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かえる

西瓜糖「かえる」観劇。

昭和二十年夏、葉山の秋谷あたり
 空襲から逃れた初老の男が自分の妹と作家である次男の嫁とで、小さな離れに住み始めた。慣れない土地で暮らす三人のもとに次男が戻ってくる――愛人とその娘を連れて。
 敗戦濃厚となった太平洋戦争末期。原稿を求め乗り込んでくる女編集長。追いかけてくる男。隣組長として幅を利かせる大家。大阪から流れてきた看護婦。そして、ふらりと現れる郵便屋。それぞれの想いが交差し揺れ動き、欲望を生み出し、その姿は時には滑稽で・・・。
 時代の波に揉まれながらも懸命に生きていく人々の物語。

戦時の人々の生き様、抑え難い愛憎の情に胸が締め付けられる。
それぞれの生き方、どれも大切で守りたい守らなければいけないもの。現代にも通じていて色んなことと重ねてしまって苦しい。

かえる、蛙、帰る、変える、還る、孵る……。

劇中の言葉の強さ美しさに引けを取らない演者の表現に心掴まれた。人物たちの心情の動きに魅せられ、彼らの背景にあるもの、その後を想像させられる。




義父とその姉と暮らす嫁、和子
召使いのように扱われ、なんでも「はい」と答え、甲斐甲斐しく立ち動く姿に気が重くなった。
前半シーンで、家の人に隠れて酒を飲もうとするところがなんかもう苦しすぎて。
食事のシーンや夫である輝雄が女を連れて来た時に義父が気にかけていたことが救い。
詳しく触れていないけど、ここの嫁でいなければ生きていけなかったんだろう。(時代のせいもあり)

父の姉である佐代子
ヒステリックを起こす病気であるが、彼女を乱す環境や経験を思うとただ病気だからとは思えない。
子どもができなかったことでバカにされる。子を授かれなかったことで、どう思っていたか。それでいて、周りに何か言われるなんて。
「生まれ変わったらカエルになりたい。いっぱい子どもを産みたい。」と言う佐代子を思うと涙が出た。
また、突然やってきた常盤子やミツに嫌な顔しないのは、常盤子の物言いと自分のヒステリックを重ねて見えていることと、常盤子やミツがいることで、和子が嫌な思いするから都合良かったんじゃないかな、なんて思った。

輝雄の父、雅一は、教師として戦争を伝え、多くの子どもたちを戦地に送り出していた。
国や戦争の価値を信じ、国のために生きることが糧となっていたんだと思う。
だから、戦死した優秀な兄は、自慢の息子であり、自由気ままに生き、下らない小説を書くような次男の輝雄は、認めることはできない。

けど、輝雄の小説を読んだり、召集令状が来た時に赤飯を炊くと言ったミツに感謝する。
「逃げた」「覚悟がない」と言うのは、輝雄を見捨てたわけではなくて、いつまでも心配してるからなんだろう。赤紙が来た時、兄の時と同じように胸を痛めたと思う。どうあろうが大切な我が子。赤飯炊くって言われた時、静かに頭を下げる雅一の姿が、忘れられない。

劇中に描かれていないけど、戦争で頭ガチガチの状態で、戦争のことばかりの雑誌の中に載ってた息子の小説が女との性行を描いたものだと知った時の雅一を想像してしまう……怒り心頭待ったなし………!!

ラストシーン、終戦を知り、崩れ落ちる。
これまで国を信じ、戦争万歳と謳い、多くの教え子を戦争に送り出していたことが間違いだった、無駄だったと思いたくない。
自らの思想が多くの生命を奪ってしまった罪悪感と恐怖心を感じているんじゃないかと想像して胸が苦しかった。
終戦しても戦おうと錯乱する自分を止めるのが、輝雄だということも、情けなくて悔しくて仕方なかったと思う。
優秀な自慢の教え子たちが命を落とし、非国民と考える輝雄が生き残る。
無念の雅一、その後が気になる。

