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此岸


本当は、私は、約束をしたかったのです。
「私は必ず、先生の葬式に出てみせますよ」と。

先生が、これまで何人もの人との永訣を経験してきたことか。
それを本人以外、ましてや私のような、未熟者が語るべきことではないですが、僕は葬式に出た後に見せる、先生の、あの寂しそうな微笑を何度も前にしてきております。
先生を通して知り合い、親しくしてくだすった方々は多く、その方々の葬式に、僕も招待して頂くことは少なくありませんでした。
そんなとき、先生は「一緒に行きませんか」といつも誘ってくださいました。毎度のように僕は、一緒に行っていいものか悩んだものですが、毎回先生からのお誘いでしたし、お言葉に甘えて同行させて頂いておりました。

何よりいつの日の葬式だったか、帰りに先生が僕の目を見て、しばらく、長い沈黙の後で溢した言葉があります。
「葬式というのはいつまでも慣れないものですね」

僕は「慣れなくて良いものだと思います」と話しました。
視線を畳へ移した先生は、ふっと、やんわりと笑うのです。
「葬式の後はなんとも虚しく、どこか心が裂けてしまいそうなのですが、君がいると、何故でしょうね。少し地に足がついた心地がします」
僕は何も答えず、答えられずに、先生を見ていました。

何を答えるべきか、またそのようなことを考えている事こそ、先生の気持ちに対して無礼なのではと考え込む。いや、その時はもっと、思考能力は平時以下程度に働いていなかったかもしれませんが。

「君に気を遣わせるような発言になってしまったら申し訳ありません」だなんて、先生が消えてしまいそうな表情で僕に詫びるものですから、僕はそんなことはない、先生にそう言って頂けたことに驚いただけだ、と返しました。
慌てて言葉を紡いだことを、今は少し、後悔をしています。
あれは、たしかに僕の本心でありましたので、そのことが伝わっていたか不安です。

それでも先生は、葬式、特にその帰りに僕がいると、ほのかに生きている、此の世にいる心地がするのだと言って、僕も交流を持っていた人の参列には毎度のように誘ってくださいました。
僕があまり面識がない人であれば、無理に誘いはせず、それでも、その日や翌日は食事に誘われたり、家に呼ばれたりしました。別段何か戯れる訳ではなく、微睡むようにただ時を過ごすだけでしたが、先生にとっては、僕とのそんな時間が少なからず、心の拠り所になったと言うのです。
この掌から溢れそうな心持は、これから先何処までも忘れる事はありません。



架空の文豪の随筆です

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