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69の不安

 九〇年代はじめ、窮屈な高校生活も二年目を迎えた頃、自分の金で中島みゆきを買った。八センチCD、金色のジャケット、『誕生/maybe』の両A面。きっかけは自室に置かれた小さなCDラジオカセットレコーダー、FMラジオから流れてきた大きな声が俺を捕らえたからだ。
 十代も後半になると、一家団欒で茶を啜りながらブラウン管を眺めることに抵抗を覚えはじめる。多くの時間を自室に篭もってラジオと共にするようになった。家の外でもほとんどヒト付き合いのなかった俺だったから、月々のわずかな小遣いはほとんど音楽CDに変わった。『誕生/maybe』を購入したのは、リリースから随分経ってからだったと思う。耳を傾けながら長方形のジャケットをめくって歌詞を追いかける。曲が終わり、ジャケットの裏側まで情報を舐め回していたところでふと気づく。こいつは俺が十五の誕生日にリリースされていたようだ。ふぅんと鼻で鳴いた。それ以来、虹色の円盤をCDラジカセで再生する度、勝手に運命的なものを感じるようになった。
 布団に潜るときも枕元にCDラジカセを置いた。ヘッドフォンを耳にあてて暗い部屋で一人目を閉じる。明日の学校が憂鬱であろうと、この時間は俺を解放した。電波に乗せてハイテンションで喋り続けるパーソナリティがいる。そいつに鼓膜を震わせる俺がいる。どれだけの偶然と難解な物理現象がこの時間を支えているのか。
 二〇世紀もあと数年、太陽系の外にはまだ惑星が観察されていない。天文学者がまだ本気なっていないだけ。ノストラダムスの大予言なんか嘘っぱちで、二一世紀がやって来る頃には、太陽系外にはたくさんの惑星が回っている。中には水が液体として存在できる距離を保った惑星がある。一つ見つかれば、まだまだ出てくる。一〇も見つかれば、宇宙の中には無数の惑星が存在する。ハビタブルゾーンに存在する惑星が地球だけなんて考えにくい。こんなガラクタが宇宙で唯一なんて。ガキの頃に見た天文図鑑を覚えている。タコとイカを掛け合わせたような地球外生命体が割と説得力のあるイラストで描かれていた。あんなものでも構わない。何かいるだろう。一本の触手が電波に乗ったメッセージをキャッチして、パーソナリティのお喋りを楽しんでいる。
 そして、今週の第一位は。
 ロックンロールミュージックに目覚めたのは、中島みゆきよりもう少し前のこと。やはりFMラジオから届いたナンバー。俺を虜にしたそれは奇妙で壮大なロックンロールだった。ロックは死んだ、いや生きているなどと言われていた頃、ギターキッズの間では陰鬱なグランジロックが流行っていた。パール・ジャム、ニルヴァーナ、アリス・イン・チェインズ。ネックを握って頭を振る発想のない俺に、グランジロックは響かなかった。同時期、全く異質のロックンロールが欧米のチャートを賑わせた。『地獄のロック・ライダーⅡ〜地獄への帰還』によってカムバックを果たしたミートローフというロックシンガーをご存じだろうか。ワーグナー狂であるジム・スタインマンによって仕掛けられ、グランジロックとは真逆を行くロックオペラを高高と歌い上げた巨漢である。その年もっとも望まれないカムバックなどと賞賛されたロックシンガーは、母国である米国はもとより英国で強烈に支持され、年間チャートを制覇した。フレディー・マーキュリーが固めた下地もあったのだろう。しかし、声のデカい巨漢だ。日本でウケるはずがない。それでも俺は、ドラマティックな音楽性に加え、無駄な肉を震わせながら汗まみれでロックする彼の異質さに強く刺激された。毎月のわずかな小遣いを崩してジム・スタインマン関連作品を買い集めることになる。
 話を中島みゆきに戻す。ドラマティックなナンバーを愛した俺にとって、『誕生』は泣きのロックバラッドであった。俺の中で中島はロックシンガーに分類される。布団に潜ってラジオの周波数をあわせる。『ミュージック・スクエア』における軽快なトークから曲紹介へ流れるコントラストは抜群であった。

 リメンバー 生まれた時 誰でも言われた筈
 耳をすまして思い出して 最初に聞いた ウェルカム

 そして、俺は死んだ。
 冴えない日々にうんざりしていたのだ。ニンゲンが抱える悩みはすべて対人関係だとは誰が言った。悩みから解放されるには宇宙の中に一人で生きるしかないと。ご多分に漏れず俺の悩みも対人関係に分類されるものだった。女やクラスメートのこと、そして、なによりクラス担任が悩みの種だった。はじめに女のことなどとデカい口を叩いてしまったことは平に謝りたい。女に関して言えば、まるで縁のないことが問題だった。声のデカい巨漢をこよなく愛する俺に浮いた話などあるわけない。休み時間になれば声の小さい巨漢と二人でロック談義。この国ではスマートな音楽を愛していないとスムースに渡っていけない。問題はそれだけではないだろう。異論は受け止めたい。ミートローフのせいで死んだとは言わない。もちろん中島みゆきのせいでも。ただ俺が死ぬ直前まで愛していたものといったら、そんなロックオペラや泣きのパワーバラッドだったということだ。
 死んだにも関わらず自己を了解していた。言葉を利用して語ることすらできる。こんなところで(どんなところであるかは追々説明したい)ミートローフや中島みゆきの思い出話をするとは思わなかった。続いて、死に至るまでの恨み辛みを吐き出すことにしようかしら。高校生と呼ばれていたついこの前、俺はまったく面白いと思えない環境に投げ込まれていた。拭い去ることのできない苦味をしっかり記憶している。けれど、俺にできることはただ記憶を辿ることだけではない。これからのことについて慮ることだってできる。死が人生の究極と思っていたが、どうやら俺にはまだ可能性がある。ここには時間というものが存在しているようなのだ。
 信仰心などとは縁のない家庭で育った。正月に初詣すらしなかった。だから、死んだら無に帰るというのが自然な考えとして身についていた。真空から時間も空間も取り除いた状態。そいつが俺の感覚に最もマッチする無だ。それが正解というなら、ここは完璧な無を成していない。俺は自分の存在を了解し、将来へと投げ込むことができる。その隙間に今がつきまとう。うだうだ物思いに耽るだけの時が流れている。
 空間だって存在しているのではないか。俺は一体どこに在るのか。ここは暗黒の闇なのか。真っ白な光に包まれているのか。それはとても表現が難しい。目玉と神経系を有していた頃ならば、桿体細胞で明暗を感じることができた。光の波長から色彩を感じることだってできた。網膜に青錐体、緑錐体、赤錐体という三つの錐体細胞を飼っていたから。しかし、三七兆だか六〇兆だかの細胞を全て焼かれてしまった今、色彩は勿論、明暗すら感じることができない。手探りで辺りを感じることもできない。
 もう一つの可能性を考えてみる。ここはやっぱり無なのだ。ここに時間があるのではなく、時間は自己に属している。将来の存在を見据える自己、あそこへと立ち返る自己、そして、今、現れてくる自己を統一した俺が無に対処している。ベランダから飛び出した時、勢いあまってロート型した宇宙の外側へとこぼれ落ちてしまったのだろう。ここは絶えず揺らいでいる無の側。俺は手足が生えていたころの記憶を呼び起こし、あてもなくもがく。平泳ぎのような素振りで、つうと進んでいく自分をイメージする。何かにぶつかったりしたら楽しいね。

 アーイ・ウォン・マイ・マネー・バック!

 大きな不安にとりつかれ発作的に声を上げた。永遠に広がる無の世界で、俺はきっと何にもぶつからない。叫び声としては適当ではなかったかもしれない。咄嗟に出てきたのは『地獄のロック・ライダーⅡ〜地獄への帰還』より『ひどい人生だ、金返せ!』の冒頭部分。ミートローフの思い出話なんかしていたからだろう。第一弾シングルとしてリリースされたのは十二分に及ぶ大作『愛にすべてを捧ぐ』。その次に続くトラックが『ひどい人生だ、金返せ!』。愛に全てを捧げた男が何を言う。
 正確に言えば、声など上げていない。声帯を震わせることのできない俺は、意識の中にナンセンスなロックンロールを呼び起こす。声高に歌えたところで音を伝える媒体が存在しない。それでも俺は歌を呼び起こす。忘れてしまいたくはないから。群青色の青春時代を支えてくれた大切なロックンロールたち。ここにはCDラジカセなんてないけれど、記憶に焼かれたロックンロールたちがこれからも俺を支え続ける。おまえたちが消えてしまうことが何よりも辛い。たまらなく不安だ。自己を了解している限り時は流れ続けるのだろう。お先真っ暗だけれど、残響するロックンロールたちが気弱な俺を真っ暗で真っ新な未来へと投げ込んでいく。
 まさにお先真っ暗。生きていた時ならば、これから起こることをおおよそ予見することができた。例えば、エレンに「好きだ」なんて言ったら不機嫌な顔をされるだけ。そんなことは明白で、あまりに明白だから声をかけることすら躊躇った。そう。俺は一人の少女に長い間好意を抱いていた。思い出せてよかった。思い出すだけで世界に光が射す。実体の無い分、心などと呼ばれるものを強く感じる。なんと言うか、ほっこりとする。それは実に素晴らしい。
 あれはまだ中学生の頃だ。彼女は頬杖をついて窓の向こうを眺めていた。俺はそいつをいいことに、一四歳の不躾な視線をぶつけていた。その愛らしい首筋が、少しカールした髪が、強く焼き付いている。机の上に置かれていたものだって大抵目についた。遠くから眺めていられればそれでよかった。阿呆か。そんな悠長なこと言ってはいられない。惚れた女とどうにかなりたいくらいの意識は育っている。彼女の机に一冊の本が目に付けば、どうにかなりたい一心で、俺にとって秘境であった図書室にだって踏み入れた。
 それなのに、今の俺は宇宙の外側かも知れない無の側で、これから起こり得ること、その可能性をまるで推測できない。このお先真っ暗を支配することなんて到底できそうにない。

 アーイ・ウォン・マイ・マネー・バック!

