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プライド

日常生活を公開する事が巷で流行っているようだ。

ただ私生活を公開するだけでお金を儲けている人もいる様で羨ましい限りだ。
私も障害がなければ顔を公開して私生活を垂れ流し副収入にでもしたいものである。

だが最近は何でも公開すればいい、という風潮が広がっていて気付かないうちに「恥」を公開(収入になっているなら販売だろうか)している人も多くいて、そんな風には絶対なりたくないなと考えている。
私は「品性」に重きを置いて生きているからだ。
品性の有無で人の印象は大きく変わるものである。

でも恥を売っている人達は自分が「恥」を売っているという自覚がない。
品性やプライド、という言葉がその人自身に内臓されていない為だ。
普通であれば人は生まれつき品性やプライドといった単語を内臓されて生まれてくるが、こういう人達には外部が辞書登録しないとその言葉が頭に入ってこない。
また入ってきてもそれを実感として認める事が出来ないため、実質的にはそれらの単語は機能していないに等しい。

恥を外部に出力する事を抑制する力が品性やプライドで、私はこれを持てて良かったと思う。

人の周りにはその人と同じレベルの人間が集まる。
だから恥を売る人の周りには同じく恥を売る事に抵抗のない人が集まっており、周囲はその行為を咎める事はまずしない。
寧ろ好意を持って受け入れる。

例えば下ネタを「性のタブー」だとかいうとかっこはいいが、
伝え方によっては「下ネタ」の域を出ない場合がある。
その場合、人は「あの人は下ネタで売ってるな、恥ずかしい人だ」と考えるが、当人は「性のタブーに踏み込んだだけ」等と都合良く解釈していて果てには「性のカミングアウトだ」とのたまう。

しかし「カミングアウト」と「恥の切り売り」は全く別物である。

「カミングアウト」はプライドを賭けて人が自分の権利を守る為の行いで
「恥の切り売り」はプライドを捨てて人が自分の品格を貶める行いだ。

私には自らの障害の告白は「カミングアウト」だという自負がある。
自分として生きる為の命賭けの告白だった。
それ位の覚悟を持って告白したのだ。

適当な覚悟で公開したものを簡単にカミングアウトと呼んで欲しくない、と私は思う。
少なくとも私は一緒にされたくはない。

金になるなら何でもやる、その心意気は買おう。
しかし君、恥まで売るのは考え物だよ。

と、そんな忠告をしたってプライドも品性もない人には全く伝わらないんだろうな。

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