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あともうすこしだけ

 いろいろのタイミングで、しばらく足を運べていなかったS地区の教会に、きのうやっと行ってきた。
 いくつか業務のことや、雑談をして、ことしの馬小屋飾りプレゼピオの写真を特別に撮らせてもらった(ほんとうは許可がいります)。

 ひとつめの場所では、着いたらその日の当番のTさんが竹箒で落ち葉掃きをしていた。以前ブロワーを買って渡してあるのにな、とおもったら「体を動かしとかんと、かたまってしまうけん」とおっしゃった。
 その日は私も、そんな気分で遠い駐車場を利用して階段と坂道をあがっていったから、みんな似たようなこと考えるんだな、とおもった(なさけないことに息があがった)。

 Tさんはもと(十字架の道行などの)額縁を作っていたひとで、いまはもうその仕事は引退している。いまはときどき聖具を売りによその教会を訪ねることがあるらしく、そんな話を聞いて過ごした。

 つぎの場所に移動して、TKさんと先述した一連のやりとりをしたあと、TKさん車からごそごそと何かをとりだした。ケーキだった。これは、毎年私の誕生日にと、(TKさんの奥さんが)手づくりしてくれるケーキだ。
 じつは、ことしは別の贈りものをすでにいただいていたから、とても驚いた。私はこのケーキが好きで、それを覚えてくれているようす。うれしいやら、恐縮するやら、いそがしかった(感情が)。ありがたく受け取って、御礼を伝え、その場所をあとにした。

 こういう感じで、自分の誕生日や、12月25日のクリスマスを過ぎた今日でもまだ、クリスマス時期の気分をちびちび味わっている。

シフォンケーキです

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 Presepioプレゼピオとは、イエスの降誕の場面を再現した馬小屋の模型である。発祥の地はイタリア中部、ラツィオ州リエーティ県のグレッチョというところで、そこはアッシジの聖フランシスコにゆかりをもつ巡礼地らしい。
 待降節に入ると、教会ではこのプレゼピオが飾られる。

 この巡礼地について、Vatican Newsには次のように紹介されている。

グレッチョは、標高約700メートル、人口およそ1500人の町。アッシジの聖フランシスコは、たびたび同地を訪れ、隠遁生活をおくっていた。
1223年、グレッチョに滞在していた聖フランシスコは、降誕祭の15日前に、友人のジョヴァンニ・ヴェリタに、馬小屋を作るのに適した洞窟を探し、そこに牛とロバを連れて行き、干し草と飼い葉桶を置き、ベツレヘムの洞窟を再現するよう依頼した。
そして、1223年の降誕祭の夜、最初のプレゼピオを前に深い観想状態にあった聖フランシスコは、イエス・キリストの名を口にするだけで唇を震わせ、目は涙で濡れ、あまりの感動を抑えるため、その名を呼ぶ必要があるたびに、「ベツレヘムの幼子」と呼んだという。
グレッチョの巡礼地は、聖フランシスコの最初のプレゼピオの洞窟を中心に、1288年、最初の形が整えられた。ラチェローネ山の絶壁に造られたこの巡礼地は、修道院と2つの聖堂、聖フランシスコの隠遁所などから構成される。

Vatican News 01 12月 2019, 18:03

 きのう撮ってきた写真のプレゼピオには、まだ東方の三博士はあらわれていない。TKさんが、主の公現の日まで三博士のご像が飾られないことを教えてくれた。幼子イエスのもとに、東方の三博士がやってきて、礼拝をしたというエピソードのことを言っているのだ。

 実は(?)うちの事務所にもプレゼピオの一式があり、毎年「いちおう」といった感じで飾るのだけど、幼子イエスは25日に出現させるものの、三博士は最初からおかれている。
 教会によっては、やはり最初からおかれてあるのを見たこともある。そこらへんはその場所ごとの決めごとや都合によるのかもしれない。

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 年もおしつまってきて、気が急くような感じもあるものの、あともうすこしだけ、という感じで、好きな季節を過ごしています。

クッキーもいただいた

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今日の「眉間に」:帰りの電車がなんだかぎゅうぎゅうだなあ、とおもったら、ジャリっぽい学生の群れのせいだった。冬休みかあ、と、つい眉間にシワがよってしまいました。

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