 またいい加減にそいつを呼び起こす。こんな状況で金など欲するはずもない。ただ時折こいつを大声で叫びたくなるのだ。何でもいいから声をあげたい時、実に口当たりの良いフレーズではないか。信頼のない世界では鼻紙よりも利用価値のないマネー。時折なによりも抱きしめたくなるマネー。惨めな顔を晒しながら叫ぶには実に適当なマネー。俺はお先真っ暗が生みだす不安を振り払うように叫ぶ。死を選択させたあいつに向かって叫ぶ。貸した金があるわけではないけれど、こいつを叫ぶ時、その不愉快をぶつける対象として、あのいけ好かない顔は都合がいい。
「おまえ、暇そうだな」
 それはクラス担任が生徒に言っていい言葉ではないよ。ティーンネイジャーが暇にしていては悪いか。誰もが青春を謳歌していなければならないか。確かに暇だったことは認めるよ。でも、昼休みの生徒にそれを言ったらお仕舞いよ。部活動なんかしていれば部室に屯したのかも知れない。しかし、運動センスのないことは中学校の三年間で身に染みた。そもそもハイティーンにとって昼休みという時間は何をすべきなのか。グランドでボールを追いかける年頃でもない。汗をかいたらデオドラントでもしないと午後の授業に支障をきたす。放課後も然り。部活動に励むでもない俺は、アルバイトでもして大好きなCDを買い漁りたいところだった。それでも親は大学に入るまでは駄目と言うのだ。親に迷惑をかけるつもりはない。日々帰り着く場所で揉め事を起こすのは厄介だ。何もかもが厄介の発生器のように思えて仕方がなかった。
 かといって、高校三年間という永遠みたいな時間を、暇に過ごしてハッピーと思えるほど鈍感にもなれなかった。ニンゲンの悩みは全て対人関係だというのに、柵の中で青春を謳歌しなければならない。昼休みを暇にしていたらクラス担任に余計な小言を聞かされる。冴えない面を持ち帰れば、親から厄介な問いかけを受けるだろうと、気丈に振る舞った。そんな繰り返しを断つにはどうしたらいい。夜になると星々の隙間には真っ暗な空間が存在していることに気づく。両手を広げてできるだけ遠くへ焦点を合わせた。何も存在しないかのようなあの隙間。ロケットを背負って翼を広げなくとも、実は簡単に落ちていくことができるのではないかしら。
 そして、たどり着いた。ここが自ら望んだ宇宙だろうか。なんとなく宇宙と呼ぶには頼りない気がしている。一人きりになれたのだから何処だっていいじゃない。存分に暇を楽しめばいい。それなのに、ここは宇宙ではないかもしれないなんて要らぬ疑いを持ちはじめる。ここが宇宙でなかったとしても、何も問題ではないはずなのに。おそらく俺一人きりだから。おそらく。疑り深い俺は神経を研ぎ澄ませる。自分が置かれている状況を正確に理解し、適切にふるまいたいと考えた。
 ここはいずれ誰もがたどり着く最果ての世界なのか。三途の川やら、閻魔の庁やら、かつて見聞きしたようなものは無いようだ。不十分な記憶で閻魔大王を思い浮かべる。赤ら顔で、強面で、牙が生えていて、画風はどうしたって水木しげる。ところで閻魔の庁は何をするお役所だったかしら。地獄に落ちるか極楽に昇るか裁きを受ける場所。大王様の顔は鼻から地獄に落としてやる気が満々のようだけれど。俺の陳腐な想像力によって、無の側が冥土への旅路へと塗り変えられていく。
 飛び降りる前には大きな恐怖を覚えたよ。これから死んでやろうというのだから恐怖くらい感じて当然でしょう。誰だっていつしか死ぬというのに、それがいつだか分からないというだけで随分と救われているもんだ。あの時、俺は恐怖をかき消すため馬鹿になるよう心がけた。脳味噌を雑念満タンにしてやろう。一段一段を声に出して数えながら階段を踏みしめた。薄いグレーと水色が混じった階段の色にどんな名前をつけようかと考えた。踊り場で折り返す度にコサックダンスを試みた。そんなことをしてまで、今、本当に死ぬ必要があるのか。そんな疑問は許さない。引き返したところで希望はない。永遠のように繰り返される昼休みを乗り越えていくのは、もうごめんなのだ。コサックダンスが二度踏めた時、思いがけずいい気分になっていた。これから死んでやろうという恐怖、それを押し出そうと懸命に絞り出される雑念たち、ドーパミン神経伝達系は混乱をはじめる。死への恐怖を乗り越える一つの術として、そこへ積極的に向かっていく方法もあるという。そんな根性はなかった。雑念に満ちた脳味噌を乗せて、苦笑いのまま一つの教室へ踏み込んだ。そこは最上級生の教室だ。見たこともない男子生徒が突然で侵入してきたところで、誰もが虚を突かれ、止めようとはしない。インドア派の生徒たちがまばらに屯する昼休みの教室。投身自殺をはかるのであれば、音楽室とか、理科室とか、人目に付かない教室でもよかったはずだ。ここにきて自己顕示欲がはたらいたのか。虫のように明かりの灯る教室へと足が向いただけか。恐らく前者に近い。観測者を求めていたのだ。誰でもいい。それでも観測がなければ、何も無かったことにされてしまうから。実は割と冷静だったのだと思う。
 そして、ベランダの柵を越えた。運動神経が鈍いから懸命によじ登ってどうにか乗り越えた。そして、転落。投身と呼べるほど優雅なものではなかった。
 ベランダの向こう側(もしくはこちら側)にやってきたら死への恐怖は消えた。肉体の苦痛もない。それにも関わらず、俺にはまだ不安がまとわりついている。思いがけず自己を了解していたから。そんなものは闇へと葬るつもりだった。それなのに、なんだか途方もないところへ転げ落ちてしまったようだ。俺以外にニンゲンの気配は無い。ニンゲンだけではない。まるで熱量を感じない。ニンゲンが抱える悩みはすべて対人関係だというならば、ここはまさに理想の場所だ。それでも拭い去れない不安。対象のはっきりとしない不安。意志を越えているものへの不安。何もないところなんてお母さんの股ぐらから顔を出して以来のことだ。股ぐら以前の俺も同じような不安を抱えていたのだろうか。お父さんによって受精される以前、俺の世界を認識する主体はどこにいた。何の解釈もせずに世界を漂っていたとは思えない。尻尾をちょろちょろ振ることが全てだった精子の中にいたのかしら。子宮内膜が剥がれ落ちることに怯えながら卵の中に閉じこもっていたのかしら。それより今のような状況にあったと考える方が自然のように思える。どこか覚えがあるような気もするのだ。部屋の中から全てのものを外に出しました。そこには時間と空間が残ります。さらに時間も空間も取り除いたらどうなる。完全な無になってしまったら、俺はこの世界を認識することができるのでしょうか。お母さんの股ぐらの向こう側(もしくはこちら側)には、宇宙以前の領域が広がっていて、絶えずゆらぐ無の中で超ミクロな宇宙が生まれては消える。お母さんはカレンダーにチェックをつける。
 ここは何もないようであって何かがゆらいでいる。もう一度、手足が生えていたころの記憶を呼び起こす。バタフライの素振りでザブンと進む自分をイメージする。ゆらぐものをかき分けて。ゆらぐものの一員になった気分で。そこら中に生まれては消えるミクロな宇宙、ここは完全な無にはなり得ず「在る」との間をゆらいでいる。その不完全な無に僅かな可能性を感じる。可能性って何よ。そいつは再び生き返ることかしら。先の見えない状況でゆらぐ可能性が不安の実体ではないかしら。
