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【深夜中毒】#4 悩み散歩

こんばんは。haruです。

久しぶりの深夜中毒の記事となりました。

今日のお題は「自分と他人の境界線」についてのもやもやです。



【深夜中毒】とは
ひたすら何か考え事に耽ったり
煙草を吸いながら右から左へ抜けていく程度の
思考力0状態のまま、綴る日記のようなもの
そんなことにお付き合い頂ける方のみ
のんびりお読みください



境界線

自己というのは、他人の存在を認識してこそ自覚出来る
と、何かの記事で綴ったことがある。

ただ、他人の存在や意識が自己に与える影響というのは大き過ぎるがあまり自分の力量やキャパシティを見誤ってしまうことがある。

私も例に漏れず、真夏のアスファルトを見ているかの如くその境界線がゆらめいて見える今日この頃。

ここ最近考えることが山積みで、そのどれもがすべて私がやらなければならない範囲に見えて疲弊している。

別の記事では「こんな風に思考の整理をしているよ!」みたいな記事をあげているクセに、ちょっと心に余裕が無くなったからってこれだ。まったく自分の言葉に責任が持てていないな、と自嘲の笑みが溢れてしまう。

余裕のある時であれば一つ一つ分けて考えることが出来るのだが、それが出来ないということはきっと心の余裕が無いんだろう。

その理由こそ、境界線にある。


自分で出来ることと出来ないことの範囲

他人の行動は自分ではどうにも変えることが出来ない。

私がいくら行動しようとも助言しようとも決めるのは相手であって、それは逆もまた然りだ。

ただこんなにも上手く噛み合わないことが続くと、どうしても疲れる。

私は性格のせいもあるのか、育ってきた環境もあるのか、人と人との中立に立つことが多い。
本来であれば本人たち同士で解決してくれることが理想ではあるが、そう上手くいかないからこういう状況に引きずり込まれる。

仲裁に入る私はあくまで第三者であって、当人ではない。だからこそ第三者である私は慎重に言葉を選んで話を聞いたり、発したりする必要があると私は考える。

ただ先程も述べたとおり、他人の行動は自分で変えることが出来ない範囲にある。だからこそ人間はぶつかる。

「他人の行動を制したい」
「自分の思い通りにことを進めたい」
なんて烏滸がましいにもほどがある。

まあ、私が何を言いたいのかと言うと「自分を一旦客観視しろよ!!」ということ。

客観視って難しい

当人同士でどうにかならない問題なんてこの世に山程あると思う。

しかし自分を客観視することはそんなに難しいことなのだろうか。

例えば、ムカつく上司にキレ散らかしそうになる前に何故このような経緯に至ったのか考えるとか、壁にぶち当たったとき何故それが壁だと感じるのか、原因を探すとか。

それが出来るか出来ないかで、一歩先の行動が(これは相手でも自分でも関係なく)分かるようになると思うのだけれども。

これも「自分の思い通りにことを進めたい」ってことなのか?
と思考がグルグルして止まらない。

だからと言って私もこんな愚痴っぽい文章を垂れ流している時点で人のこと言えないよなあ。

ああ、客観視って難しい。

自分の価値観を人に押し付けるなんて出来ないしするつもりもないのだけれど、そんな人が少しでも増えてくれないかなあ…なんて考えてしまう。


こんなに自分の悩みをだらだらと綴ったことはない。
自分で書いていて少し恥ずかしくなってきた。

ただ一つ思いついたのがこの【深夜中毒】、お悩み相談所に出来ないかしら。先日「ラジオのような文章が書けたら」という記事を投稿したけれど、それにこの【深夜中毒】が当てはまりそうな予感がしている。

同じような悩みを抱えている人に向けて何か発信出来るコンテンツになりそうな予感がするのだけれど…需要あるかなあ。

とりあえず今夜は煙草もなくなりかけてきたし、この辺で切り上げよう。


需要があればお悩み相談所しよう。
どんな些細なことでもコメント来ると嬉しいな。

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