見出し画像

破滅型と熟成型:エイミーとフィオナ編

過去記事で言及した破滅型アーティストと熟成型アーティストについて、思いに耽ってしまうことがよくある。

今回は若くしてスーパーブレイクした2人の大好きな女性アーティストAmy WinehouseとFiona Appleについて、ブレイク当時からリアルタイムで彼女たちの作品に感動させてもらい、支えられてきた私の思いを書いてみたいと思う。
あくまでも私の勝手な考察と想像に基づいて…

2人とも、とっても繊細で、感受性豊かで、類い稀な才能を持っており、そして幼少期からなかなか壮絶な人生を歩んだと思うのだが、それぞれ違った道を辿っていた。

Amy Winehouse(破滅型)への想い
Amyとの出会いはセカンドアルバム”Back to Black”だった。
そこから遡ってファーストアルバムも聴いたが、”Back to Black”を聴いた時の衝撃は上回らなかった。
セカンドアルバム制作時は、すでに悪名高い(のちの元)夫と出会った後で、彼の影響でドラッグとお酒に浸り始め、闇が顔を出していたはず。
ファッションやメイクはとんがって、タトゥーが増えていた。
そして、どんどんガリガリになっていき、しまいにはステージでまともに歌えなくなっていき、タブロイド誌お騒がせセレブ化したが、ゴシップとしてより、どんどん弱っていくその姿に胸を痛めた人も多いのではないだろうか。

私にとって、Amyの最高傑作は、Shepherds Bush Empireでの”I Told You I Was Trouble: Live In London”だ。
本格闇突入間もないころ、バッドボーイを一心に愛し、線香花火の松葉のようにいちばん輝いた瞬間が切り取られているかのようで、あのライブは声の伸びも曲も雰囲気もアレンジも素晴らしくて、繰り返し視聴してしまう。
他のステージや音源がどうしても霞んでしまうくらい輝いていている。
いつまでも最高のステージ。
彼女が儚くこの世を去ってしまったから。

愛する人が他の女と子供を作って、彼女はどんなに傷ついただろう。
自分でもその傷の深さを理解できていなかったのじゃないかな。
彼女の訃報で、もう二度とライブに行くことも、新作を聴くこともできないという事実が心に重くのしかかった。
だからこそ、Shepherds Bushのライブの秀逸さが心に刻まれて、いつまでも輝き続けているのかもしれない。

Fiona Apple(熟成型)への想い
フィオナは、ファーストアルバム”Tidal”から、色んなことに傷ついてぼろぼろの私にいつも寄り添ってくれた。

琴線に触れる歌詞。
叩くように弾くピアノは、どこにもぶつけられない理不尽への怒りと悲しみ。
10代にして形成されていた深い思考と心の叫び。
それらが私の孤独を和らげてくれた。

海外でホームシックになっていた私に、姉が日本限定盤のフィオナのCDを送ってくれたことがあった。
泣けちゃうほど心に沁みて、なんだかんだあっても、本当に落ち込んでいる時はいつもそっと寄り添ってくれた姉との大切な思い出のひとつになった。

帰国後、一度だけ来日してくれたフィオナのライブに幸運にも行くことができた。一緒に行った人に恥ずかしいと思いながらも、感動で涙が止まらなかった。(やっぱり生はすごい…魂震えるもの…)

外野に影響されないというか、自分のペースでしか制作しないのか、6-7年に一度ぐらいしか新作を出さないフィオナだけれど、毎度色濃く、深みを増した作品を出してくれる。
最新作の"Fetch the bolt cutters”は最高傑作と言っていいかもしれない。
彼女は本当に音楽を愛して、そして、身体の一部のように使いこなしているよう。
彼女のように強く、そして、自分を大切にして、年を重ねたいと思う。

「どちらも大好き」そして「ありがとう」

2人は愛した男とどう決別したかで道が分かれたような気もする。
失って崩れ落ちてしまったのか、落下寸前で自分を取り戻したのか。

破滅型は奇跡的最高傑作を心に焼き付けてくれる。熟成型は新しい扉を開き続けてくれる。

Kを失った後、とりあえずここまで生きながらえた凡人の私としては、身の丈にあった範囲で、なんとか熟成型人生にしていきたいものだ。。。

#音楽 #アーティスト #日記 #心の記録 #amywinehouse  #fionaapple

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?