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巡礼だろうか

 数年前から縁のある土地「外海(そとめ)」。以前は西彼杵郡外海町といったが、2005年に長崎市に編入されて町名としては残っていない。この外海地区の中の神浦(こうのうら)の山の中に「次兵衛岩」と呼ばれる洞窟がある。伝説の神父 トマス金鍔次兵衛が隠れたと言われている。

 1602年頃に大村に生まれた次兵衛、のちに殉教したと伝わる両親は敬虔な信者であったらしい。6歳で有馬のセミナリオに入学した次兵衛は優秀で、神学生となり司祭を志す。しかしキリシタン禁教時代であり徳川家康による慶長の禁教令時に国外追放となりマカオのコレジヨに入学した。1620年、次兵衛が18歳の時に日本に戻りそのまた2年後にフィリピンのマニラに渡り、聖アウグスチノ会に入会した。必死に勉強し、1628年に叙階され日本人初のアウグスチノ会士「トマス・デ・サン・アウグスチン神父」が誕生した。

 1631年、長崎奉行による凄惨なカトリック迫害を知り胸を痛めたトマス次兵衛神父は、マニラに寄港した日本船に変装して飛び乗り帰国に成功した。その時のトマス次兵衛神父は金の鍔の刀を持った侍となっていた。いろいろと試行錯誤し、長崎奉行所の馬丁として働き、つまり敵の懐に忍び込み、昼は馬丁、夜は宣教師となり信者を励まし、告解を聞き、ミサを捧げるといった宣教活動をおこなった。厳しい取り締まりの中、信者が背教するどころか増え続ける状況に苛立ち不審に思った奉行所は、ついに内部を疑って捜査が始まる。

 内部捜査の情報を察知したトマス次兵衛神父は行方をくらまし、外海の山間僻地の洞窟に身を隠すことにした。昼間は洞窟に潜み、夜になるとそこをでて布教活動をしていた。その洞窟が、次兵衛岩である。

 この洞窟に行くには、沢が流れる脇のごつごつした岩の上を片道2時間ほど歩き続ける。上に書いたように山間の、大きな岩に囲われた山深い場所なのでひとりでは入っていかないようにと言われている(電波もほとんど届かない)。また、マムシが出やすい夏場も避けた方がいい。いつもお世話になっている方が次兵衛岩登山の案内役をされていて、2016年10月、2018年11月、2020年2月とこれまで3回行く機会に恵まれた。

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 普段大した運動もしておらず緊張する。足手まといにだけはならないように細心の注意をしなくては。ちなみに、案内役の方は現在78歳である。

 登山道入り口から入っていくと、次第に水の流れる音が聞こえてくる。木々が茂っていてひんやりとする。沢を横切ってから、脇をひたすら歩く道。苔むしているので滑らないように、足をとられないように、進む。だいたいいつも、目的地(洞窟)までの間に2回ほど休憩をはさむ。2回目の休憩場所にはマリア様がおられる。

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 マリア様のそばには湧水をひいた管があったが、経年劣化で途中がきれてしまったようで、今は水が流れてこない。ここで水分補給をしてひと息ついたら、洞窟を目指す。急勾配になる。

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 「次兵衛岩洞窟」。右の奥の方は深く、頭を低くして(または這って)潜んでいたのかもしれない。

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 ずっと、山の中を歩いてきた。ずっと、足もとやいろんな方向にのびる木々の枝にあたらないよう注意をして、歩いてきた。ほんとうにここに潜んでいたのだろうか、にわかには信じがたい場所だった。夜に、伝道をしに行っていたとか、大村や島原の有馬にまで行っていたという説もある。はじめてこの場所に着いたとき、胸にこみあげてくるものがあった。

 胸にこみあげてきたもの、それは言葉にするのはむずかしい。先人への畏敬の念だったり、これまでの自分のおこないが頭を巡ったり、ここに来られた感動だったり、いろいろだ。また、「自然の中を歩く」ことで感じることも普段の生活と違ったものだったのだろう。木々が揺れる音や、水の流れる音、小鳥の鳴き声、枯草のにおいなどどれも心地がいい。

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 長崎奉行所は、トマス次兵衛神父の人相書きをつくり、佐賀・平戸・島原・大村の4つの藩に「金鍔狩り」を命じた。これは大規模な捜査だったが、このときトマス次兵衛神父は江戸に逃げて、将軍家の下働きとして働きながら子どもや家臣たちに洗礼をおこなっていたらしい。これを知り徳川家光が激昂し、江戸でも大捜査が始まった。トマス次兵衛神父はこの厳重な取り締まりのなか25日をかけて長崎に戻り、長崎奉行所の目をすり抜け、現在の戸町の洞窟に隠れながら布教を続けたが、ついに1636年の11月1日に片淵で(外海山中の説もあり)捕らえられた。彼に対する拷問は過酷を極め、半年以上もの間様々な拷問がおこなわれた。過酷な拷問にも信仰をやめず、1637年11月6日に西坂の丘における2度目の穴吊りの刑で殉教した。

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 この洞窟の伝説を聞いて8年かけて場所を特定したのはYさんという方です。外海史跡保存会というのがあり、私が親しくさせてもらっているのはTKさん。Yさんのあとを受けて、案内を続けておられます。また、長崎市戸町の方にも次兵衛神父が潜んだ「金鍔谷」という岩山の洞窟があります。そこはまだ、訪ねたことがありません。

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