緒方家の次男の輝雄
戦争真っ只中、彼は小説を書く。その内容が、女との性行を描いたもの。いくつもの女たちと関係を持ち、女たちを材料に書く。戦時に娯楽は不要だと思う人からは、非国民と言われる。
戦地で戦う人を称える父にも輝雄の生き方は認められない。
どんなに否定されても、父に認められたいという思いを持ち続ける輝雄に切なくも自分の生き方を貫こうとする姿に胸を打たれた。
「覚悟がない」と言われるが、当時、不要な娯楽と言われる小説を書き続けるには、どれほど覚悟が必要だったか。

実家に帰ってきた時、ここはお前の実家ではないと言われても、「父さんのいらっしゃる場所が実家になるんですよ。」どんな時も心は父にある。

怠惰な生活を送りながら小説を書いているが、これは命を懸けた戦いであり、仕事。小説を書くことで、世の中に自分を認めてもらうことで父にも認めてもらいたいと思ってるのかな、と。
どんなに尽くしても認めてもらえない。透明人間のようだった。消えてなくなりそうで…と語る姿が切なかった。

輝雄は、戦地に行かなかったというより丙種で行くことができなかった。戦争に行くことが名誉と思う父。認めてもらうためには、戦争以外で戦わなければいけなかったんだと思う。
丙種は、低身長ゆえに現役に不適とされるもの。きっと生まれた時から兄と比較され、差別を受けることもあったんだろうな。
優秀な兄と比べて自由人というより、自分で生きる道を探さなければいけなかったんだと思う。

ラストシーンの終戦の知らせに崩れ落ちる父を抱き締める。「お前が死ね」と言われ殴られることさえも、父を受け止めたいという思いを感じる。威厳のある父の咽び泣く姿を見て、ただ抱き締める。
消えそうになるくらい傷ついた過去があっても、父を守ろうとする思いが尊くも、私は、きっと何もできないだろうと自分の未熟さを感じるシーンだった。

父と息子が抱き合い涙する後ろで笑い合う女性たち。歴史がひとつ幕を下ろしたと共に新たな歴史が始まるというか、先を見る力の強さを感じる。
戦争という沼に身を寄せるしかなかった蛙たちの鳴き声と泣き声が聴こえるようだった。

戦争に行くことのなかった輝雄も終戦間際に赤紙がくる。召集令状を受けた時の表情が忘れられない。小説を書くことが命を懸けた戦いと言っていたけど、命を落とすことに現実味を帯びた時の恐怖と絶望が押し寄せてきて苦しかった。
そして、彼は自殺未遂をする。
死にきれず、バツが悪そうにする輝雄。「あんなになって、よく書けるね。」「あんなになったから書けるのよ」芸術、創作は、悲愴悲劇による極限状態だからこそ生まれたり、受け取ったりできるものもある。皮肉なものだなって。

それにしても、戦火を背景に桜の木で心中。ロマンスが過ぎる……!輝雄の言葉は、いつもどこかセリフめいていて、キザだな〜と。

輝雄は、関係を持った女たちを小説を書く際の材料にする。「女の嫉妬は好物だ」と言うように、本妻の近くに愛人たちを置いたり、わざと嫉妬させるようなことを見せつけたり。その時の表情が、本当に悪くて色気だだ漏れ…!
女たちに向ける言葉が、時に甘く、時に冷酷非道で、サイコパスっぽさがある。気分屋、何を考えてるかわからないような、ふわっと消えてなくなってしまいそうな儚さも彼の魅力だな、と思った。

彼の登場シーンで、ミツが足を冷やす桶に自分も足入れるんだけど、その時、げ!なんだこの人!(潔癖なので)って思ってたのに、彼の表情や言葉、予測できない行動にハラハラドキドキしたり、彼の生き方、自分のやりたいことを成し遂げようとする姿に心惹かれる。
魂に色気を感じて本当に素敵だった。

