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2021年2月23〜24日の日記

22日のハイテンションとは打って変わってうつ状態。
22日は躁だったらしい。おそらくその反動のうつ。

何かあった訳でもないのに不安で、のど〜胸のあたりがずっともやもやしている。
寝込むほどではないけど何かをやる気力もない。

うつがピークの時は消えてしまいたかった。
死にたいじゃなくて消えたい。動けないことが苦しい。
この空虚感、虚無感は何のために味わわされているんだろう。何のために味わっているんだろう。

カウンセリングで解消されるものではないだろうから、ヒーリングやスピリチュアル系のワークを受けてみようか。
...でもそれって自分の外に安心材料を求めることになるのかな?

ヒーリングやスピ系ワークではよく「自分の内側の声を聞く」というのがある。
ハイヤーセルフやインナーチャイルドも、自分の内側の声と考えていいと思う。
それをヒーリングやワークのサポートによって外に出して顕在意識で捉えることって、自分の内にあるものなのか外にあるものなのかどっちなんだろう。混乱。

守護霊や守護神なんて考え出したら、それこそ自分の外にあるものなんじゃないか?
肉眼で捉えられないから“内なる眼”みたいなものを使っていて、だから自分の内にあるという理論だろうか。


「たとえ不調和な表現であっても、全ては普遍意識(神、宇宙)のあらわれ」と書いてあった
結局のところ、物質的に満たされていない(お金がない、仕事がない、スキルがない、学歴がないetc)から不安ということと、自分のスピ的な使命や役割(生まれてきた理由、試練の意味、出身星etc)がわからないから不安というのは同じ構造なのかもしれない。

お金がない(ので不安だ)から働く。
仕事がないとお金が入ってこない(ので不安だ)から仕事を探す。
稼げる仕事に就けないと不安だからスキルを身に付ける。

生きている意味がわからないと不安だから高次の存在に答えを求める。
つらい経験の意味がわからないとただ傷付いて損しただけになるから理由を求める。

全てが普遍意識のあらわれであるなら、それを物質的なレベルでキャッチするか、目に見えないレベルでキャッチするかの違いでしかない。
物質的なレベルのほうが信じられるなら物質的な形態で目の前にあらわれるし、目に見えないほうが信じられるならそういう形であらわれる。

それぞれ見ている世界が違うから違う形で出力されているだけで、構造は同じ。ただ「安心したい」。
安心したい、は「幸せになりたい」よりも根源的な願いだとどこかで聞いた。


波動が高いとか低いとか、ポジティブだとかネガティブだとか、そんなものを宇宙はジャッジしない。
私が落ち込んでいようと喜んでいようと、宇宙はただそれらを許容して在るだけ。
子どもが泣いていても、それすらきっと親からしたら愛おしい。

私はもう傷付きたくないし嬉し涙だけ流したいけれど。

✨世界が平和になるお賽銭箱✨