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パースペクティブ歴史探索

 資料集めのためにいくつか書籍を漁って読んでいたところ、思いがけない名前が出てきた。
 私が読んでいたのはフランシスク・マルナスによる『日本キリスト教復活史』で、内容は開港前後の日本におけるキリスト教再布教期の記録である。
 16世紀のキリスト教布教時代の回顧からはじまり、パリ外国宣教会が日本に上陸する以前の琉球時代(1844年ごろ)から信教の自由を得るあたりまでが詳細に書かれている。
 この著者の名前は、他の資料でよく見かけていたものの、読むのは初めてなのである。

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 それで、目次からてきとうにいくつかを選び出して読んでいたところ、不意に出てきたのがヴェルニーの名前だった。
 何か見たことのある名前、とおもった。南房総の野島崎灯台の技師ではないか、ささやかな記憶をもとに調べると、間違いなかった。フランソワ・レオンス・ヴェルニーだ。

 ヴェルニーのことは少年時代を南房総の千倉で過ごしたという、イラストレーターの安西水丸さんが書いたものの中で知った。彼はその灯台に異国の風景を感じたのだというので、私のイメージでは何か、のんびりした南房総(行ったことないけど)の海辺に、そこだけ日本の漁村とはおもわれないような景色が広がっているんだ、と、そんなふうに受け取っていた。

 先のマルナスによる本の中では、ヴェルニーは横須賀海軍工廠の建設をした人物として登場した。灯台の他にもそのような仕事をしていたのか、と驚いた。
 ちょうど(?)いま、日露戦争を題材にした小説を読んでいて、当時の日本の海軍のこととかが書かれているのだけど、そのあたりの事情などを私は実によく知らない。
 それで、ヴェルニーの名や横須賀海軍工廠ができたあたりの部分を読んで、日露戦争よりもっと以前の、日本が西洋に倣っていくあたりの時代だ! と体温があがったのであった。
 パリ外国宣教会と、このヴェルニー(横須賀海軍工廠)のつながりは、そこに従事するフランス人たちのための礼拝堂があり、その世話をパリ外国宣教会の司祭らがおこなっていたらしい。

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 どんどん読み進んでいって、浦上四番崩れのところなども興味深い記述が多かった。
 これまで私が読んだことのある、浦上四番崩れに関する文章というのは、その迫害の度合いとか、捕縛されのちに全国各地に流配された信徒たちが置かれた状況が、いかようなものだったかを伝えるものばかりだった。わかりやすくいうと、同情を引くような記述ということである。
 けれど、この本に書かれているのは、もっと俯瞰的で、視点がさまざまで、そういうところにとても好感が持てた。
 事件のきっかけのところから、それをとり巻く各国の事情と、それぞれの対応がどういう立場から取られたかをよく説明してある。

 眉に唾をつけたくなるような美談じゃなくて、そういうものを私も書けるようになりたい。

 別のところ用のテキストのための資料集めの最中なので、書くエネルギーはまずそっちを優先したいのだけど、そのうちにここにも、何か書けたらいいな、とおもっている。

 野島崎灯台を訪ねて房総半島を旅してみたい、ともおもっている。

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今日の「絶句」:仕上げにパセリを振りかけるところで、フタの開けかたをし損なった。ほんのひとふりでいいところ、大さじ1杯くらいを投入してしまいましたよ。こうばしかったです。


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