Aさん 〜 願い 〜

長年高齢者を相手に仕事をしていると、
たくさんの出会いと別れがあります。


15年間で体験した 出会いと別れ。
その中でも印象に残っている利用者さんとの思い出を
記していこうと思います。


***

数年前に勤務していた施設に、物静かな女性がいました。
入職してすぐの頃 少しでも覚えて慣れて貰おうと
順番にコミュニケーションを取っていた時のお話。

その施設は、正直 良い施設ではありませんでした。
建物は薄暗く廊下は狭い。
NCも古いしトイレも汚い。
角を見れば蜘蛛の巣は当たり前。
いつから吊ってあるのか分からない、埃まみれの掲示物。
壁飾りはひとつもなくて
良くわからない絵がポツポツと飾ってある。

利用者さんの笑顔は少なくて、ぼーっとしてる。
レクリエーションなんて無いに等しい。
稀に風船バレーする程度。
職員は詰所で私語ばかり。
施設内で不倫頻発。

酷いところ、キリが無いので中断。笑

Aさんのお話。

先輩看護師に、Aさんは無口な方だと紹介されました。
しかし毎日挨拶をしてたわいない話をしていると、
少しずつたくさん喋ってくれるようになったのです。

Aさんは施設での生活に絶望していました。

「食べて寝ておしっこして残りの時間は壁を見てるだけ」

そんな言葉を聞いて私は少しでも施設が良くなるように
頑張ろうと思いました。

壁飾りを作ってみたり、皆で歌う時間を作ってみたり。
同僚には良い顔されませんでしたけど。

しばらくすると、
Aさんから声をかけてくれるようになりました。

ぽつりぽつりと昔話をしてくれます。


私はね、結婚してすぐに夫が戦争に行ったの。
ひとりで子どもを産んで育てて必死だった。
夫は帰って来なかったんだよ。
必死で働いて、育てて、頑張って頑張って、
やっとひとり立ちさせたと思った。

次は親の介護が始まった。
長い間、働きながら親の世話をして
ボロボロになってしまって。
なんとか やり遂げて漸く自分の時間が出来る。
十分頑張ったからゆっくり過ごそう。
旅行に行ってみようなんて考えてたら病気になって、
入院して手術して流れるようにこんな場所に入れられた。

なにもない。どこにも行けない。
私は早く死にたい。



涙を堪えながら、辛かった事を話してくれました。
どうして今も辛いままなのに、希死観念もあるのに
職員は放置しているのか…。

「Aさんが少しでも笑顔になれるように頑張ります。
私と色んなことをしましょう。
手始めにお散歩から始めて、外出もしましょう。」

天気の良い日に施設の外へ出る。
ほんの10分程の出来事ですが、気晴らしには十分です。

若い介護職員達が徐々に賛同してくれて
私が居ない日にも時々連れ出し始めてくれました。
もちろん、反発する職員もいました。

少しずつ少しずつ皆に理解してもらって、
利用者さん達の表情も少し明るくなり、
漸く外出の企画書を作る段階になった頃の事です。



Aさんは急変して入院し、そのまま旅立たれました。



悔しかったです。外出、間に合わなかった。
大変な人生を過ごしてこられたAさんに
私はもっともっと笑って欲しかったです。


***



高齢者はいつどうなるか本当に分かりません。

最期まで穏やかに、少しでも楽しく過ごして貰いたい。
そんな私の気持ちと、この施設の方針は違いました。
だから時間がかかりすぎた。

結果的に色々問題がありすぎて辞めたこの施設ですが
今も相当やばいようです。笑

色んな恨みもあるので、私の心の供養も兼ねて
身バレしない程度で残していこうかなあ。。

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