 一六年間の生活が絶えず苦しかったわけではない。エレンを眺めていたローティーンのころは割と愉快な思いもしていたろう。そして、ハイティーンになってラジオのチューニングを合わせればロックンロールと出会う。暇をしていてはいけない昼休みさえなかったならば、そこそこ悪い人生ではなかった。あの一六年間とは異なる領域で、もう一度、一六年を試せるのであれば、悪いようにはしない。その世界には大げさなロックンロールがあるだろうか。偉大な女性シンガーはいるだろうか。鼻が五つもあって、手足が三本ずつの生命体に生まれ変わったとしても、俺をロックする音楽が在れば構わない。陰鬱なグランジロックしか流れていないような世界だったなら、俺が高らかにロックオペラを歌って見せようか。そんな可能性に備えるためにも、偉大なナンバーたちを忘れるわけにはいかない。
 向こう側(もしくはこちら側)が完全な無ではないと知ってから、そいつをかき分けているといくらか不安が和らいだ。記憶に残っている歌たちを思い出しながらこの側でしばらく漂っているのも悪くない。『愛に全てを捧ぐ』の後半部分、九分三〇秒あたりからおよそ二分間にわたって繰り広げられる女性シンガーとの掛け合い。主にセッションシンガーとして活躍したロレイン・クロスビー。この無は俺だけの舞台だから、ロレインの代わりに中島みゆきを開示させることだってできる。俺を咎める者などいない。どこもかしこも俺以外にはいないのだから。好きにさせてもらうよ。こちら側(もしくは向こう側)を世界と呼んでいいかしら。ミクロな熱が生まれては消えるあやふやな状況を宇宙と呼ぶにはあまりに頼りないけれど、ここは俺が解釈したとおりに在る世界。三途の川やら、閻魔の庁やら、小難しい冥土の旅路なんかいらない。中島みゆきとミートローフが掛け合いをしながら、俺の不安を打ち消してくれる世界。そのほうがどうしたって居心地がいい。曖昧な世界が身勝手な解釈を許す。一人っきりだからおっぴろげ。不自由だった過去を振り返る必要はない。不味い記憶で塗り固められた世界からの逃避、そのためにこの何も無い世界に自分を投げ込んだのでしょう。
 でも、あの頃だって俺の求めるところに即した世界が展開されていた筈なのだ。昼休みなんてどうにだってできた。本当はね。あと一歩が足りない。違うな。踏み出す方向の価値観。
 本物と偽物の価値観は死の一回性が深く心にしみたときに現れる。
 そんなフレーズをどこかで聴いたよ。鼻を鳴らしてやりたいけれど鼻がない。あったところで、どうせ香ばしいことにはならない。死んでやろうという奴をまるで無視した言葉だ。俺、やっぱりロックンロールミュージックが好きだ。優しいから好きなんだ。この僅かな熱を有する世界は、いつかその可能性を爆発させるだろう。俺は途方もない状況の中で細かく震える。いつまでもミートローフや中島みゆきを忘れずにいられるのだろうか。ロックンロールを無くした自分を思うと恐怖がよぎる。死の一回性なんてことに思いを巡らさないと本物と偽物の区別がつかない。そんなニンゲンが本当にいるのかね。自分を虜にするものに出会ったことがないんだね。こいつが在れば大丈夫。こいつが偽物であるはずがない。何よりロックンロールを失ってしまうことが怖い。死を見つめた程度でようやく得た価値観を後生大事にしているようなニンゲンとは付き合えない。百の在り方をいちい問うことはナンセンスかしら。他人は他人、そう割り切ってしまえばいいのに、対人関係に悩んで自分を追い込む。俺は一六年間を正しく過ごせかったかしら。ヒトの顔色を窺う必要が無くなった今、正しさなんて概念はない。存在を了解するほかに何をする。対人の苦悩は無くなりました。すると存在なんてものを追求しはじめるの。世界を観察する俺がいるから、いつまで経っても完全な無にはなれない。
 生まれては消えるミクロな宇宙。その一粒が俺だとしたらどうだろう。実はここには無数の彼らがいて、各人が自己のみを了解している。隠れているものは隠れていないものによって隠されている。端から見れば品の悪いポップカルチャーへの埋没にしか見えない俺の在り方が、彼らとともに存在することを否定している。本来、俺の在るべき姿でない。この世界を解釈しようというのなら彼らを捕まえて無駄に悩まなければならないかしら。なんであれ、前向きに取り組むのは悪くない姿勢だと思う。俺の抱えていた全ての問題が対人関係であったとしても、死へ向けて自分を投げ込むことが本意ではなかった。いけ好かないことを言う先生と同じ柵の中で活動する彼らの在り方が理解できず、どうしたって上手く渡っていくことができなかった。柵を越えるならば、校門を抜けるより、最上階のベランダから飛び出す方が確実だ。その先に何があるかなんて考えはしなかった。信仰を持つ機会はなかったから肉体がぶっ壊れたら無に返るものと考えていた。餓鬼の頃には水木しげるの影響だって受けた。多少は閻魔庁なんてものを想像したけれど、宇宙以前のようなところに帰ってきた。想定の範囲内であったのは記憶にあったからなのか。
 無数の彼らがせっせと宇宙の卵を生み出そしている。絶えず生まれる小さな発達を必死に押し返しているようにも見える。延々続く無尽蔵な運動がまた新たな彼を生み出す。彼らが先か卵が先か。全体としてゼロでなければいけない世界は、どこか突き出せばどこか凹む。どこか凹めばどこか突き出す。勢いのついた空中ブランコは時に誤ってピエロを放り投げる。質量が生まれる可能性。しかし、それが正のエネルギーであったとて、どこまでも広がるゼロに無限希釈されて、まだまだ何が起こるとも思えない。大丈夫。俺は自分に言い聞かせていた。やはり不安があるのだ。その対象がなんなのか、気づきはじめている。
 彼らが何かの拍子で大きな宇宙を生み出す可能性。それは、希望のようであるけれど、新しいことをはじめるには覚悟がいるでしょう。結局、俺の中に流れている時間がイシューなのだ。彼らが気付いていなくとも、俺は随分と昔からここに流れる時間を解釈している。時間のない彼らには宇宙を生み出すことに原因は要らない。宇宙のはじまりが時間のはじまりなのだから。原因なんて在り得ない。不安もない。覚悟もいらない。まったく困ったもんだ。やんちゃな輩だよ。
 やんちゃは苦手だ。その反面、どこまでも無邪気で大きな心に多少の憧れがある。得体の知れないものへの不安は良心を生むという。風が吹けば桶屋が儲かるような理由だったと思う。彼らへの不安が大きな気持ちを生むことがあるかしら。彼らは立ち現れるための場として俺を選んだ。それは彼らの意志ではなく俺によって開示されたものだった。次第に彼らは俺の解釈によって大きく大きく膨らみ、俺を大きな不安へと追い込む。僅かなゆらぎを彼らなどと呼ばなければよかった。自業で自傷。鼻で笑う彼に目を瞑り、やんちゃな彼らに大きな良心で対峙する。嗚呼、いつか宇宙が生まれてしまう。彼らが無尽蔵に揺らいでいるものを無と呼ぶのだからどうにも避けられない。分かっているさ。彼らにとってそれはいつかでない。常に目前に在るものか、虚数時間後にはじまるものか、一度でも時間を知ってしまった俺にその感覚は分からない。もう少し待ってくれないかしらと言ったところで、彼らには通じない。俺はどうにか巻き込まれないようにと泳いで逃げる。まだこの世界にしばらく留まっていたい気分なんだよ。俺が解釈した状況がこの世界なのだから逃げたところで仕方のないことだけれど。

