返事はイエスかハイ
戴きものはありがたいことだけれど、ときどき困ってしまうこともある。何ごとにしても加減というところには気をつけたい。
ここ最近だと、少し前に、畑でとれたばかりのさつまいもを袋いっぱいいただいた。一緒にいたKさんにとってはさつまいもは魅力を感じないものらしく(つまり要らないと言われた)、ひとりで持ち帰った。時間や体力に余裕があれば母のところなどに配って回るんだけれど、あいにくそんな気分にもなれず、少しずつ消費した(まだ特大のがひとつ残っている)。
ついこの間は玉ねぎで、これも袋にぎっしり。少し分けさせてもらったものの、ひとり住まいには多すぎる量をこつこつ消費する日々を送っている(友人に声をかけたけれどまだとりに来ない)。
つい何日か前には、箱でちまき(あくまき)が届いた。事前に電話をもらっていて、たくさんいただいても食べきれないことや、配る人もそういないことを伝え、それにわざわざ送っていただくのも恐縮してしまうと(無駄と知りつつ)言ってみたのだけれど、届いてみるとやはり箱入りで、数でいうと20個はあった。
ここ数年いただくこの手づくりのあくまきは、おいしい。でもどれだけおいしくったってふたつも食べれば充分である。どう考えても20個なんて消費しきれるものではない。困った。だめにしてしまうのも胸がいたむので、事務所に持っていってなんとか分けきれるようはたらいた。ふう。
このようにして、いただきものがあるとそれを配ってまわることに労力をかけるか、しばらく日数をかけて食べ続ける羽目におちいるという、ちょっとした苦労に見舞われることもある。
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玉ねぎといっしょに、貝をもらった。ちょっと前の『ミナ』とちがって生だったから、ふるえながら他の人に譲ろうとしたけれど無駄だった。翌日から留守にする予定だったから、早めに調理しないといけないのが負担だったのだ。でも好意で差し出されるものにはイエスの他に選択肢はない。わりとくたびれていたけれど持ち帰って、おすすめの味噌汁にした。
初めて食べる貝だった。名前を言っておられたけれど覚えられなかったからちょっと調べてみたところ多分『ムラサキインコ』か、あるいはそこらへんの所属の貝であろう。おいしくできたものの、人差し指かそれより小さな貝を幾つもこじ開けて食べて、またくたびれた。
戴きものってたいへんである。
↑『ミナ』の話。
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今日の「ノー」:そういえばうちのボスも人にモノ(ほとんど食べ物)を配るのがすきな部類だけれども、ボスにはきっぱりとノーが言えてしまう。うーん。
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