パリの映画、東京の映画

最近ヌーヴェルヴァーグとかその周辺の映画を見て思うことなのですが、なぜ東京を舞台にした映画はパリを舞台にした映画のようには撮れないのか、ということです。

これは具体的な作品名が何かあるわけではないのですが、何となくパリを舞台にした映画はパリとはこういうものだ、というコンセンサスがあるように思います。
他方東京になると例えば新宿を舞台にした映画、渋谷を舞台にした映画、池袋を舞台にした映画、というものがあったときに東京というコンセンサス、東京を舞台にした映画、という意識は生まれづらいような気がします。

もちろん理由はいくつか考えることができます。

一つは面積の違い。パリの面積は東京23区と比べて6分の1くらいしかないそうです。だからその狭さがかえってパリを凝縮しているのかもしれません。

あるいは東京は一つ一つの街が立っているという要因もあるかもしれません。
浅草、銀座、秋葉原、新宿、渋谷、池袋などそれぞれの街に独立したイメージが浮かびます。もっともこれは僕がパリに馴染みがないからかもしれません。知っている人は1区はあれで2区はあれで、みたいに浮かんでくるのかもしれません。

まぁパリについては行ったことがないのでほとんど映画を見た上での妄想になります。
ただ、パリについていえば古い映画を見ても最近の映画を見てもあまり変わらないような気がするのです。

他方、東京についていえば新海誠の『君の名は』と寺山修司『田園に死す』では大きく異なる気がします。
もっとも東京に住んでいる自分は最近の東京を描いたはずの『君の名は』にすら距離を感じます。それは『ラブライブ!』でも『劇場版 名探偵コナン』でもそうなのです。
むしろ親近感があるのはいまだに劇パト1だったりします。それは結局のところこれらの作品が描いてきた東京の虚構性にかかるのかと思います。

劇パト1の東京は過去と未来の中にある東京、どこにもないがどこでもある東京を描き出しています。それは現実的ではないが、東京像があるゆえに常にリアルな東京になります。

秋葉原とか副都心という単位でなく、東京という単位で何らかの像を作る必要があるのかもしれません。

その意味ではピングドラムで副都心を描き、さらざんまいで浅草周辺の下町を描いた幾原邦彦には期待していますし、漫画では東東京区区のかつしかけいた作品の映像化にも期待してしまいます。

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