女たちそれぞれとの関係性、空気感が感じられるのもよかった。
ミツとのやりとりが一番かわいくてほっこり♡
ほっぺギューッてされるところ舞台写真ほしかった……!かわいすぎ〜!
ミツとの関係は、都合の良い相手という感じで、どこか割り切ってるような雰囲気もよかった。
ミツが尽くすのは、自分(ミツ)が生きていくためだから、「しょうがない」
奥さんになれないとしても「こういう生き方しかできない女もいるの」なんだよね。

で、「さすが俺の奥さん」の和子には、傲慢さがある。足を拭かせたり、上目線だったり冷たい視線を送ったり。和子も自分が嫁にしなければ生きていけない、自分の言うこと成すことに口ごたえしないと思ってるんだろうな。

以前、「夜明け前」で田島亮さんと山像かおりさんを観ていて今回も楽しみにしていたけど、想像以上にお色気お兄さんでビックリ…!西瓜糖で観る田島亮さん、良い…!(また出演してください…)


緒方家に娘と共にやってきた輝雄の愛人ミツ
娘を守り生きていくために自分の身も心も傷つけてしまう。
正論より調和。うまくいくように自分を犠牲にしてしまう。明るく気丈に振る舞うのも、「私、バカだから」と言うのも、きっと傷つくことが怖い。自分を不幸に仕立てることで傷つくことから避けてるんだと思う。
場の空気が悪くなった時ちゃぶ台ひっくり返して「やっちゃったあ」って。ミツのやさしさと何かに縋るような生き方が痛々しい。

どんなに心尽くしても輝雄は自分を選ばないと分かっていても、それでも自分の心は輝雄に。そして、何よりきっと娘と生きていくために。
娘の八重に「そんな風に生きるのはやめてよ」と、言われ、「でもね、こういう生き方しかできない女もいるの。」と話すミツが苦しかった。
はたから見たら報われない想いかもしれないけど、こうして誰かを想うだけで、尽くすことで幸せだと感じること、私もあるかもしれない。
けど、娘から見たこの母の姿、辛いよねって。

きっと八重の気持ちもわかってると思う。輝雄の小説に自分の名前がないことで、八重が傷つかないか気にしてる。
誰もが誰かの大切な人。自分が蔑ろにされることで自分を大切にしてくれる人が傷つくこと、知ってるんだよね。
私もお母さん大好きだから、ミツと八重の思いに何度も涙した。

ミツは、努力して持つことができた自分の店が戦争で焼けてしまった。店が無くなったことで、気力もなくなってしまったところ、緒方家に入れてもらい、常盤子と出会う。
戦争真っ只中、今までの日常が贅沢とされ娯楽も許されないこの時代に夢を追う常盤子は、ミツにとって希望であり夢となっていたのではないかな。
だから、終盤の自分の身に起きたことを吐露する常盤子に「負けないでよ。頼むわよ。」なんだよね。
ここのシーンについては、また下に書く。

あと、八重と「(相手のことを)もっと想像してよ」「わかんない」ってやりとりがあるんだけど、本当にそうだよなって。
わかろうとすることはできても、実感しなければ本当にどんな気持ちでいるのかなんて本人じゃなきゃわからない。自分の想像したことが全てだなんて思ってはいけないし、わかるって言っちゃうんだけど、本来易々と言ってはいけないよね。

ミツの娘、八重
自分を犠牲にしながら生きる母の姿を見て胸を痛める表情が印象的。生きていくためとはいえ男に媚びを売ること、報われない相手に尽くす母への嫌悪感が悲しかった。
「嫌いになりたくない」「そんな風に生きるのはやめてよ」
大切な母を想う言葉。これ以上、傷つく姿を見たくない。お母さんには、幸せでいてほしいよね。

倫理観も何もないこの世界に絶望し、生きている価値さえ見失ってしまいそうな恐怖から、自ら戦いに出ようとする。(現役の女学生だから余計にかな、と)
そこで出会ったのが、常盤子の息子健次
彼は、戦闘機に乗る兵士と目が合う。青い瞳、自分と歳も変わらない兵士。国のためと言われ戦い合うが、同じ人間。同じ人間同士が戦い合うことに疑問を持つ。

