上京生活 i

私は現在、都内でスタジオマンをしている。私の働くスタジオは、企業の規模で例えると大企業と中小企業の間に位置しており、最大手ではないが知名度はある。大きい撮影案件が多いため拘束時間が長い。その代わり、有名なカメラマンや俳優なども多く訪れるためそれぞれの人柄や仕事ぶりがよく分かり面白い。

今日から、私の上京生活についてなるべく時系列でお話していこうと思う。

3月。ずっと憧れていた業界に即就職が決まり、心躍らせていた。今までバイトもインターンも落ちたことがない為、今回も受かるだろうと当たり前のように思いながら応募をした。それもそのはず、幼い頃からませた子供だった為、常に自分の進路のことばかり考えていた。就活が始まる前から自己分析をしていたのだから、ある程度自分の考えや気持ち、熱量がが言葉としてまとまっていたのだ。

さて、ようやく0から1の世界に踏み出すことができた。わざわざ東京に出てきたのは、第一線で活躍している同業人を間近で見たかったから。カメラマンじゃなくてもいい。東京には数多の「その道の一流」がいる。もちろん名古屋や大阪、地方にも彼らが沢山いるのは知っているが、日本の中心としての東京を自分の目で見て感じたかった。期待も憧れも嫌悪感も、特になかった。どんなもんか、という興味だけがあった。

母子家庭で、ましてや私大に通わせてもらっていた私には、親元を離れて一人で暮らす余裕なんてこれっぽっちも無かった。私自身も一人暮らしをしたいなんて思ってもいなかった。大学を辞めるまでは。

「大学を辞める」というのはつまり「学歴を捨てる」ことであり、ましてや『この業界に入る』というのは『普通の人の暮らしを手に入れることが難しい』ということだ。気持ちの覚悟はできていた。ただ、この険しい世界を生き抜くにはまだまだ足りない力が多かった。21年間親元で暮らし、母の愛に包まれ何不自由なく元気に育った私は一人立ちすることを望んだ。親元を離れて、自分一人でも立派に生き抜く力をつける必要があった。自分の人生を歩むにあたって、避けては通れない道だと思った。

3月25日、新宿行きの夜行バスに乗る為に母の運転する車で最寄駅に向かった。何を話したかは覚えていない。ただ、車を降りた時に母が私の手を強く握りしめて寂しそうにハグを求めてきた時は熱いものが込み上げた。泣くのは堪えた。

今まで毎日のように見ていた母に次会えるのはいつなんだろう。母に会うということが貴重になるなんて思ってもおらず、たまにあと何回母に会えるのか心配になる。できる限り会おう。愛おしいひと、大切なひと、大好きなひとには会える時にもう十分というくらい会っておきたい。母親が愛情深い人間なので、私もそうなってしまった。私は不器用だし、今は心に余裕がないから母のように全てに愛を注ぐことはできないけれど、母や周りの人からもらったもの、自分で育んできたものは全部作品に昇華させたいと思っている。

私の愛は作品に込めるから、見ててね。


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