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失敗しない選択。後悔しない選択。

人生は選択の連続である。

ウィリアム・シェイクスピアの有名な言葉だ。


これまで生きてきた中で、どれだけの数の選択を繰り返してきたか。
きっと誰も数えてなどいないし、覚えてもいない。
無意識のうちに選択したこともある。
何度も悩み考え抜いて選択したこともある。
他人に促されて選択したこともある。

自分にとって、選択する物事に、明確な基準など無かった。
その時の気分、環境、時と場合と、それから場所と。
とにかく様々な要素をひっくるめて、人間は、人生における選択をしている。


その上で「ああ、やっぱりこっちじゃなかった」「あっちにしておけば良かったかも」なんてことがあったのは、一度や二度じゃない。

人間っていうのは、いつも自分が選ばなかった方の未来を想像しては嘆くものだ。と、私は勝手に思っているのだけれど。


「失敗」と「後悔」は別物だと思っている。
後悔ってやつは、やってもやらなくても付いてくる物なのに対して、失敗は、やらなきゃ起こらないことだからだ。
これもまた、私が勝手に思っているのだけれど。

やらずに後悔するぐらいなら、やって後悔しろ、なんて言葉をどこかで聞いたことがあるけれど。

じゃあ失敗はどうだろう?と思った時、私は、自分の人生において「失敗」だと思う選択をしたことが無かったことに気付いた。
ちょっと大袈裟な言い方かもしれないけれど。

それは結局のところ、自分自身で「選択した」と思える分岐点がなかったからだ。

なんとなくで義務教育を経て、進学する高校は父親の「行きたいところ無いなら推薦で入れるところにすれば?」という言葉によってそうなった。
高校卒業を迎えるころには進学か就職かでまた選択を迫られたけれど、仲のいい友人たちが揃って就職だったから私も就職を選んだ。
ちなみに、入社試験を受けた会社は「どこでもいいです」という私を見かねた担任の先生が選んでくれたところだった。
その会社はあまり福利厚生が整っていなくて、女性の社員はこぞって数年で退職したり転職したりしていたので、私も5年間務めた頃に退職した。
次の仕事なんて決めもせずに。
失業保険を貰いながら、ハローワークに通い続け、次はまた、ハローワークで進められたところに入社して。
でも契約社員だったから、あっという間に満期ってやつが近付いてきて。

そんな折に、幼い頃からの友人と、久々に会ってお酒を飲みかわす機会があり「人生における最大の失敗ってなんだった?」と聞かれて、私は答えられなかった。


もしもあの時。
行きたい高校を見つけて、そっちの高校に進んでいたら?
高校卒業後に、大学に進学していたら?
あの会社とは別の会社に就職していたら?
仕事を辞めずに続けていたら?
再就職先を今とは別の会社にしていたら?

選ばなかった方の未来を想像することはあっても、その未来を知れない自分の選択に後悔することはあっても、失敗だったと思ったことがないのは、本当にいい事なんだろうか?


人生における最大の失敗とは、人生の選択を周囲の流れに任せてきてしまったことではないだろうか。



あれから5年経った。

契約社員だった私は、満期まであと2週間に迫ったとき、地元から離れるという選択をした。
その歳まで一度も地元を離れたことがなく、これからもきっと地元で過ごしていくんだろうと、なんとなく思っていた私が、上京することを決めた。
再就職先と住む場所は、ちゃんと、自分で選んだ。

あのまま地元に残っていたら、なんて思う日も無くはなかったけれど。
私は、この場所に来てよかったと心底思っている。

いつもなら「知らなかった未来」で終わる世界を、自分の目で見ている気がするのだ。


来月、私はまた、退職する。

夫の転勤について行くことを選択する。


桜が咲く頃には、きっとまた、私は「知らない未来」を見ている。

そこに「失敗」や「後悔」があったとしても。
私は、選択した自分を誇らしく思える人間でありたいも思う。

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