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交響曲がうつしだすたましいのなかみ

 ある事情でベートーヴェンの<交響曲第9番 (合唱付き)>を集中して聴いた。経緯や理由についてはとくに書くつもりはない(興味のあるひともいないだろうしね)。

 Apple Music内で探して、Bose SoundLink Mini IIから、あるいはアシダ音響のヘッドホンST-90から(どちらも戴きもの)、カラヤン指揮の演奏を、おとなしく。

 すると何が起こったか。目の前が真っ暗になって、意識が遠のいた。
 ・・・つまり眠ってしまったのだ。しかし、私は思いだした。こういうこと、前にもあったな。
 ショスタコーヴィチの交響曲第5番(Leonard Bernstein:New York Philharmonic Orchestra)を聴いたときだった。

 うまくいえないけれど、どちらのときも、たんなるうたた寝というのとは違っていた。そもそも私はふだん、あまりうたた寝をしない。よくわからないうちに真っ暗なところに引きずり込まれていくみたいな、そんな感覚がした。そして目ざめてみると、みょうに頭のなかと全身がしびれていて、しばらくするとすっきり冴える。
 私の無意識に沈んでいる色んなものを、明るいものも暗いものもぜんぶ、ずるずるととり出して「ほら」と見せられた気もちがする(でもあんまり憶えていない)。

 私は音楽のことを(も)よく知らないから、きちんとした分析とか解説みたいなことはできないけれど、こういうものすごい交響曲にはなにか、そういう力があるのかもしれない、とおもった。

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 これはたまたまなんだけど、ちょっと前から遠藤周作氏の『王妃 マリー・アントワネット』の再読をしている。フランス革命に向かってゆく時代をなぞっているわけだけども、それが「第九」につながっていく時代であるところに、ちょっとした共時性みたいなものを感じたりしている。

 ちなみに気絶は初回だけのようで、たとえばショスタコーヴィチのを眠れない夜に流してみたりしたときは、眠くなったりしなかった。

 まあ、わりとどうでもいいことですね(いつものことだが)。

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