 私いつでもあなたに言う 生まれてくれて ウェルカム

 大きな気持ちになれるまで、まだまだ時間がかかりそうだよ。あのいけ好かない先生のことだって、一四歳のエレンのことだって、まるで整理がついていない。ミートローフも、中島みゆきの存在も。叶いっこないのは分かっているけれど、もう一度エレンと会いたい。その気になれば、この広大なキャンバスに開示させることができるけれど、どうにも辺りが騒がしくて密かな逢瀬とはいかいようだ。無というものはもっと静けさに包まれているものと思っていたよ。対人関係の無い世界で、ロックンロールを流しながら漂っていたい。そんな望みの反面、俺を取り巻く不安が彼らを沸き上がらせた。無尽蔵に蠢く彼らの中にエレンの形を浮かび上がらせれば、もうおまえらなんて要らないよ。消えろよ。消えろと念じる度に彼らは色濃くなる。布団の中で下半身を擦り付けていた時のように、余計なものばかりが浮かび上がる。頼むから消えてくれないか。エレンと少しだけ話しをさせてくれ。いけ好かない先生と世界を分かつためにベランダを越えたのだと満面の笑みで伝えたいのだ。
「それは正しいことをしたね」
 十分な沈黙の後で苦笑いを下さい。バックグラウンドミュージックに『愛にすべてを捧ぐ』が流れている。九分三〇秒あたりからおよそ二分間にわたって繰り広げられる俺とエレンのコーダ。俗悪なポップカルチャーにまみれて俺も苦笑いができたなら、いくらか満足ができそうだよ。
 だれだって死から目を背けて退屈な日常へと逃げ込んでいる。死を支配した気になって、それを前向きにとらえることのできる奴もいるだろう。ニンゲンが生きる意義は死ぬまでハッピーな人生を送るため。そう言いきれるヤツは割と多い。否定をするつもりはないけれど、いけ好かない先生みたいなのが突然土足で踏み込んできたりするじゃない。あんたにとって気味の悪い俺は支配すべき対象だったのでしょう。俺にとってはあんたのほうが気色悪いよ。
「おまえ、暇そうだな」
 暇にしていては悪いのか。なんとなく分かるよ。あんたの回路では十代の若者が暇にしていることは悪なのだろう。確かに俺は暇だった。でも、それは昼休みの生徒に言ってはいけない台詞でしょう。部活でもしていればよかったのかも知れないが、サッカーのセンスがないことは中学校の三年間で十分身に染みた。アルバイトでもして、好きなCDを買い漁りたいところだが、両親が大学に入るまで駄目だって言うのだ。親には迷惑をかけたくない。と言うより、揉めることが面倒だった。俺だって三年間という永遠みたいな時間を暇に過ごしてハッピーと思えるほど鈍感ではなかった。死んでみるのもわるくない。
「あんた馬鹿じゃないの」
 エレンはそう言うだろう。実際にはロックオペラのコーダになんか辿りつけやしない。俺はひどく恥ずかしくなって、再び無数の彼らを呼び起こす。ゆらぎの世界で空中ブランコに力を込める。下手すれば宇宙を生み出してしまいそうなほどに大きなうねりを生む。なんで俺は否定されなければならない。俺は被害者ではないのか。あのいけ好かない先生と柵の中で平然としていられる者たちに追い込まれた哀れな男子生徒ではないのか。先生は俺にはなりえない。あなたの意志を越えるくらい当然でしょう。何故、そっとしておいてくれなかったのですか。学校のマニュアルにそう書いてあったのですか。青春を謳歌していない生徒には支配を。昼休みを暇にしている生徒には懲罰を。
「一緒にバレーボールでもしよう」
 なんて声をかけるつもりだったのでしょう。そっとしておいてくれさえいれば、永遠のような三年間だっていつか過去へと流れ去ってくれたのに。
 俺は引きつけを起こしたよう弾み、世界はさらにゆらぐ。本来ここには存在していないはずのエネルギーを引っ張る。今までにない大きなゆらぎがまた新たな不安を生み、そのネガティブな海原に俺は自身を強く認識する。どこかにいたときと同じじゃないか。でも、大丈夫。ここはまだ延々に広がる大きさゼロの世界だから。彼らに俺を認識する術はなく、何にも支配されない俺が在る。落ち着きなよ。ここには俺しかいない。エレンが好きだった。エレンに好かれたかった。どれだけ強く開示したところで、ここには誰もいない。俺はどこかから拝借してきたエネルギーをゼロの大海原へと無限希釈させた。
「あんた馬鹿じゃないの」
 うるさいよ。もう黙りなよ。どうせ俺の言葉だってことは分かっているのだ。優しさの欠片もない言葉がエレンにはお似合いだ。馬鹿じゃないの。かつて中学校で一度だけ同じクラスになったことがあっただけの女子。もう二度と出会うことはない女子。あの日あの時あの場所でなんて流行歌がテレビで流れていた。音楽なんかに興味を持つ前のことだけれど、あのハイトーンボイスは餓鬼の耳にもインパクトを残した。僕らはいつまでも見知らぬ二人のまま。そうかしら。無から宇宙が創造される確率がゼロではない世界で、どうしてエレンと巡り会う確率がゼロになる。都合のいい解釈などいくらでも可能なシステムの中、途端、世界が希望に変わる。このコロコロと変わる気分というやつが俺の本質なのだから。全く情けなくなってくる。
 エレンと巡り会う確率がゼロでなかったとして、彼女は「馬鹿じゃないの」と鼻を鳴らすのか、「正しいことをしたね」と苦笑いを浮かべるのか。彼女は俺が死んだことすら知らない。ろくに言葉を交わしたこともないまま別々の高校へと進んでいったのだから。そもそも彼女は進学をしたか。そんなことすら知らない。まさか高校に進学してまで彼女のことを思い続けるとは考えもしなかったから。毎年、クラスの中に好きな子が現れて、クラス替えになれば好きな子も替わる。十代の恋心なんてそんなものだろう。それでもエレンは違った。中学校三年に恋をして、高校二年になってまで思い続けるなんて。そして、死んだ今になっても。それだけ高校がつまらなかったのだ。担任に「おまえ暇そうだな」なんて指摘されるほど実際つまらなかった。あの時、いけ好かない先生は俺と遊んでくれるつもりだったのだろうか。なにをして遊ぶ。バレーボールでも二人で弾くか。それで俺の気が紛れたとは到底思えない。自意識とのせめぎ合いの中で生きていたのだ。先生と二人で球を弾く姿なんかを誰かに見られてみろ。結局、俺は自身をこっちに投げ込むしかなかった。
 可能性に賭けてみたと言わんばかりだが、実際は単なる逃避に過ぎなかった。謳歌しなければ悪とされる青春からの逃避。将来像を描くことのできない日々からの逃避。なにより逃げたかったのは昼休み。いけ好かない先生が俺を哀れんでバレーボールなんか誘ってくる昼休み。まったく惨めな昼休み。何処まで走って逃げればいい。校門を抜けて川向こうのスクラップ工場まで行こうか。そこにエレンが待っている。そんなうまい話があるはずないだろう。どこまで逃避しようと自分自身から逃げきることはできない。逃げれば逃げるほど自己が色濃くつきまとう。俺は逃避することでより強く開示されてくる自分に背中を押されながら階段を上っていった。そして、ベランダの先に逃げ場所を見つけた。一歩飛び越えれば俺だけになれた。時間と空間を掻き分けたら、そこには無らしき世界が広がっていた。
 エレンへ語りかける自分を思い浮かべながら過去を振り返る。彼女のなにがそんなに俺を魅了したのか。所詮は中坊の恋心。見た目の可愛さ以上に大したものは求めていない。大きな瞳、くるりと巻いた黒髪。ろくに会話したことすらなかった。愛想の良くない女子だったと記憶している。同じにおいを感じ取ったのかもしれない。大好きなロックンロールミュージックたちは時折現れて俺を助けてくれるけれど、エレンは違った。俺の創り出した場に常に存在し、時に安らぎを与え、時に発狂したくなるほどの羞恥心を与える。時間が流れていてよかった。思いが続けていられる。きっと会いたいなどとは思っていない。俺の正しさを認めてもらいたい。褒められたい。自己をこっちに投げ込んだ俺の正しさ。「それは正しいことをしたね」と苦笑いでもしてくれたら最高だ。でも、そんなことをされた時、俺は目の前の彼女が誰であるのか分からなくなるだろう。
「それは正しいことをしたね」
「本当は誰なんだ」
「それは正しいこと」
「エレンではないね」
「それは正しい」
 自問彼答。それは彼らだったりして。何処に行ったって無数の彼らがつきまとう。小さな宇宙が生まれては消えるたび「嗚呼、正しいことをした」と言葉を漏らす。本当は自分に言い聞かせている。彼らの行いが正しいのかは判断がつかない。でも、何もない世界だから、生まれ出ようとする他にすべきことが思い当たらない。俺の不純な想いよりもはるかに正しい行いだ。そして、その声はどこか優しい。これからはじまろうとしている未知の世界に大きな不安を抱えている彼らは良心の塊だ。ロケットに搭乗した宇宙飛行士なんか比較にならないほどの不安を抱えながら、カウントダウンもなく訪れるインフレーションに備えている。少し力を込めて身構えているだけ。それ以外に何ができる。少し力を込めて、何度も生まれようとするものを押し返し「嗚呼、正しいことをした」と言葉を漏らす。延々と僅かなずれを均し続ける長い世界だ。中にはまるで不安を感じない変異体もいるだろう。俺こそは世界にふさわしいと胸を張るヤツまで現れる。そんなヤツが宇宙を成し遂げたりするのかもしれない。他の彼らと大した違いのない、限りなくゼロに近い小さな宇宙だというのに、向こう側(もしくはこちら側)からこちら側(もしくは向こう側)へとするり突き抜けてしまう。こちら側(もしくは向こう側)からすれば、なにも無かったところにポッと現れたように見える。思いがけず俺自身がそんな一粒の宇宙でした。そんな瞬間だってやってくるのだ。インフレーションを起こして急激に膨張する俺を思い描いては、そいつを掻き消す。生まれては消える不規則なリズムの中で、俺はまた別のナンバーを思い返していた。
 ロックンロールの持つ無神経な危うさが好きなのだ。ポップカルチャーに熱狂しながら音のうねりに身を委ねる。自分独自の在り方を手放してしまう。そんな危うさに埋没したくてヘッドフォンで耳を塞いでボリュームをひねり上げる。日本では過小評価されているミートローフではあるが、英国では『地獄のロック・ライダーⅡ〜地獄への帰還』によって九三年の年間チャートを制覇している。『地獄のロック・ライダー』の一作目にいたっては世界で三番目に売れたアルバムとも言われる。
 生まれてはすぐに収縮して消える彼らを感じながらビートはいつだって真実なのだと実感する。無限に広がる無の中に延々とゆらぎ続ける無数の彼ら。彼らが無数にいるのであれば、有限の確率で変異の入る彼の存在も無数。宇宙の生まれる確率なんて一〇〇パーセントで、いつでもどこかでインフレーションが起きている。また一つ、宇宙は生まれる。いずれ俺も一粒の宇宙として、向こう側(もしくはこちら側)からこちら側(もしくは向こう側)へとするり突き抜けてしまう。いずれ必ず起こることだけれど、それが今である確率は限りなくゼロに近い。脅えることはない。ゆっくりと不安を味わえばいい。インフレーションの恐怖に取り憑かれたならば、顔のない彼らとモッシュしながらロックンロールに熱狂する。拳を握って声を上げる。彼らは俺を救いはしないけれど、ロックンロールの中へと深く埋没させてくれる。
 俺は声高に歌う。今すぐインフレーションに取り込まれる確率は限りなくゼロに近いと自分に言い聞かせる。何も脅えることはない。なのに、こんなにも不安だ。自分の在り方をどうすべきなのか突きつけられている。誰がそんなことを突きつけてくるのか。いないはずの神様、俺は正しい振る舞いをしているでしょうか。いないはずの神様、天罰が下されることはないでしょうか。いないはずの神様、ここをどこだと思っているのよ。俺はナンチャーラ教にもカンチャラー教にも傾倒したことがない。ここで俺に何かを突きつけてくるものなど俺しかいない。勝手に不安がり、自分の在り方をどうすべきかと自問する。インフレーションの出現に脅え続けることがこの世界で在り続ける本来の姿なのかしら。その先は。いつかインフレーションに巻き込まれてしまえば、直後に訪れる灼熱宇宙によって記憶もかき消され、何もかもがなくなったところで体温程度に冷やされていく。以前から思い描いた死のイメージはそこにある。
 まだ柵の中にいた頃、死に脅えたことなどあったろうか。毎日襲ってくる昼休みというやつをどうやってこなすか。そればかりが目の前に立ちはだかり、死なんてものについて考える暇もなかった。一人きりでいる時はロックンロールミュージックで耳を塞げばなにもかも掻き消すことができた。いずれ死ぬという不安を抱えていたのは、むしろローティーンだった頃。苦痛なだけの部活を終えて、寒くて暗い帰り道を駆け抜けたあの冬。この帰り道が延々と続いてどこへもたどり着くことがなかったらどうしよう。なんて。どこもかしこも似たような建物が乱立する団地街を縫いながら俺は夢中で走った。ついに闇の塊に追いつかれ、そいつが腹の中へと飛び込めば、死なんて恐怖にとりつかれた。生きものの命は永遠ではない。やがて死を迎え、永遠の何もないが続く。何もないが永遠に続くというのはどういうことなのかしら。何も見えない、何も聞こえない、何も感じない。大丈夫。ここにはおまえ自身と無数の彼らがいるよ。それが救いになるのかは知れない。やがてインフレーションに巻き込まれてその先は未知の世界。
 でも、たぶんね、新しい宇宙の観測者として生まれ変わるのだと思うよ。なんとなく感覚として刻まれている。きっとはじめてのことじゃない。あの時の俺が気づいていたら延々と続く帰り道に悩まされることは無くなるかもしれない。でも、そんなことを知ってしまったら、ニンゲンの命なんてとるに足らない。人生なんてあったもんじゃない。気に入らなかったらすぐに死んでやれ。腹が立ったらすぐに殺してやれ。世界に文化も信仰もあったもんじゃない。ニンゲンはいずれ死ぬから豊かなの。積極的に死んだ俺がなにを言う。不安から目を逸らそうと躍起になるから、全米が泣いた。不安から目を逸らそうと躍起になるから、名画で巡る一〇〇年の旅。不安から目を逸らそうと躍起になるから、毎度馬鹿馬鹿しいお笑いを一席。不安から目を逸らそうと躍起になるから、アーユーレディートゥロック?
 おまえは不安でよかったのだ。俺は不安でいいのだ。不安こそが本来あるべき俺だから。まるで納得なんてできないけれど。決して気持ちのいいことではないけれど。不安で不安でしかたがないから俺はもう一つ歌に頼る。

