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努力

ど りょく 【努力】

(名)

心をこめて事にあたること。骨を折って事の実行につとめること。つとめはげむこと。「目標に向かって努力する」「努力のたまもの」

スーパー大辞林 3.0

私は「努力」するということが、イマイチわかっていない。この語義に従えば、心をこめて事にあたれば「努力」したことになるらしい。
なんだか、すごく「努力」というもののハードルが低く感じる気がするが、骨を折る必要もあるようなので、それなりに精を出したり苦心したりも必要らしいが、それでも自分の中ではまだまだハードルが低いと思う。

何となく、「一生懸命」だとかが類似するような気がしていたけれど、それは「勤勉」の方が近いのだろうか。「努力」するにあたって、全力を尽くすだとかは不要なのだろうか。よくわからない。

自分自身、これまでの人生の中で「努力」したことを思い浮かべることができない。用例にあるように、目標に向かって心をこめたり骨を折ったりしたことでいいのであれば"ある"と言えるのだがイマイチ納得感が薄い。
結局は現在進行形で「努力」は観測できるものではなく、何らかの結果を経て、その過程を振り返ったときに「努力」が成り立つ、という理解でいいのだろうか?または、自分自身で認識するものではなく、他人から認識されるものだという気もする。さらに言うと、自分が「努力」したと言えるようになるには、ある程度、客観的な視野が必要になると思う。

得てして、私は「努力」という言葉を簡単に使うことはしない。「頑張る」などの類の言葉も、あまり使わない。
それは今までの自分が「努力」なり「頑張る」ことをあまりしてこなかった証左なのかもしれない。高校受験も大学受験も、特に目標となる学校があったわけではなく、その時の学力で合格できそうなところを選択し進学してきた。勝てる勝負を選んできたとも言えるかもしれない。それでは、主観的にも客観的にも「努力」したとは言いにくい。

もちろん結果だけを見れば、大学で成績優秀者表彰に選ばれたりしたことについて、他人からは「努力」したんだな、と思われるかもしれないけれど、私自身の認識ではレポートやテストの結果がよかっただけという形でしかない。しかも、別に背伸びして入学した大学というわけでもない。

自分のことはさておき、上の子は3歳の頃からバレエを習っていて、今では毎週2日のレッスンに通っている。初めは友達と一緒に始めたのがきっかけだったけれど、その友達が辞めてしまっても続けている。たまにレッスンなどを覗いてみると、他の子と比べて基本的な部分がきちんと出来ているように見える(親バカな視点もあるだろうが)。
たまに、疲れたから行きたくないなどとも言ったりはするが、コンクールや発表会が近づいてきたりするとやる気になるようで、本番のステージに立つ姿はやはり「努力のたまもの」であるように感じるし、「好きこそ物の上手なれ」という言葉が当てはまるような気がする。
本人がバレエに対して「努力」していると感じているのかどうかは聞いていないのでわからない。ただ、親目線では「努力」しているように思えるし、それは心をこめて骨を折りながらも事にあたっている(≒頑張っている)からだ。

今年は2年に1回の発表会がある年だ。
上の子にとって、3回目の発表会。
是非とも本番に向けて「努力」してほしい。そして、その結果を本番でいい形に表現できれば、と思う。

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