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甘い夢ばかり見させるな

金曜日は毎週決まって心身ともに泥のようにヘトヘトになって帰宅している気がする。なにもやる気が起きないままさっさと身の回りのことを済ませてさっさと布団に入る。駅前の居酒屋は華金だなんだと賑わっているのに、金曜日の夜に飲みに出るなんていう元気がいつしか自分には無くなってしまっていた。どれだけ疲れていても睡眠薬を飲む。ぐるぐると頭の中が渦を巻いてもしばらくすれば意識が無くなるようにふわっと眠りに落ちる感覚がすこしだけ心地よい。せっかくの休みだというのに土曜日は何故かデスゲームに参加させられて殺されかける夢を見て飛び起き、日曜日は金縛りにあい髪の長い女がヒタヒタと部屋に入ってくる幻覚を見ました。誰か私の人生を救ってください、まじで。

未だに過去の恋愛を引きずっているなと自分でも感じる。ただ別に相手に対して未練があったりやり直したいという気持ちがある訳ではサラサラ無いが、日々のふとした瞬間、ふざけ合いながら歩いたいつもの道や乗ることのなくなった反対方向の電車、彼が好きだと言ったお気に入りの香水、使わなくなった予測変換、いつか行く約束だけがただ残ったあの店、もう何とも思わなくなった快速待ちの時間、ほんの少しだけ安くなった公共料金の請求書、見ることのなくなったドラマに聞かなくなった曲、いつの間にか移っていた服の畳み方の癖、普通に生きているだけでもふとした瞬間にその頃の自分は確実に愛されていたという紛れもない事実の片鱗が垣間見え、その事実に心をグチャグチャと掻き回される。自分はここまで愛に飢えているのか?大袈裟だが切実に、自分のような世間一般的な普通から逸れた人間は愛されるに値しないと思っていたが、そんな夢を見てしまった以上きっと自分はこの先ずっと他人の愛に飢える人生なのだと思うとすこし尊くもありながらも絶望する。自分は愛に飢えるほど余裕の無い人間になりたくなかったし一人でも生きていけるくらい強い人間になりたかった、一人でも生きていけるほどの余裕のある人間でなくてはいけなかった。だがどうみてもここ最近の自分は自分でも分かるくらいに余裕がないのだ。ちょっとしたことを腹立たしく思いちょっとしたことにひどく傷ついている。なりたい自分に近づこうと努力しても結局はどれだけ努力しても手に入れられない普通の幸せを何よりも羨んで絶望する、そして余裕のない自分に気がついて余計に余裕が無くなる。

自分は何が為に田舎を捨てて東京に出てきたのだとよく考える、決して地元に残っていた方が幸せな人生だったとも思えないが、自分が本当にやりたかったこと、自分がなりたかった自分は一体何なのかが分からない。何者にもなれない自分を恐れたのかはたまた他人に何者かを見透かされることを恐れたのかは分からないが焦るように東京に出てきて結局自分は何を手に入れたのか。そしてこれから何を手に入れることができるのか。自分の人生は自分の為とはよく言ったものの、生憎自分一人のために自分一人の人生を全う出来る程に自分は自分を愛していない。けれども他人に自分の生きる理由を押し付けられるほどに大した人間でもない。東京は愛せど何もない、はたまた今の自分に何もないだけなのか。高校生の頃、本当に何もない田んぼ道を親友と数時間歩いていたあの頃が間違いなくいちばん輝いていた。今思えば何もないと思っていたあの場所にこそ、本当が全部あったのかもしれない。

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