 なんでもないわ 私は大丈夫 どこにも隙がない
 なんでもないわ 私は大丈夫 なんでもないわ どこにも隙がない

 『誕生』と両A面トラックとして収録された『maybe』のBメロ。ミドルテンポの軽快なナンバーから一転、パワーバラッドへと変調していくつなぎ目、声を震わせて目一杯強がり女を演じる中島みゆきの真骨頂。どこにも隙がない世界。無数の彼らが支える安定した世界。光が射さないから何も見えない。空気が震えないから何も聞こえない。どうせ感知する器官がない。ぼんやりとした不安だけを与える隙のない世界。なんでもないわと強がっている。私は大丈夫と漂っている。無数の彼らを開示させて、いつしか生み出されるインフレーションに脅えながらも俺は彼らに守られている。不安を抱える俺、こいつからはどうしたって逃れることができない。そこで存在認識。俺はいつでもここに在るよと自分に言い聞かせる。
 彼らは絶えずゆらいでいる。時折、バランスを崩したようにミクロな宇宙を打ち上げては直ぐに消える。その佇まいは同時多発するただ一つの彼のようでもある。どう見えるかなんて俺次第、見えないところは管轄外。俺のもとに開示された存在は、不規則にゆらぐ質量ゼロの粒子集団であり、ゼロを媒体とした細波のようでもある。どちらのほうが都合いいかしら。質量を持たない彼らはジッとしていられない。俺は彼らと同類の一粒ではないのだね。じっとしていられない彼らが生み出す僅かなエネルギーこそ、俺の動力源。俺の餌。そいつが正しいことであるかは知らない。ここには大したものが存在しないから。俺、俺、俺。なんの抵抗もない世界に質量は生まれない。必要もない。ここで思考を回すくらいの僅かなエネルギーだけで十二分。三七兆だか六〇兆だかの細胞で代謝していた頃に比べればはるかに身軽で、腹から削ぎ落とすことのできない脂肪細胞なんかに悩まされることもない。そいつと引き換えに消えることのない不安、不安、不安。肉に包まれ骨にしがみついていた頃とは、比べものにならないほど不安定な俺。またポピュラーミュージックに逃げ込んでしまいたくなるところ、あえて堪える。
 死を想えと言う。それが本来あるべきニンゲンの姿だと。既に死んだ俺はどうあるべきか。大好きなロックンロールミュージックに逃げ込んではいけないか。十五の頃、高校受験が終わったらラジオを流しながら一日中惚けているようと決めていた。些細な夢だ。受験が終わった後、一日くらい腑抜けになって過ごしただろうか。あまり覚えてはいない。中学校の頃は比較的楽しかった。冬の夜は死への自覚が死ぬほど怖かったけれど、所詮は中坊だ、裏を返せば、いずれ死ぬこと程度しか悩みがなかった。楽しかったというよりいい塩梅に抜けていた。そして、なにより実体としてエレンがいた。世界は実にいい塩梅だった。卒業式、肩を寄せて泣いている女子がいた。とても不自然な光景に見えていたことを覚えている。中学校が終わったからといって二度と会えなくなるわけではないだろう。練習の足りない学芸会の一場面を観せられたような気分だ。誰に観せるための芝居だったのだろう。クラスメート、先生、お互いのため。結果的にあの光景が焼き付いている。俺をターゲットとした芝居ではなかったろうけれど、彼女たちの思惑はある程度成功した。ところで君らは誰だったか。全く覚えていないな。
 なんでもない思い出にいくらか気持ちが和らいでいる。俺はこの先どうすればいいのか。不安の話しをしている最中だった。どうしてゆったりとした気持ちで歌でも歌っていられないのか。俺はここに来てからずっと不安を抱えている。不安という言葉を何度漏らしただろうか。いつでも自分に問いかけ、不安に対する答えを待っている。いくらだって答えを待つと言いたいけれど、どうもこのひねくれた世界はいつまでも待ってはくれない。どうしたってゆったりとした気持ちで歌ってはいられない。ここでゆらいでいるのは俺の不安たち。同時多発する俺と俺と俺。薄々気づいていた。ここには俺に開示する場を与える無の世界以外に何もない。不安がゆらめくマイナスのエネルギー。宇宙を生み出すプラスのエネルギーを相殺するに十分なマイナスのエネルギー。俺は不安など抱えるべきではなかった。大好きなロックンロールミュージックや中島みゆきをいつまでもいつまでも歌い続けていればよかった。

 機は熟した。

 俺はもうここから生まれ出るしかないのだろう。十分に蓄えられた不安というマイナスのエネルギーを反動としてゼロの世界がざわめきはじめる。明らかに先ほどまでとは違う様子で、あらゆる方向へと曖昧な虚数時間が動きはじめている。ざわめく世界の中で限りなくゼロに近い小さな宇宙が無数に生み出される。そして、すぐに消える。他のどれと何も変わらない、限りなくゼロに近い小さな宇宙に一つ、向こう側(もしくはこちら側)からこちら側(もしくは向こう側)へとするり突き抜けてしまうものが現れる。なにも特別ではないものが持つ確率。こちら側(もしくは向こう側)からすれば、なにも無かったところにポッと現れたようにそれは見える。もうちょっと待って。そうは言っても確かな時間など無いのだから、待つも待たないも同じこと。ここに彼らなどいないと認めた今、同時多発する俺たちで満たされた世界はいずれ、向こう側(もしくはこちら側)からこちら側(もしくは向こう側)へとするり突き抜けてしまう。そして、無からの宇宙創世。不安を打ち消すプラスのエネルギーが斥力として働き、無だと思われていたマイナスの世界から急激に膨れ上がっていく。不安は恐れへと変わる。インフレーションという確かな対象を持った恐れだ。世界のなにもかもが確からしい。
 もう一度宇宙に身を置くのであれば、エレンを探し求めて彷徨うのだろう。俺の存在認識はインフレーションに、そして、灼熱の宇宙に耐えられるのだろうか。あらゆる粒子が光速で飛び交うビッグバン宇宙に投げ込まれた時、中島みゆきの記憶は焼かれ、ミートローフの記憶は焼かれ、エレンの記憶も焼かれてしまうのではないか。この恐れがどこか懐かしいのは、中坊だったあの頃を思い起こさせるから。暗くて寒い家路を駆け抜け、永遠ではない命に苦悩した、あの頃の感覚をしっかりと覚えている。幼いようにも思えるが、あれこそニンゲンの本来性ではないか。久しぶりに闇の塊を腹に抱えながら、大声を上げたくなる気持ちを必死に堪えながら、時の流れに抗ってみる。後ろへ後ろへ前進する。虚数時間の世界はとっくに実数時間の世界へと姿を変えていた。もはやどれだけ足掻いても決められた方向にしか進むことができない。灼熱の世界へと一直線。
 急激な膨張は、自分の置かれている状況を強く認識させ、俺をまた確かな存在として認識させる。恐怖にまみれた悪足掻きもある程度功を奏す。急膨張の中で密度の不均一さを生む。インフレーションは一瞬のことで、膨張が緩やかになると残されたエネルギーたちがモノの種となる粒子たちを生み、灼熱の世界となった。三〇〇〇ケルビンの空間は均一でなく、僅かに柔らかい場所がある。俺はなるべく柔らかな空間へと意識を集中させる。これから世界が晴れ上がるまで三七万年の間、俺は大切な記憶を失わないよう、繰り返し繰り返し思い返す。
 光の速度で飛び交う粒子たち。そこには明らかに俺ではないものたちが存在している。俺が生み出した不安や恐怖はこんな莫大なものだったのかしら。俺を焼き尽くそうとする彼らの悪意を感じるよ。地獄で釜茹でにされる気分はこんな感じかしら。俺ではない粒子がいくつも飛んでいる。インフレーション以前の世界には、結局、同時多発的に出現する俺しか了解ができなかった。俺の気分に合わせてどうとでもできた世界。正しく世界を認識した途端に世界は姿を変えた。確かに俺しかいない世界だった。世界が完結することで全貌を了解する。世界は俺の内に存在し、うまくいかないこともあったけれど、気分一つでどうとでもなった。世界を変えたいわけではなかった。不安が飽和して、外に吐き出す以外に手だてがなかった。
 灼熱世界が晴れ上がるまでに三七万年。焼かれないまでも、真っ直ぐ時間軸の敷かれた世界で、生前の記憶をいつまでも保ち続けていられるのだろうか。この国の男性平均寿命が八一年として、ざっと四六〇〇倍。そして、三七万年が過ぎ去ったところでそこはまだ真っ暗な原始の宇宙。この光が知性を持った生物の住む星に届くまで一三八億年。途方もない時間に空笑い。
 できたての宇宙は変化に富む。粒子の様子が変わってきた。どれも同じように飛び交っていたものたちに速さの違いが現れはじめた。粒子に抵抗を与えるものが満ちはじめたのだ。彼だか俺だか知れない不安が蠢いていた世界とは明らかに違うエネルギーに満ちた世界、俺は空笑いしながらその鮮やかさに魅了されている。粒子たちは波のようでも紐のようでもあるが、あの頃のような同時多発する俺だけの世界ではない。俺は久しぶりに自己とは異なるものに満ちた世界と関係を持ち、しばし放心する。実体として粒子たちの存在を認識し、飛び交う様態を解釈する。それだけではない。彼らは多種多様な粒子ペアとして生成され、衝突すると消滅した。俺は飛び交う粒子を感じながらこれだけ多くのことを了解している。三〇〇〇ケルビンの灼熱世界の中で開示されるその豊かさに、思いがけず世界と自己の存在に感謝していた。
 反面、あまりに巨大なエネルギーは不安を掻き立てる。三七万年をかけて、中島みゆきの記憶を焼き、ミートローフの記憶を焼き、エレンの記憶さえも焼き尽くす。この豊かさは新しい世界をはじめるための余興ではないかしら。インフレーションを乗り越えて灼熱宇宙へとたどり着いた。それは瞬時の出来事で、気付けば一つ目のハードルを越えていた。それでも自己が存在する限り消滅の不安はつきない。端から見れば陰気な学生だったろうが、全てを焼かれ、自己がリセットされることを望んではなかった。あの昼休みさえ逃避できたならば、自分を見失うほどのポップカルチャーや、好きにならずにいられない女子への想いに埋没しながら世界と関わっていたかった。急激に広がった世界はひどく均一で居心地が悪い。それぞれの粒子がすべきことをこなしているだけの世界。そこには歪さが足りない。
 俺が開示した世界に放り込まれた俺。自分だけではないものが無数に飛び交う世界が流れ出し、自分の存在意義などに気使いをはじめる。ここには様々な粒子がある。三〇〇〇ケルビンのエネルギーがある。粒子の動きに抵抗を与えるものがある。均一な世界を歪めるのは差ほど難しいことではないように思える。そもそもこれだけの物質とエネルギーを生み出したのは、インフレーション以前の俺の仕業なのだ。不安や恐れが生み出したマイナスのエネルギー、それを斥力に飛び出した宇宙。粒子のペアは生成と消滅を繰り返しているが、全体としては減少の方向へと進んでいる。世界が均一に冷えてしまわないよう、俺は舌を打って唾を吐く。
 いけ好かない先生。あいつは確かそんな名前だった。ベランダを越えてやろうと思いはじめた頃、遺書を書き残しておくのもまた一興などと考えた。

