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苦手なことにトライすることも努力だけど、得意なことを伸ばすことだって努力だ。

努力とは、1日24時間のうち睡眠時間を除いたすべての時間をあてて行うものだ。

そう語ってしまうところが、人に「真面目」とか「ストイック」とか言われる所以なのだけれど、本当に努力している人とはそういうものだと、私は思います。


努力の種類

努力には2つの種類があると思っています。

1つ目は、苦手なことを克服するための努力。
2つ目は、得意なことをさらに特化させるための努力。

私たちは何かをしよう、達成しようと思うとき
前者だけを努力だと思いがちだと思います。

「こんな自分ではダメだから、変わらなきゃ」
「ここが自分の苦手な部分だから、直さなければ」

そんな気持ちが根源にあって努力している人は少なくないと思います。少なくとも私は、それを根源に努力しようと行動したことがあります。

努力の敵

自分のマイナスな面を根拠にして、良い方に変化したいと思うことは悪いことではないとは思います。むしろ素晴らしいこと。

ただ、それが続かなかったとき、達成出来なかったとき。

どうして自分はこんなことも出来ないんだろう。
あの人は出来ているのに何故自分はこんなにダメなんだ。

そう思ってしまったり、人と比べたりして落ち込んでしまいます。
そんな気持ちから、頑張って来たことを投げ出してしまうことがありました。そして自己肯定感が下がるという悪循環が出来上がる。

もったいない。
これは本当にただ、もったいないことだなと思います。

別に、苦手を克服することだけが努力ではない。

単純に、その方法が自分には合わなかっただけかもしれない。
向いていなかっただけかもしれない。

ですがそんなときは視野が狭くなりがちで、
自分を全否定してダメな人間だと自らレッテルを貼ろうとしてしまいます。

努力が難しいのは、この悪循環に勝てないからです。

苦手を克服することだけが努力ではない

最初にも申し上げましたが、苦手を克服することだけが努力ではないと、私は思います。

誰だって得意なことや好きなことのひとつやふたつ、あるはずです。

人の話を聞いてあげるのが得意。
歌を歌うのが得意。
食べ物を美味しそうに食べるのが得意。
なんでもあるはず。

たまたま生まれ持った得意もあると思いますが、環境が生み出した得意もあると思います。

それに目を向けて、自分の得意とする部分をもっと伸ばしていこうと思う人って、すごく少なくないですか?

もうある程度出来るしいいや、と思ってその「ある程度」で満足してしまっている人が多いな、と感じるときがあるのです。

自分の得意なことをもっと伸ばすことは、マイナスを0にするよりも簡単だし、何より楽しみながら出来るのではないでしょうか。

先程もったいないと言ったのは、「その可能性を捨ててしまっている」ことだと思うからです。

もっと自分の得意なことに目を向けて、特化させていくことだって立派な努力なはずです。

努力のハードルを上げすぎないことも大事

特に完璧主義の人は、努力のハードルを自分で勝手に上げてしまっていることが多いと思います。

例えば1日24時間のうち、8時間が睡眠時間だとしましょう。
残りの16時間をすべて努力している人は、本当に努力家の人。

しかし、1日8時間しか努力が出来なくて、残りの8時間は堕落した時間になる場合、果たして努力したはずの8時間はないことになってしまうのでしょうか?

答えは否。
24時間のうち、8時間はきちんと努力しているんです。

それなのに、16時間も努力している人と比べてしまって「こんなんじゃダメだ」と勝手に思い込んでしまう。
それでは、自分の努力を全否定していることになってしまいます。

ずっとずっと努力出来る人なんてそういるもんじゃありません。そういう人は基本的に変態です。

たしかに16時間頑張れたらそれはすごいことかもしれませんが、それを毎日、毎月、毎年続けることを考えたら最初から腰が引けてしまいます。

自分の出来る範囲で、続けられる範囲で努力する。
例えばそれが10分だろうが1時間だろうが、向き合ったことは0にはならないと思います。

それを継続していけば、思いもよらないときにその努力が実ったんだと実感出来るときがやってきます。

努力とはいわば貯金に近い。
1円玉も長く貯めていればいつの間にか想像以上の金額になっているように、努力もいつの間にかそれが形になって現れるのです。

努力の使い分けでポジティブに生きる

2種類の努力は、どちらも自分を高めるためには大切なことです。

すべてが残念な人間なんていません。
人がこれだけ溢れる世界で、得意なことも人それぞれ。

得意なことって自分では当たり前に出来ているからこそ、自分だけじゃ気付きにくいんです。

そんなときは人からの意見を聞くと新たな発見が生まれるかもしれません。

自分で自分を卑下する前に、
そんな使い分けもあるということを忘れないで生きていきたいですね。

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