【創作】かいじゅうさんぽ

 家に帰ると、怪獣がいた。
 嘘じゃないし誇張でもない、玄関のドアを開けたすぐそこに、立つでもなく座るでもなく、ただ怪獣が存在していた。
 
 怪獣がどんなものかといえば、そう、センダックの『かいじゅうたちのいるところ』は知っているだろうか。ちょうどあのような感じだ。かわいいとは言えないし、まして僕は大人だけれど、奴が実際に目の前にいるとなれば当然萎縮してしまう。

「な、なんだ、おまえ」
「わぅ、お、こォア、がご」

 なんだこいつは。本当に何なんだ。僕がそろそろとドアノブに手をかけようとすれば、そいつは少し考えるように頭をひねったあと、「ひらめいた」とでもいうようにポンと手を叩いた(仕草は人間そのもの。まったくもってどうなっているんだ、この生物)。

「ヴォ、が、ゴ、うぇ、ああ、あー」

 随分と歪ではあったが、それはおよそ人間でいうところの発声練習の役割だったのだと思う。その証拠に、次に発された言葉は僕の耳に正常に届くものとなっていた。

「いやぁ、失敬失敬。ダイヤルを誤って火星に合わせてしまっていたようで」

 ダイヤル?火星?何を言っているんだろう。
 目の前のこれは幻覚かもしれない。さながら三文小説のように、こんなわけのわからない訪問によって人生がめちゃめちゃになるのであれば、せめて幻覚であってほしい。

「いや、えっと、」
「こりゃまた失敬、説明を忘れていました。ちょっくらお出かけしましょうか」

 何の説明にもなっていないように感じるのは僕が悪いのだろうか。ここへ来た目的もわからなければ、こいつの正体もてんでわからないままだ。

「おい、ちょっと!」

こちらに背を向けた怪獣を掴もうと手を伸ばし、一歩を踏み出す。

「はい、着きました」

 と、怪獣。

 着いた?着いたってどこに?

 そう思って見渡すと薄暗い山の中だった。僕たちがいるのは不思議と木々が生えていない空間、怪獣がどこからか取り出したランタンで辛うじて手元は明るい。国内か国外か、そもそも有人なのか?
 怪獣が堂々と歩いているあたり、無人の地と言えなくもない…かもしれない。

「あなた、先ほど私のことを幻覚かと疑っていましたけれど」

 キョロキョロしていると、また怪獣に声をかけられた。なんとなく失礼な想像がバレているし、ナチュラルに心を読まれている。ということは本当に幻覚か…?

「さて、どうでしょう。少なくとも、あなたが幻覚を見てもおかしくないほどに疲れ切っているということは明らかですがねぇ。自覚、されてます?」
「つかれて…?」

 たしかに今月は残業が特に多く、終電に間に合わない日もあれば、始発に乗って早朝出社、突然失踪した社員の後処理、顧客からのクレーム対応に新人研修、平行して無茶な納品スケジュールに間に合わせようとするも手際が悪いと上司から叱責を喰らい…平社員の自分がこれだと、社内で有給をとれている人間も少ないことだろう。
 と、ここまで考えてはたと気が付いた。

 うちの会社にまともな社員は僕一人しかいないらしい。

「それ見たことですか。あなた以外の社員はみな身の危険を感じて辞めていったんですよ。会社そのものが“憑かれて”いる、とも言えますがね」

 怪獣のくせに厄介な口を利く奴だった。僕自身の心身に異常はないし、うちの会社がブラックだとでも言いたげなその様子は、名誉毀損罪として訴えることも可能ではなかろうか(僕が法律に決して詳しくないだとか、この生物に人間の法律が適用されるのかという問題には蓋をして)。
 たしかに多少過酷な環境ではあることは認めるが、社会人であればこれくらい普通だろう。そうでも思っていなければ、この社会では誰も働いていけない。