 前略 いけ好かない先生、あなたは昼休みの度、私の様子を伺いにきましたね。

 紙に言葉を落とした途端、あいつを追い込むことはあまり得策ではないように思えた。そんなことであいつまで自殺してみろ。死んでも俺の様子を見に来るだろう。勘弁してくれ。
 そうだ。忘れがちだけれど、こんな俺にも一人だけロック談義できる仲間がいたんだよ。今となってはあいつの顔が浮かんでこない。灼熱のせいだろうか。大好きだった女といけ好かない先生のことは覚えているけれど、一緒にいたクラスメートの顔が思い浮かばない。ヴァン・ヘイレンみたいな名前だったような。ジョン・トラボルタみたいな顔だったような。俺はあいつと昼休みを過ごしていなかったのだろうか。ヴァンと談笑していたのにもかかわらず、いけ好かない先生は「おまえ、暇そうだな」と声をかけてきたのだろうか。誰も聴かないミートローフなんかを話題にしていたのがいけなかったか。青春を謳歌しているようには映らなかったか。あんたにしてみれば暇している生徒は悪だったから。
 苦い思い出が灼熱宇宙に冷たい領域を生む。エネルギーが流れ込もうとするけれど、膨張のスピードに追いつかず、そこにわずかな斑ができた。
「大きくなったら天文学者になりたいです」
 あれは幼稚園のお誕生日会だった。俺はママに書いてもらったメモを開いて読み上げた。自分からママに聞いたんだよ。星について調べる仕事をする人のことをなんといいますか。幼稚園児のことだから、実際はもっと拙い言葉で尋ねただろうけれど。いずれにせよ『天文学者』という言葉を手に入れることに成功した。あの頃、俺にはぼんやりとした憧れ以外に夢なんてなかった。誰だってそうだろう。木造建築の柱に跨がって金輪栓を打ち込む棟梁の姿に胸を打たれた。ゴミ収集車に捕まって運ばれる茶髪の兄ちゃんだって輝いて見えた。それでも、ママに好かれたい一心で星の仕事がしたいなどと口にしたのだ。どうだい。ママ、俺は今、宇宙に偏りを造ろうとしているよ。これが何を意味しているか分かるかい。
 また一つ灼熱宇宙に冷たい領域が生まれた。こんな風にして世界が冷え切るまでの三七万年間、俺は宇宙に斑を造り続けるのかしら。インフレーション以降、しばらくエネルギーの解放に見惚れていたが、次第に興味が薄れてきたんだ。慣れてしまえば単調な世界。確かに熱があり、まだ軽い原子に過ぎないけれど、強い力と電磁力で結びついた物質がある。無の世界に投げ込まれていたころと比べると、いくらか馴染みのある世界だ。自己が焼かれてしまうことがないと知れば恐れるものもない。延々続く灼熱世界、気をつけなければならないことと言えば、均一に冷まさないこと。物質が均一な宇宙では、星一つ存在しない塵だらけの世界になってしまうから。
 『天文学者』になりたいなんて宣言した手前、俺の部屋には、太陽系、銀河系、宇宙に関する図鑑やニュートン・ムックが並んでいた。多少なりともページを捲る。本棚で調べられる程度の宇宙については身についていた。ニンゲンが死んだら宇宙が生じる以前まで立ち返るとは書かれていなかったけれど、今は実感としてそいつを知っている。世界は求めるところに即してその都度開かれていく。拙い知識で作り出される紙芝居。かつて過ごした世界とはまるで異なるB級ワールドが広がっていく。最高のロックオペラをバックグラウンドミュージックに王様気分で行進を続けよう。
 大声を上げたくなることもあったけれど、大抵は口を噤んでいた。冷めた目で世の中を斜めに見ていたのは、エレンの佇まいを真似していたかったから。それがいい格好だと思っていた。そうすることで彼女の目に映っていた世界だって見えてくると思っていた。あれ、なんだか泣きそうだ。エレンの顔が出てこない。表情の乏しい顔だった。卵のようにつるんとした顔だった。俺は大きな不安に包まれる。世界が都合よくコントロールできない苛立ちに、そいつを蹴り倒した。エレンなのか知れない女は倒れ、腰のあたりからぽっきり二つに折れた。なんだよ。ただのマネキンじゃないか。
 記憶があやふやになりはじめている。俺はひどく疲れていた。ベランダを越えてから一度も眠っていない。いくら身体を持たないからといっても、休まないでいいことはないだろう。なにも考えるな。そうすれば眠れる。何も考えるな。それが俺にとって休息をとる手段だから。そう言い聞かせても、世界はわずかなむらしか存在しない三六〇度スクリーン。蠢くマーブル模様によって、全天球に様々なものが開示され、無心になろうにも難しい。
 生まれたときから死ぬことが決まっていた。眠れ眠れと思うほど無用な思考が回りはじめる。死が生きることに属しているなんて、特別なことではない。ミミズだって、オケラだって、アメンボだって、みんなみんな生きている。そして、未了の死というおまけつき。不安だ。大変なおまけだ。シールがおまけなのかチョコレートがおまけなのか分からない駄菓子みたい。不安だ。オケラやアメンボがどう感じているか知らないけれど、大抵のニンゲンは死を恐れる。不安だから、馬男らは鹿女らとキャッキャ言いあいながら目を逸らす。あまりに魅力的でないおまけに向き合ったところで気が滅入るだけだから。俺はもっとキチガイのようになってから身を投じても良かった。死を受け入れるために良心を持って生きようなんて輩もいるらしい。どういうつもりなのか気が知れない。閻魔様に気に入られて天国への階段を上ろうという魂胆かしら。
 校舎の最上階へ向かう時、もう少しまともでいられれば、とんでもない恐怖を感じられたはずだ。目を剥いて、涎を垂らして、大声を上げながら四つ脚で這い蹲っても不思議ではない。なんで俺は黙々と二本足で階段を上れるよう、自分を誤魔化し続けたのか。程よく観察者の在る教室を選ぶことまでできたのか。どこまで逃避しようと自分自身から逃れることなどできない。知っていたよ。逃げれば逃げるほど色濃くつきまとう自己にうんざりした。そんな自分を振り払うように階段を上っていった。本当だろうか。いけ好かない先生の足音に耳を立ててはいなかったろうか。バレーボールよりも鬼ごっこがしたかった。どこかでいけ好かない先生が俺を捕まえてくれるものと信じていた。だから俺はキチガイのようになってベランダを飛び越えるような真似はしなかった。しかし、耳を澄ませたところでいけ好かない足音は聞こえない。先生、あんたは俺に追いつこうと全力を出さなかったね。
 校舎の最上階へと向かう時、俺はエレンのことを思い返したりはしなかったのだろうか。学芸会のような中学校卒業式を終えてから二度と会う機会のなかった少女を、いつまでも恋愛の対象としていた。ベランダに向かいながら、目を剥いて、涎を垂らしながら、その美しい名前を叫んだってよかった。でもね、四六時中エレンのことばかり考えていたわけでもないのだよ。高校に上がって好きになった女がいなかったから、結果的に中学校三年時分に惚れたエレンのことが一番好き。そして、俺には夢中になれるロックンロールミュージックが在った。一〇秒音飛び機能防止付きディスクマンにCDを突っ込んでヘッドフォンで耳を塞げばロックンロールのうねりに埋没する事ができた。ロックンロールについて話しができるたった一人の友人だっていたはずなんだ。
 校舎の最上階へと向かう時、おまえは一緒にいなかったのか。毎日のように飽きもせずロックンロール談義に付き合ってくれたおまえは最上階からベランダを越えようとする俺を追いかけてはくれなかったのか。ヴァン・ヘイレンみたいな名前だったような。ジョン・トラボルタみたいな顔だったような。おまえは俺と昼休みを過ごしていてはくれなかったのか。いけ好かない先生が「おまえ、暇そうだな」と声をかけてきた時、おまえは他のクラスメートとどこかに行ってしまっていたのか。中学校の時なら、グラウンドに飛び出してボールを蹴って過ごした。高校の昼休み、皆はいったい何をして過ごしていたのか。バレーボールをするのか。皆で輪になって球を空へ打ち上げるのか。なぁ、ヴァン、おまえもそうだったのか。なぁ、ヴァン、おまえは青春を謳歌していない俺と一緒にいることが恥ずかしかったのではないか。
