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SNSのおかげで1人じゃないことを知った。でも特別でもないことも知ることになった。

小学生のころから死にたいと考えていた
小学生のころから何とはなしに生きづらいと考えていた
大人になんかなりたくなかった
大人になる前に死んでやると思った
高校を卒業したら死んでやると思った
でも私は今24歳を生きている

中学生の頃みんながガラケーやiPod touchを持ち始め、
揃いも揃ってTwitter(現・X)のアカウントをつくっていた。
私もその1人で、日夜Twitterでツイートに勤しんでは
「ひるほー」だの「よるほー」だの「ふろりだ」だのと呟いていたものだ。
おかげさまでインターネットネイティブに程近い私は
ネットリテラシーがあったのかなんなのか、
SNSで繋がった人たち用、リア友(リアルで知り合い)用と
アカウントを使い分けていた。
いまはもうリア友用なんて持っている人の方が
少ないのではないかと思えるほどだが。
SNS(以下略)用のアカウントでは
自分の年齢や住んでいるところも隠し
同じ趣味を持つ人と他愛もない会話をするだけのアカウントであった。
当時は仲良くしてくれた人たちはほとんどが大人だったと記憶している。
大人になるとやはり悩みが多かったりするのだろう
いわゆる”病みツイート”なんかもよく見ていた。
病みツイートをする人の元には病みツイートをする人が集まる。
病みアカなるものが一大勢力だった頃もあったろう。
(これは、私のいた界隈のみかもしれない)

病みツイートがTL上に並ぶのは圧巻だった。
それに自分のように普段から
「なんとなく死にたい」と考えているひとは
案外多いことにも気付かされた。
それが嬉しかった。
訳もわからず何となく死にたい、
死にたくないけど生きていることが無理、
◯◯歳までには死ぬ・・・私と同じように
考えている人がこの世にはごまんといることが嬉しかった。
安心した。
人は産まれ生きることが最も幸福なことで、
私以外の誰も死にたいと思うことなど無いと思っていたから。
私と同じ考えを持つ死にたがり人がいると知れたことで、
私はまだ生きていけると思った。

しかしそれと同時にがっかりした。
私がこの世を憂いで早死にしたがっているのは
私だけのものだと思っていたからだ。
完全に悲劇のヒロイン症候群だが、
当時ケツの真っ青な中学生だったのでご容赦願いたい。
それまでの私は、そんな「いつか死んでやる」という気概で
日々を生きていた。
みんなが驚いて、悲しむような時に死んでやると。
若者の自殺率の高さなんて露も知らなかった。
なーんだ、みんな死にたいんだ。
私だけじゃ無いんだ。
特別だと思っていた希死念慮は案外みんなのものだったのだ。
SNSは仮想空間のくせに現実を叩きつけてきたのだ。

あれから10年以上が経ち、
SNSというものは仮想空間から現実になってしまった。
もうだれも「ひるほー」や「よるほー」や「ふろりだ」なんて
呟かなくなってしまった。
ただの独り言の場が、一気にビジネス街になってしまった。
それでもたまに、誰かがポン、と「死にたい」と呟く
それにイイネが押される
「死にたい」という気持ちに共感の輪がつながっていく
「死にたい」は自分1人だけの特別な感情ではない。
この世における感情のちっぽけなひとつだ。
SNSと共に成長した私が学んだことだった。

しかしながら今でも長生きする気はさらさら無いままで
いつ蒸発したり死んでしまってもいいように
一人暮らししている部屋にはなるだけ荷物を増やさないように生活している。
いつか死ぬ、そのことが
今日を生きる活力になっている。

矛盾した話のようだが、
それで24歳まで生きたんだからいいだろう。


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