村の交通安全標語、50年後も立っているその数奇な運命(上)
私は岩手県九戸村の出身です。中学卒業まで九戸村の戸田という地区で過ごしました。
九戸村は南北約20キロ、東西5~9キロという縦長の村です。青森県境に近く二戸市や一戸町、久慈市などと接しています。村の真ん中を国道340号が南北に貫いています。
その国道340号の脇に、大きな交通安全標語の看板が立っています。
「右と左をたしかめて わたるよい子は元気な子」
実はこれ、私が50年前に考えた標語なのです。正確には
「右と左を確かめて 渡る良い子は元気な子」ですが。
1974年(昭和49年)、戸田小学校4年生の時のもので村の交通安全標語コンクールで金賞を受賞しました。副賞はナカバヤシの写真アルバム。当時の岩手日報・県北部版にコンクールの記事が載っています。看板になったのは翌年のことだったと思います。
鉛筆にもなって小中学生に配られたが…
この標語はそれだけでは終わりませんでした。鉛筆にも印刷されて、村内の小中学生全員に配られたのです。鉛筆になったのはこの時だけだと思います。
問題はこれが配られた時期です。確か、小学5年生の夏休み前か夏休み明けだったのではなかったかと思います。もうすっかり忘れてしまったころだったので、鉛筆が配られて驚いた記憶があります。
なぜこんなに遅れたのか。その理由はこの鉛筆のもう一つの面にありました。
選挙への影響あるかも、と
九戸村選挙管理委員会の「清き一票明るい政治」というメッセージが入っていたのです。
実は1975年(昭和50年)6月にあった村議会議員選挙に、私の父・真下清が初挑戦したのでした(定数18に25人立候補、15位で初当選)。
鉛筆は本来、春ごろに配られるはずだったらしいのですが、父によるとどこからか「選挙に影響があるのでは」という話があり選挙後にずれ込んだ、ということのようでした。
「真下聡なんだから、オレ(真下清)と関係ないことぐらい分かるはずなのにな」
当時、苦笑しながら説明してくれた父に
「とはいえ、『清き』まで付いてるからねえ」
と家族で笑って突っ込んだものでした。
また、このころ村内には多くの交通安全標語看板が立てられました。そしてそれらには基本的に標語を考えた人の学校・氏名が載っていたのですが、この看板にはなぜか入りませんでした(この看板の裏側にある別の標語にも入っていません)。
当時はモヤモヤしたものですが、中学を卒業して村外で暮らすようになると、帰省するたびに見かけるこの看板に愛着を感じるようになりました。
この話、まだ続きます(下に続く)。
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