 記憶は徐々に薄れていく。なんで死ぬなんて真似をしたのか、目的が分からなくなってきた。あの時、俺にはその道以外の選択肢が見えなくなっていた。肉体を無くした俺は灼熱宇宙を感じているよ。それが正しいことであるのかは分からないけれど、マネキン女を蹴り倒すことだってできた。俺は実質的には死んでいない。あの頃、冷静でいられない昼休みを抱えていた。ニンゲンはそんなに多くのものを一度に開示させることはできない。優先順位をつける。死を思うなんてことなんて、二の次、三の次。曲がり形にも高校生だったから。いけ好かない先生に暇していることを見抜かれ、下手すれば「バレーボールでもしよう」などと誘われかねなかった。おそらく、ヴァンはいなかった。そもそもそんな男が本当に存在していたのか、今となってはなんだか自信がないよ。ただ先生とバレーボールなんて目に遭うことが死ぬより耐えられなかった。昼休みの間中、無地のノートを広げて死に向き合っていればまだよかったかしら。
「いけ好かない先生、俺は暇ではありません」
 胸を張って首を振る。死ぬのが勿体ないと思えるほど上質な生き方があったかもしれない。
「死はいつ起こるか分からないもの。実質的に関わることができないもの。でも、それを受け止めることで、俺は先生を含めた皆とは隔絶された存在であることを強く認識できるのです。そして、自己保存に基づいた行動が如何に虚しいものであるかを思い知らされるのです。先生、俺の言いたいことが分かりますか?」
 俺は鈍器のような眼光をいけ好かない先生に向けることだってできた。それでも、あの時はただ早く過ぎ去れと願うばかりだった。暇をしていたことは確かで、それが許されないことと分かっていた。昼休みという存在をそういう時間として捕らえていたのは誰よりも俺自身だったから。
 いけ好かない先生が俺のもとへとやってきた。その薄ら笑いに込められた意図はなんだったのだ。バレーボールなどと言い出す前に、俺は教室を後にした。何処へ向かう。校門を抜けて川向こうのスクラップ工場まで行こうか。そこにエレンが待ってでもいるなら話は別だが、どうせ二つに折れたマネキンに違いない。だから、俺はいけ好かない先生の声に耳を立てながら階段を上っていった。エレンのことなど思い出すことはなかった。ヴァンなどというロックンロール通の男が存在していたのかは知らない。死を積極的に実現することと、死を正面から受け止めることは似て非なるものである。死の実現はそれを回避する手段の一つに過ぎない。死を見つめながら生き続けることは息苦しい。それでも、なにより昼休みのほうが問題だった。
 そして、ベランダの先に逃げ場所を見つけた。一歩飛び越えればたった一つの自己だけが開示された。時間と空間を掻き分けたら、そこには無の世界が広がっていた。死んだにも関わらず、思いがけず自分自身の存在を了解したままだった。言葉を利用して語ることすらできた。死に至るまでの恨み辛みを吐き出すことだってできたし、これからの可能性について慮ることだってできた。俺にはなぜか可能性があり、時間が流れていた。死んだら無に帰るものと思っていた。とても意外だった。へぇ。絶望は感じなかった。時間が流れているといっても、ベランダ以前の世界とつながっているわけではないようだったから。これで二度とあの場所のあの昼休みへ足を運ぶ必要はなくなった。ユニバースは一つではなかった。宇宙が膨張を続けていると知ったときから薄々感づいていた。ミートローフや中島みゆきでも思い出しながらのんびりとやろうなんて、高校受験を終えたような開放感。やっぱりあそこは無の世界だった。存在認識によって時間を持つ俺が、無の世界に対処した。そこにゆらいでいたのは俺と俺と俺。不安定な世界は長続きしなかった。
 今になって思えば、あそこには俺を開示した俺がいたのと同様、彼を開示した彼もいた。彼を開示した俺がいたのと同様、俺を開示した彼もいた。何も無い世界から俺だけが飛び出すとは考えにくい。無限数の彼らがいつだって無の世界を飛び出していた。俺たちは小さな宇宙にしがみつき、それぞれ交わることはなく、個別の宇宙を展開する。
 そして、インフレーションに続く灼熱宇宙の中、やはり一度自己も無に帰るのではないかと思っている。そうでないと俺がティーンエージャーまでを過ごしたユニバースと関係を持つことになってしまうから。それは宇宙の原則からすると在り難いことであって、俺だけが法則から外れるはずもない。柵の中で一緒に過ごしたジョンみたいな顔したヴァンみたいな名前のヤツなんて知らない。マネキンになった女は崩れ去り、冷たい瞳はくすんでしまった。そういえば、中島みゆきが流れない。ラジオに乗って聞こえてきた素っ頓狂な笑声は覚えているのに、俺の知っている数少ないパワーバラッドはとうに忘れてしまった。実体の無い俺が全ての記憶を無くしたって相変わらず俺なのだろう。ベランダを越えた時、肉体を脱ぎ捨てることができただけで、死ははじまったばかりだった。それとも、死に方が唐突すぎたせいで、肉体と一緒に全ての記憶を捨て去ることができなかったのかしら。いずれにしろ、俺は長いような時間をかけて無に帰る。不安定な無の世界を抜け、灼熱世界に一つ一つの記憶が焼かれ、不安を覚えて、また焼かれて、不安になっての繰り返し。それは宇宙に星々を配置する下準備のためにも必要な手順だった。
 それにしてもいけ好かない先生。あんたはいつまで俺の中に居座るつもりなのだろうか。よっぽどインパクトがあったのだろう。この忌々しいニンゲンだけは、忘れるのを待つでなく、自ら積極的に消し去りたい。ここは俺が育てていく宇宙なのに、なんで好きなようにコントロールができない。あいつの尻をバットで叩いてやることはできても、記憶から消すことが容易でない。ほらほら、またいけ好かない先生は退屈な俺のもとへ近寄ってくる。学生を昼休みに退屈させてはいけないからバレーボールにでも誘いなさい。高等学校学習指導要領等に書かれていたのだろうか。あいつの立場をきちんと理解できたなら、もっとうまく立ち振る舞うことができたのかもしれない。でも、そんな余裕は無かった。俺は俺で昼休みを退屈してはいけないことを知っていたから。何かしなければいけない(あるいは何かしているように見せなければならない)と焦っていた。毎日毎日焦っていたのだよ。昼休みに一〇秒音飛び機能防止付きディスクマンにCDを突っ込んで、ヘッドフォンで耳を塞いでいてもいけないのでしょう。ならば、誰もいない昼間の教室でロックバラッドでも口ずさんでいたかった。なんで俺は高校生で在ることに執着したのでしょう。考えてみれば不思議なものです。やたらと近視眼的になって、昼休みを乗り越えることしか問題にならなくて、そいつは大きく膨らんで、恥を忍んでいけ好かない先生とバレーボールをする、または、死。
 世界なんて、所詮、全部俺だって。そんなことはベランダを越える前から気づいていたはずだよ。それは慰めになるが、虚しくもなる。焦っている日々にも馬鹿らしくなって、ベランダの向こうに逃げ道を求めた。俺は昼休みを起点にして、世界の虚しさに気づいてしまった。逃げ出したという言葉で片付けるのを止めにしようというなら、何ものにも捕らわれることのない虚無空間へ前向きに飛んだと考えるのはどうだ。世界なんて後付けでいくらでも解釈ができる。
 あの時、恥を忍んでいけ好かない先生とバレーボールをしていたらどうだったろう。
「ああ、あいつは昼休みにやることがないから担任の先生とバレーボールなんかをしているぞ」
 高校生という柵の中で彼らから浴びせられる嘲笑。
「一緒にやろうぜ」
 なんて、いけ好かない先生は言い出したのかもしれない。以外と大きな輪になったのかもしれない。輪の中に埋没して俺は安心を得られたのかもしれない。それでも、俺の中から声がしただろう。世界なんて、所詮、全部俺だって。だから、ベランダの向こうに広がる空虚を見つめた。結局、俺は逃げることになる。恥を忍んでいけ好かない先生とバレーボールをすることから。そして、安心を得ることに成功した虚しい昼休みから。安心など無用な、柵の無い世界を手に入れる。
 ねえ、いけ好かない先生。どの道俺は同じことをしてしまうよ。先生の引いたトリガーによって飛んでしまうよ。お陰さまで可能性に満ちた新たな空間へと進級することができました。