「そこが異常だという話ですよ。自覚の有無にかかわらずあなたの状態はぐらついていて危険なんです。と、いうわけで」

 また次の瞬間、僕は仰向けに寝かされていた。
 正確には、怪獣のだだっ広い腹の上で仰向けになっていた。

 この一瞬で何が起こったのかわからず、戸惑って頭上の影を見る。

「怪獣がヤシの実を喰らったような顔しないでくださいよ。あなたに必要なのは休養と療養、そして癒しです」
「癒しはともかく、休養と療養って何か違うのか?」

 南国風味の怪獣か…と考えながら怪獣のもふもふとした毛並み(?)に身を委ねて聞いてみた。なんだかこいつ、なんでも知っていそうだし。

「その辺は帰ってからググりなさい」

 一気にメタ感が出る返事だった。
 というか、グーグルは生物に共通して認識されてるのかよ。大企業、おそるべし。
 
「ところであなた、趣味とか好きな物とか、心が休まるようなものはないんですか?」
「んん、あー、そうだな……思いつかん」
「まったく?」
「全然」

 呆れたようなため息が聞こえる。そんなに悪いことを言ったかな。

「憶えてもいないんですか。仕方ない」

 パチンと音が鳴る。……パチン?

「きみは指が鳴らせるのか?というか、指があるのか?」

 軽く鳴らされた音に驚き、左右に投げ出された腕を見ようと奮闘していると、怪獣に笑われた。

「失礼な人ですねぇ。あなたにはそう見えているだけで、私は何でもできるし、何にだってなれるのですよ」
「何を言ってるんだ…」
「見えているものがすべてではないという話です」
「はぁ」

 なにを今更当たり前のことを。そう思わないでもなかったが、彼の合図によって眼前に現れた星空の方が僕には重要な問題だった。
 

「…知ってたなら聞かなくてよかっただろ」
「さて、なんのことやら。本来なら心に向き合って自分自身で思い出していただきたかったのですがね」


 そう、趣味であるはずの天体観測などすっかり忘れていた。

 こうして星を見るのはいつ以来だろう。

 仕事以外のことを考えるのは何日ぶりだろう。

 一日に何十時間もPCのディスプレイを眺めていることが当たり前になってしまったのは、いつからだろう。
 
 年甲斐もなく、涙が出た。
 
「…ありがとう。いい眺めだ」

「どういたしまして。ちっぽけな人間社会を飛び出して大自然に囲まれるのも、なかなかに乙でしょう。ご自分の心を守るためですから、目の前のことに囚われず、手を変え品を変え、時には種族だって、変えてみてもいいのではないですかな」
「いや、種族は変えちゃダメだろ」
 

 最初は心の底から不審に思っていた訪問者だが、昔馴染みの知り合いのように、まるで自分自身であるかのように、すっかり打ち解けてしまった。

 好きな星、思い入れのある星座、休みがあったら行きたい場所、初めての失恋、バンドの解散理由にいたるまで、いろんな話をした。背中に感じる体温は余計な口を挟まずただ時折、へぇ、だの、それはそれは、だのと相槌を打ってくれた。
 
 久しぶりに感じる、心地良い穏やかな時間。彼のおかげで、僕自身も知らなかった自分―忘れてしまっていた自分を取り戻すことができたように思う。

 気が付くと朝だった。森の中で過ごした時間を証明するものは何一つ残っていない、自宅のベッドで起きるいつもと何も変わらない朝だったけれど、その日やるべきことはわかっていた。


 もう用のない会社を出て、昼間の街に繰り出した。ビル街を一歩進んだ場所から見る青空は、昨晩森で見た星空のようにどこまでも遠く広がっている。

「…ハローワークでも行ってみるか」

 家に帰ると、友人が座っていた。

「おかえりなさい」
「あぁ、ただいま」

 不思議とかわいく見える。彼とはこれからも仲良くやっていけそうだ。

ーーーーー

毎日働いていらっしゃる皆様方に感謝と応援の気持ちを込めて。
どうかご無理なさらず、ご自愛くださいませ。

最後に、
センダック『かいじゅうたちのいるところ』
村上春樹「かえるくん、東京を救う」
類似点があること、承知しております。ご不快に思われましたら申し訳ありません。
素敵な2作品と出会えたことを嬉しく思います。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました🌳

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?