悍ましいこの世界と決別すべく、自ら戦争に出ようとする八重に、戦争の無意味さ、虚しさを伝え、価値のあるものを探しに行こうと手に取る。
純粋で正義感があるが故に憎悪や狂気を生み戦いに八重は健次と出会わなければ戦争に向かっていただろうな。どうか二人が幸せになるように願うシーンだった。


編集長の常盤子
この人物、自分を見ているようだった。
自分の夢や正しさが大切で、そのための行動力、挑戦心、自ら掴みに行こうとする気持ち、わかる。
性別が女なだけで、男と同じように働くこと、評価されることがなかった悔しさ。この大戦をチャンスに掴み取ろうとする野心。
戦争によって環境、立場、と色々なものに変化が。戦争で名誉を得た橋本もそうで、田舎の三男坊が英雄と言われるのは、この戦争のおかげ。戦争によって得たもの、失ったものがある。

地雷踏まれると、どんな相手でも自論を語ってしまうのもわかる………。
あと、自分を卑下して不幸自慢することが好きじゃないのも。そう思うなら何故努力しないんだって思ってしまうな。

好きなこと、目標のために他のことを疎かにしてしまうところも。無自覚に大切な人たちを寂しくさせてしまう。私もそういうところある気がする。(自戒)

自分の夢の実現のために必要な書き手として輝雄に近づくが、あくまで「才能に惚れてる」から。
どんな手を使っても輝雄に書いてもらおうとする。
日記に旦那への不満を書いていたけど、旦那のことは愛していたのか、それとも旦那の才能を愛していたのか。

自ら出兵し、そこで神経をやられ、書けなくなってしまった旦那。「純粋と狂気は紙一重」思い浮かぶことがある。
表現者が、作品と向き合う度に心を痛めていたことを思い出した。私は、その人を想って胸を痛めながらもその作品を観に行く。矛盾してるよね。
心痛めて創作した作品こそ素晴らしいという皮肉。輝雄が自殺未遂をした後に小説を書いていたのも同じで、心が不安定、極限状態だからこそ生まれる芸術がある。

終盤、常盤子が東京で起きたことを激白するシーン。その情景が浮かんでくるようだった。
旦那が喜ぶと思ってすき焼きを用意しようと帰った時、家が燃えていたこと。そこで、咄嗟に思い出したのは、旦那ではなく、原稿だったこと。
妻に忘れられていたことを目の当たりにした旦那の笑顔。
もうダメだ、というより、もういいやというような気持ちだったのか、旦那の思いを想像すると悲しくておかしくなりそう。
旦那の書いていた小説。「笑っちゃうような美しい話。心が弱くないと書けない話。ポキリと折れそうな危うさが好きだった、稀有で純粋なあの人の才能。 」またここでも色々思い出して涙が止まらなかった。

目の前で旦那も家も何もかもが燃えていく様子を見て後悔と悲しみと罪悪感が押し寄せる。
私があの人を殺した
私が死ねばよかった
もし自分がこうしていれば、あの人は生きていたんじゃないか。自分を責める気持ちわかる。

ミツの「あんたじゃない」「負けないでよ。頼むわよ。」に気持ちが溢れた。
そうかもしれないけど、どうしても自分を責めてしまうからこうして誰かに言葉にして欲しかったんだと思う。
自分と重なる常盤子がかけられた言葉に自分も救われた気持ちに。頼むよ、私よ。

異なる境遇、性格も何もかも違う二人が出会い、互いの存在が支え合うような形になっていくことが尊くて、救いだった。
このシーンのラスト、「可愛いのよっ!」なミツ、かわいい♡


今回一度しか観劇が叶わなかったのだけど、一度だけでも何日も何日も余韻であたたかい。思い出して涙が溢れてきて、眠れないくらい心に残る作品。
あー、今作も大好き。秋之先生の本を、西瓜糖の世界をこの目で見ることができて幸せ。

西瓜糖の演劇は、人間の心の奥にあるもの、言葉にできないような心情を描いているように見えるのに、色気と品がある。好きです。
この先もずっとずっと観ていけますように。

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