと相手を侵害しかねない危うさを孕んでいる気がしている。

たとえば、私が体調不良で表情を曇らせている時、よく、男①は私を小突いて「不機嫌やめろよ」と言ってくるけど、それは良くないと思っている。だって、心配されるほど体調悪くないけど笑ってられないんだから。彼は少々人の扱いが粗い節があるからもう諦めているけど、正直キツイ。

あと、親密になってきたからこそ、大人になった今では通じないような、彼らが小中学生のときのように相手を小馬鹿にする笑いが増えてきた。

彼らはその笑いに慣れ親しんでいるみたいだが、小中学生の頃、そんな笑いにひとり傷ついていた私にとっては少し苦しい瞬間がある。
こういうときってどうしたらいいんだろう。

この関係自体、卒業したら変わってしまつのだろうか。



そんな日々が続いて私の心境も変わりつつある。

我々はお互いを異性として認識しつつも、好意を向けることはないという暗黙の了解で接している。少なくとも私は。

このため、男側が車のドアを開けてエスコートすることもあるが、別々のものを頼んで食べあいっこしたり、食べ飲み残しをもらったり、というのが日常茶飯事。

そんな日々に慣れつつも、最近は違和感も湧いてしまい、もう1人の女の子に意見を求めると「まぁこの関係は友達でしかないからな〜」と言われてしまった。

私の違和感。
それは、自分にとって身近な存在に救いを求めてしまう自分自身に起因する。

みんなと別れた途端の寂しさ、孤独感をどうにか埋めたい。女同士もいいけれど、本心は自分より大きな存在に身を委ねたい。そんな感情に駆られるのだ。
一般的に言えばこれは「好意」なのかもしれない。寂しくなった私は彼らの一部を「一瞬」特別視してしまうけれど、きっとこれは一過的なのものなんだろうと思っている。そうやって感情を整理して、頑張って気を落ち着ける。この繰り返し。


私たちがグループとして友人である限り、その中で好意を持つことはあり得ないものでなくてはならない。

個人的な私利私欲よりもグループ行動の楽しさを優先していたい。クラッシャーにはなりたくないし、グループでいることで関わりが保てるのなら、このままの関係でいたい。


そんな思いが私をとめるストッパーになっている。



男女の友情

この儚さをまだしらない。

私は自分自身が被験者となって、その繋がりの性質を調査したいのかもしれない。

たとえそれが自分の心を脅かしても、4月に社会人になる私はそれを気に病む必要はないから。

自動的に彼らとは違うライフステージに立ってしまう以上、きっともう同じ視点では語り合えないから。
もう彼らと本音では笑い合えなくなるに違いないから。


でも。


そんな未来きてほしくない。


いまがずっと続けばいいのに。


生きている限りどんな人間も前に進んでいる。
時間を止めることは決してできない。

その中でどんな生き方を選択するかの自由が人生だ。
世界を変えることは人にはできないが、自分が変わることはできる。

それが可能性だ。

月曜日の友達/阿部共実

君がいつか大人になったときにふと、
時々でももし、この町で働いている俺のことを思い出してくれたなら、
それはどれだけ大きな幸いだろうと思う。

月曜日の友達/阿部共実


先日、友人から借りた漫画の一節に、奇しくも救われた。

残り限られた日々をどう過ごすか。
どうせなら好き放題希望を言って叶えてもらおうと思う(彼らは幸運にもノリが良く、人の思いを叶えようとしてくれる)。

コロナでスタートした大学生活の後半に、大学生でやりたかったことリストを猛スピードで埋めるのも悪くない。


みんな、ありがとう。

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