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旅と巡礼

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近所だったり、ちょっと遠くだったり。旅と巡礼とは切り離せないもののようです。
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#外海

(たぶん)変わりゆくサン・ジワン枯松神社

 数日前にちょっとだけ外海地区を訪問した。いつもお世話になっているTKサンにお付き合いいただいて、枯松神社と子捨川・仏崎を見に行った。  枯松神社というのは、外海の黒崎地区にある場所で、神社というけれど社格は持たない。かくれキリシタンの史跡の一つで、訪問ははじめてではない。  わりとどうでもいいことかもしれないけれど、枯松神社参詣のために車を停めるこの場所は、外海総合公園という公共の場である。車から降りて枯松にむかおうとしたところで、TKサンが、ここは県内で(たぶんそうい

縁の下のサルモン神父

 いつか、とおもいつつずっと訪れることのなかった場所に、先日案内してもらって行ってきました。しょっちゅう行っている、外海の教会のすぐそばにあるんですけどね。 *  パリ外国宣教会のド・ロ神父は1868年に来日し、長崎・大浦や横浜で印刷などの事業と司牧を兼務した。  ところで、あらゆる媒体でド・ロ神父と呼ばれ、すっかりなじみとなっているこのフランス人司祭の名前はMarc Marie de ROTZで、マルク=マリー・ドゥ・ロッツと発音する。deはフランス革命以前に貴族だった

遺構が

 年末に大平作業場跡に行った。  大平作業場というのは、パリ外国宣教会のド・ロ神父が外海地区の主任司祭として司牧をしていた1884(明治17)年ごろに開いた、農園のそばにある建物の遺構である。  以前、何度か訪れたことがあって、そのときには煉瓦壁のみが残る、まさしく遺構だった。ここ数年、この大平作業場跡の保存工事がおこなわれることは聞いていて、昨年秋にオープニングイベントがあったのも耳にしていた。  オープニングイベントのちょっと前、Kさんと訪ねたとき、工事途中の様子を見て

放っておいてくれと言われそうなささやかな疑問

 前回の記事で外海のことをちょこっと書いたんだけど、昨日からは平戸の資料をあれこれ探して読んでいるところ。  それぞれの地域に共通する信仰形態に「かくれキリシタン」がある。  共通するとはいっても、成り立ちに違いがあって、それゆえ中身もけっこう違うものになっている。  私はどちらにも詳しくはないのだけれど、とくに平戸方面のかくれのことはよく知ろうとしてこなかった。  平戸島の北西部と、平戸島の北西にある生月島のエリアのこととなると、意識がなんとなく拒否をするし、そのあたり

脳内が散らかっている様子がよくわかる雑文

 ある目的のためにいくつかの文章を書くことにした。このnoteみたいに、好き勝手に何でもかんでも書いていいわけではないものなので(あたりまえ)それなりのものに仕上げたい。  それで日々調べものをしつつ、確認しつつ、噛みくだいたり、上下左右に付け加えたり、あるいは削ったり、みたいなことをやっている。  それは教会まわりの色々で、資料がわりと豊富なところもあれば、手持ちがないこともある。資料に使えそうなものはなんでも目を通すよう心がけているんだけれど、そんなもののひとつに教会

フランス人のピエールさん

 5か月ぶりに下五島にきているのだけれど、今夜は先日の外海でのことを書きたい。  私の日常は、港のそばにある事務所でのこまごました作業とか、銀行に行くなどの近所まわり、そしてときどきは離れた場所まで御用聞きに行くという、そんなふうである。自分の業務においてはほとんど自分でコントロールしているから、指図をされたり、誰かと協力して業務をこなすとかいうのは少ない。つまりひとりでぼつぼつと仕事をしてばかりいる。  それで、その御用聞きの先は、観光に来たひとたちを受け入れる側の業務で

プチプチだった

 仕事場での飲み会というのが好きじゃなくて、ほとんどぜんぶを断っている。下戸というのもあるけれど、ああいうのって純粋に消耗でしかない(個人的な意見です)。  ところが先日、取引先の社長と職員、うちのボスという顔ぶれのものに行くはめになった。どうにも断れない状況というのがごくたまにある。  仕方なく行ったけれど、やっぱり、すごくぐったりとくたびれてしまった。私はこういう場で、それが目上の人であってもひとことふたこと勧められたからといって、飲みたくなければ飲むことはしない。うち

身近な土地のちょっとした探検

 久しぶりに外海に行って、TKさんに会ってきた。御用伺いといったところである。変わらずお元気そうだったので安心した。  この日は少し時間をとってきたため(いちおう仕事です)、以前から気になっていた場所に連れて行ってほしいと頼んでみたところ、快諾してくれた。TKさんは私に甘い。行きたいのは樫山という地区だった。  そこに何があるのかというと、茂重という殉教者の墓所だ。赤岳と呼ばれる御岳のふもとに大神宮があって、そこには茂重をたたえる顕彰碑がある。2017年の年末に、この大神宮に

大島大橋を渡って

 ちょっと前に醤油の記事を書きました。  私のお気に入りの醤油のこと。醤油っておいしいですよね。子どもの頃なんか、板海苔(味のついてないやつですよ)に醤油をつけたのでご飯を巻いて食べるのが好きだったんですが、どさくさに紛れて醤油ご飯(海苔なし)になった部分だけを食べることもありました。なんとなくですが、醤油だけをご飯につけて食べるのは、してはいけないことだと感じています。  それで、先日外海のTKさんに会いに向かっている途中に、大島のことを思い出しました。お隣の西海市にな

巡礼だろうか

 数年前から縁のある土地「外海(そとめ)」。以前は西彼杵郡外海町といったが、2005年に長崎市に編入されて町名としては残っていない。この外海地区の中の神浦(こうのうら)の山の中に「次兵衛岩」と呼ばれる洞窟がある。伝説の神父 トマス金鍔次兵衛が隠れたと言われている。  1602年頃に大村に生まれた次兵衛、のちに殉教したと伝わる両親は敬虔な信者であったらしい。6歳で有馬のセミナリオに入学した次兵衛は優秀で、神学生となり司祭を志す。しかしキリシタン禁教時代であり徳川家康による慶長

外海にド・ロ神父というひとがいた

 ここ数年、外海(そとめ)という地域と縁がありたびたび出かけている。角力灘を挟んで五島列島と向い合せの位置となっている。  最初に日本にキリスト教が伝来した1549年以来、このあたりでは1571年にイエズス会の宣教師によりさかんに宣教活動がおこなわれた。禁教や迫害を経て1854年の開国後、パリ外国宣教会のド・ロ神父により1882年に出津教会が建設され、その後信徒が増えたため1893年には大野教会を建設。この地ではド・ロ神父さまは偉大であり、いまだに尊敬と親しみを持たれている