 先生、ありがとう。

 はじめて感謝の気持ちが込み上げたところで、俺はいけ好かない先生に卒業証書を突きつける。積極的に消しにかかる。ここには様々な粒子がある。三〇〇〇ケルビンのエネルギーがある。粒子の動きに抵抗を与えるもののある。粒子はぶつかり合いあちこちで小さなビッグバンを起こし、新たな粒子を生む。ミクロにみればエネルギーの隔たりはあるだろうが、マクロにみれば小さなビッグバンはどこも均一に生じている。俺の一声で小さなビッグバンをまとめてみせる。そして、幼稚園でのお誕生日会を思い返しながら、突拍子も無いことを言ってみる。
「大きくなったらロック・スターになりたいです」
 三〇〇〇ケルビンの世界の中で、大好きなナンバーが流れる。ロックンロールの持つ危うさが好きなんだ。ポップカルチャーに熱狂した俺は音のうねりの中へと埋没し、自分独自の在り方を手放してしまう。そんな危うさがなんとか俺を高校生活につなぎ止めていた。どんな渦にもその中心があり、俺にはミートローフが在った。渦を巻き起こす起爆剤となったのは、魅力的な音を紡いだジム・スタインマン。どんな宇宙にも特別な地点は存在しないはずだけれど、これは俺が生み出したものだから。俺が心から求める時、この灼熱の宇宙にはロックンロールが似合うだろう。
 本当は嘘だよ。ロック・スターになんか憧れたことなんてない。あんな煌びやかな世界を望んでいたならば、こんな世界で灼熱にせっせと斑なんて拵えていやしない。釘を打つのが好きだった。ネジを回すのが好きだった。
「僕、大きくなったら大工さんになりたいです」
 あの時、なんでそう言わなかったのだろう。人並みに格好のいいことを言わなければならない。五歳だって見栄を張る。幼稚園の中でお友だちともに生きていかなければならない。柵の向こうに飛び出すことなんて考えもつかないから。お友達に埋没して自分を強く認識することができない。大工という夢にまだ疑問があったならば沈黙で語ればよかった。でも、そんなことは許されない。少なくとも俺はそう判断した。そして、お友だちの視線に捕まりながら天文学者になりたいという夢を宣言することで悦に浸ることを選んだ。それがお誕生日会の主役としてあるべき姿なのだから。
 幼稚園のお友だち、先生、誰一人として顔が思い出せない。顔のない彼らに捕まりながらあの時確かに俺は言った。
「僕、大きくなったら天文学者になりたいです」
 残された記憶はどれも忌々しい。そんなものの中でしか自分を了解することができないのであれば、いっそのこと全ての記憶を焼かれてしまえばいい。最後には巨漢の歌い上げたジム・スタインマンのナンバーしか分からなくなって蝉のように鳴きながら宇宙の晴れ上がりを待つか。彼らの声にかき消されて聞き逃していた自己の声に耳を傾ける。こんなところで追い求める理想なんてない。全てを焼き尽くされる覚悟で、思い出たちに感謝を込めて手を振れば、最終楽章が流れ出した。
 三七万年をかけてじっくりとローストされた俺は、止まらない宇宙の膨張によって次第に冷やされていく。灼熱の中で絶えずぶつかり合っていた粒子たちは結びつきはじめ、宇宙は晴れ上がっていく。晴れ上がりといっても一帯を埋め尽くしていた熱が凝集をはじめ、その隙間に光が直進するようになる。宇宙が晴れ上がることで、そこに闇が生じた。ローストされながらもがき続けた結果、俺の無駄なおしゃべりは望遠鏡では観測できない何かとして粒子の隙間を埋め尽くしていった。そして、引き延ばされた宇宙には粒子たちの隔たりが生まれた。
 次第に冷めていく世界に戸惑いながら、不安を掻き消すように俺はまだロックオペラを歌い続けている。粒子たちの結びつきは止まらない。やがて目に見えるほどの塵になる。俺は肉体を脱ぎ捨ててから何度となく不安という言葉をこぼした。宇宙にはじめての星が誕生するまで二億年。生命が誕生するまでに一〇〇億年。俺がうまいこと宇宙をかき混ぜて、粒子間の相互作用を引き起こす。いくつかの力が前にいた宇宙と大きく変わらなければ、きっと膨張を続ける宇宙のどこかで水が液体として存在できる絶妙な惑星が一つや二つは生まれるだろう。そして、俺はこれからも不安をこぼし続けていく。俺が続いていく限り一つの世界が存在する。
 インフレーション以前に無をともにした一つ一つの彼らは今頃どんなユニバースを見せているのだろうか。力のバランスが悪くて、すぐに消えてしまった彼らも多数在るだろう。中には誰にも思いつかない物理法則で既に知性を持った生物が豊かな暮らしをはじめている彼地が在るかも知れない。一つ一つのユニバースは扉でつながっていることはないから、想像することしかできない。俺も頑張るよ。B級ワールドの王様気分で、かつて天文学者を目指して手に取った図鑑やニュートン・ムックをあてにして、成長する宇宙を微調整しよう。宇宙が塵だらけの味気ない姿にならないよう、時折うまいこと引っ掻きまわそう。昼休みには、記憶の限りにロックオペラし続けながら宇宙の塵を集めていきたい。無数の塵の中からそれにふさわしいものを集めながら新しい可能性をめがけている。星を創ろうなんてわけではない。適度に引っ掻き回しておけば、あとは自然と宇宙の法則によって、星が、銀河が、そして、銀河団の結びつきができあがっていくはずだ。
 俺が創り上げようとしているものは、二本ずつの手と足を持ち、頭にはつやつやした髪を伸ばしている。マネキンと呼んでいたものだ。特に髪の毛一本一本には拘ってみたい。かつて全ての不安が掻き消されるほどに想い続けたヒトがいた。そのヒトは真っ黒な髪をしていた。そのヒトは癖のある巻き毛をしていた。全ての光を呑み込んでしまいそうな真っ黒な髪、でも、カールしたところだけがほんのり赤毛に輝いていた。
 俺は宇宙の塵一つ一つを確認して、全て光を呑み込んでしまいそうなほど真っ黒で、癖のある巻き毛で、カールしたところだけ少し赤毛に見える、そんな髪の毛に相応しい粒子を探し続ける。粒子と粒子は強い力で結びつく。一〇個、二〇個と結びつけても、自重で潰れてしまうことはなかった。俺は小さく安堵の溜め息をつく。電磁力と重力の力配分は生命を生み出すことにとっても実に大切なことだから。俺はそのまだまだ小さな物質を眺めながら、将来に向けて笑みを浮かべる。やがて一〇〇億年ほどが過ぎ、膨張を続ける宇宙のどこかで真っ白な光が射し込む真っ青な惑星が誕生したとき、その宇宙で一つのマネキンを建立したい。そして、やっぱり、その星には四つ足の生き物が生まれたらいいと願っている。一方は気の弱い阿呆で、もう一方は長い髪の毛が印象的な美しい生き物であったならと願っている。俺は覚えている。青く遠い空と、身を砕くほど強固な大地。心震えるほど愛らしく、下半身が疼くのを必死に押し殺した夜を覚えている。死ぬほど惨めで、そんな奴らために開発されたロックンロールミュージックに逃避した日々を覚えている。システムは完璧だった。結局、あんな世界に帰りたいと願っている。今は美しいマネキンを造るべく、懸命になって塵を吟味している。暗黒世界の中で、ようやく何にも気遣うことなくじっくり自分の思いに耳を傾けている。不安は耐えない。それでも、この暗黒を受け入れる覚悟の先に可能性を見ている。何もかもが意のままになるはずはないけれど、一つ、二つは選び取ることができるでしょう。
 俺はまだニンゲンで、相変わらず自己を了解するかたちで存在している。そして、多くの余計な記憶が掻き消され身軽になってきたことはとてもハッピーだ。空っぽになった俺は時間を解釈し、空間を解釈し、この暗黒を解釈し、力を持つ物質に配慮して、俺を中心に立ち現れている世界を貪欲に取り込んでいく。いつだってそうだった。ずっとずっと以前からそうだったけれど、あまりに困難なシステムが立ち現れると、自分はその中でしか運動することが許さない歯車なのだと勘違いする。そんな必要はなかった。誰だって自分が求めるところに従って展開される世界に生きているのだから。
 どんな宇宙にも特別な地点は存在しない。それでも俺がマネキンを組み立てていくこの場所は、俺が解釈したものたちによって展開される俺だけの場所。宇宙のとある座標で、蜂の巣状に広がる銀河団の一点で、膨張を続ける世界を眺めている。世界が無数のマルチバースからなるとして、各々のユニバースに多くのハビタブルゾーンが在るとして、命は将来を見つめている。一度でも、真っ白な光が射し込む真っ青な惑星を知ってしまったから。もう一度、あの大地の上で這い蹲りたいと願う。
 鼻歌でしか歌えなくなってしまったロックンロールナンバー。かつて薄暗い部屋の中で聞こえてきた泣きのバラッド。あの夜、暖かく、柔らかなものに包まれながら鼓膜を揺らせた。次第に消されていく記憶の中で、俺は強く自分自身の存在を了解している。時間が巻き戻されることはないから、走り出した宇宙の中で、俺はいくつかの在り方を選び取って、そいつをつないでいく。多くの可能性を捨ててでも進んでいくしかない。俺の知らない将来は、俺の知り得ない彼らが想像もつかないかたちで叶えるのだろう。薄れていく記憶、掠れていく意識が、どこか愉快な気分にさせる。そして、どこまでもついてくる自分の存在にまた嫌気がさしたときには、ロックンロールミュージックを思い起こすよ。それさえあれば大丈夫。赤子がよく笑うように世界は元来楽観的なものなのかも知れない。そして、また一つの塵を摘み上げた。

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