私だけの玉座
電車の窓から流れていく景色の中に見知ったビルを見つけた気がして、掴まっていたポールを握る手に力を込める。
その小さなビルは、私の住む地域の就労支援センターだ。
今の仕事を失ったら、私はそこに行くしかなく、紹介されるのはB型作業所に限られてしまう。
私が最も恐れている事が、障害者雇用になる事、である。
障害者になること、より障害者雇用になる事の方が私にはずっと恐ろしい事だ。
だからあのビルは私にとって恐怖の象徴の様なものとなっている。
私にはこの数年でどうなるでもないから様子見して、いつか手術をしよう、と医者と話し合っている病気がある。
悪性のものではないし、コロナ禍だし、手術はずっと先でいいからね、と言っていた医者が唐突に意見を覆したのが昨日。
定期検診に行くと「うーん、そろそろやっちゃう?夏の方が手術はいいんだよ」の声。
ずっと先、の話はどうしたんだ、と思ったがいずれやらねばならない事は確かだからやりたいが、契約社員になって有給が減ったのだ。
先日、病欠した時に上司にも「確か有給少ないから気をつけて」と言われたばかりである。
手術は1日で終わるし、抜糸は半日休暇を取ればいいだろうが、あまり頻繁に休むと人事評価に響いてしまう。
ここは派遣の時の方が余程融通が利いた部分で、どうせなら派遣だった時に手術の話をして欲しかったが、後の祭。
取り敢えず暫く手術は見送るしかないだろう。
せめて半年位は欠勤なしで健康で勤怠に問題がない事を会社に示してからでないと、バツが悪い。
派遣社員の頃に一度鬱で休職もしているので余計にそんな気持ちが膨らむ。
会社は社員を守ってはくれない。
もし私の勤怠や健康状態に問題あり、とされたら上司は庇ってくれるだろうが、それも限界がある。
上が私の代わりの人間を采配する事は容易い。
そして弾き出された駒の私はあの雑居ビルに未来を委ねるしかなくなる。
人は助け合って生きている、と言ったって誰もが自分自身の事で精一杯なのだ。
そういう私だってそうだ。
今の居場所を誰にも奪われまいと一人で戦い続けているのだ。
そんな事があとからあとから溢れてくる。
目的地に着くと私は足早に電車を降りた。
電車に乗っていると、建物と建物の間に見たあのビルの映像が何度だって頭に浮かんでしまうからだ。
電車を降りるとその映像は再生されなくなり、安堵の溜め息をつく。
今は仕事に専念する事。
手術はまだ先。
ビルの事は忘れる事。
そう心に命じて歩き出す。
でも必死に守っているこの場所は、知らず知らずのうちに誰かから奪った場所なのかもしれない。
誰かにとっては奪い取りたい位に羨ましい場所なのかもしれない。
私にはただの椅子に見えても、誰かには玉座に映るのかもしれない。
誰かの囁きに耳を塞いで「譲れない」と小さく呟く。
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