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答えは自分の中にしかない。

タロットカードの練習でモニターの方を20名ほど占わせていただきました。

最初はどんな相談内容がやってくるかもわからずドキドキ、、的外れなことを言っていないかドキドキ、、、
でしたが、無料で提供してるし勉強中の身だし、何か失礼があったら全力で謝ろう!と腹をくくりました。

結果的に、モニターの方々からは嬉しい感想ばかりいただくことができました。
未来に希望が持てた、背中を押してもらえた、応援してもらえて嬉しい、涙が出た、などなど。

占いを提供する側に立ってみてわかったことなんですが、結果をお伝えするには自分自身の見え方に自信を持たなければいけないんだなと。
このカードから伝わってくることはこう、と確信を持つことです。
まずこれがないと当たりません。
逆にこれがあれば、私の感覚では当たります。
「これはこう見えるけど、ちょっと違うかな...?」と自信なくカードを読むと外れる気がします。

そのキャッチした感覚を言葉で伝えることが次の段階で、これも確信を持つことと同じくらい重要だと思います。
といっても、「こういう感じだけど言語化できない」ということはよくあります。
というか毎回そうです。
これはトレーニングをして磨いていく必要がある部分ですが、完成することはない気がします。

私の場合、相手に少しでも前向きな気持ちや活力を与えたいと思っていたので、伝え方にはかなり気を遣いました。
たとえネガティブな内容でも、ワンクッション置きながらも誤魔化さず伝えてみたり。
それが結果的にみなさんに喜んでいただけるような占いを提供できたのと同時に、私自身とても学びになりました。

モニター20名というのは目標数として決めていたわけではありませんでした。
この人数を占ってみてある程度勘がつかめたこと、自分の目指すスタイルのようなものが見えてきたためにこの人数で締めさせていただきました。

先ほども書いたように、占い結果の伝え方というのはかなり繊細なものです。
相談者さんを元気付けることもできれば、簡単に傷付けることもできます。
正直なところをいうと、私はここに気を遣いすぎて疲れてしまいました。ただの自爆ではありますが(笑)

故意ではないにしろ、言葉で人を傷付けるということに対して自分自身への強い禁止がありました。
相手を傷付けること以上に、相手を傷付けるような自分への否定です。
それは「相手傷付けた」という事実の有無とは関係なく、そうなってしまうのではないかという恐れとして私の首を絞めていました。

また、相談者さんの「占い結果=答え」という意識も見えないプレッシャーとして感じていました。
自分の読みに確信を持たないと当たらないというのは感覚的にあったのでそこを曲げることはありませんでしたが、相談者さんが占い結果という自分の外にあるものに答えを求めている以上、どこかで依存が起こります。

私も占ってもらうことが好きだったので、気持ちは痛いほどわかります。
占いという科学的根拠のないものだとしても、正解を示してもらうことでとても安心できますよね。
しかし、占い結果も占う側が提示するひとつの答えにすぎないんです。
正解は人それぞれ自分の中にしかありません。

学校のテストから何から、ほとんどの人が自分の外にある答えに自分を合わせて生きてきたと思います。それが「正解」だからです。
幼い子どものうちはそうして社会のことを知っていきます。
しかしそれが過剰に働くと自分の外にしか正解がなく、自分は常にどこか間違っているという意識に陥ってしまいます。

私も完全にそのタイプで、どこかにある正解を求め続けていました。
自分を正解にしていいのだということすら知りませんでした。
自分が答えで正解であること、それが真の意味での「自分軸」かもしれません。

占い結果にしっくりこないと思ったら、自分の中に答えを見つけるチャンスです。
どういう結果だったら嬉しいのか自分に聞いてみて、そちらを選んで占い結果は忘れてしまえばいいんです。それを選び出すためにしっくりこない結果が出たということです。
当たってると感じたら、それは気付いていなかった心の声であることが多いです。その声にちゃんと耳を傾けることで癒しが起きたり、望む未来に近付いたりします。

私が目指す方向性としては、まず伝え方に気負いすぎないこと。
受け取る方のことも信じて、リラックスしてお伝えしたいと思っています。
そして占いによって「答え(のようなもの)」を差し出すのではなく、相談者さんが自分自身の心の声に気付く手助けをしたり、魂本来の生き方をするためのヒントを得られるようなセッションを提供したいな〜と考えています。


最後に、自分で自分の首を絞めていたことに気付いて、自己否定を減らすことができた私に自分で拍手を送ります。

✨世界が平和になるお賽銭箱✨