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『部品メーカー残酷物語』第九話 ©99right

第九話「研修の目的ってのは」

 研修は大きく分けて二種類あった。
 一つは、社内の各部署の代表が来て、会社の中での担当業務やその部門の社員数、売り上げ規模や業績の推移などを説明してくれた。
 残りの一つは、新入社員の研修を専門に行う社外企業による私達への教育であった。

 数年後に知ったことだが、この時代、新入社員の教育研修を専門とする会社が随分とモテはやされていたのだと言う。当社も他企業と違わず、教育の専門家と呼ばれる怪しい風体の三人をこの新人研修の専門講師として招き入れていた。
 二人の男性のうち一人は背広姿でビジネスマン風、もう一人はジャージ姿で大柄な丸刈り筋肉野郎、唯一の女性は年増で化粧っ気が薄い。この三人は一様におかしくも無いのに常に薄笑いの一歩手前のような顔をして、人を小馬鹿にするような、もしくは見下すような表情で印象が悪かった。ただ一度口を開けば全員がキレの良い語り口で、優秀なプレゼンテーターのようだった。

 彼らが何を研修してくれたか、詳細はもう記憶の彼方であるが、その手法については思い出せる限り書いておきたい。
 まずビジネスマン風の男は、軽い口調で喋りに喋りまくった。
 我ら新入社員を一組六人程にグループ分けをして、常にこのグループに対して課題を出す。そこまでは普通の研修だが、この男のやり口はここからがずるいと言うか汚い。彼が講師として担当する研修の終了予定時刻は22時だったが、彼はその15分前に新たな課題を説明し、翌日の午前中にグループごとにプレゼンテーションするよう指示した。わずか15分では六人の意見はまとまらないだろうし、それを大きな模造紙(大判用紙とも言う)に書き上げるのは難しいだろうと誰もが思った。
 彼が最後に指示した研修課題を好意的に解釈するならば、業務の遂行処理能力や決断力、プレゼンテーション能力を最大限に使えば短時間で出来るとの見積もりだったのかもしれない。しかし指示を受けた我々新入社員は、お互いをまだ理解し合っていない上、各自能力の良し悪しも分かっていなかった。さらに遠慮もあって意見は思ったようにまとまらず、模造紙はいつまで経っても白紙のままだった。そして当時の全グループが午前0時を過ぎても課題を完了する目処が立たなかった。
 問題は翌日の発表会の時間だ。
 研修開始は9時からだったが、人事部からの指示で一時間前行動をしなくてはならず、つまり8時には全員揃って研修室に並び、且つこの課題に対するプレゼンテーションの準備を完了していなくてはならない。

 さて賢明な読者諸君にとって、この後我々がどうなったか想像するのは容易かもしれない。
 約3分の1のグループは、プレゼンテーションの品質に目を瞑り、意見集約も中途半端で模造紙に書く内容もそこそこに留め、早めに部屋へ戻って行った。次の3分の1は、日付が変わったのを確認してこの日は一旦解散し、翌朝早起きし午前7時に集合して再度課題に取り組むことにした。
 私がいたグループは残りの3分の1に入っていた。
 何時になろうが課題を仕上げてから寝たいと言うグループだ。六人全員が疲れた体に鞭打ち、知恵を絞って課題に取り組みなんとか模造紙に書き込むことが出来た。結果、午前2時前には部屋に戻り寝床に入れた。
 翌朝全員が睡眠不足で眠たい目を擦りながら研修室に集まって、各グループがその成果を報告した。今となっては、その内容など全く覚えていないが、ただ軽口背広野郎の薄笑いと、その意地悪なやり口だけは強く印象に残った。

 その日の午後、我々はジャージに着替えさせられて、研修会場のグラウンドに連れ出された。待っていたのはもう一人の男性講師、大柄筋肉ジャージ野郎だった。
 この男の講習内容が、これまた腹立たしいものだった。
 彼はとりあえず、なんだかんだと肉体的な健康のことを話したが、当時の私にはよく理解出来なかった。さてここで特筆しておきたいのは、以下のようなトンデモない講習内容だ。
 まず新入社員を二組に分けて横一列に並ばせ、それぞれの列の端から一人づつ前に出す。そして講師の合図を元にこの二人にお互いを罵り合わせるのである。どんな言葉を使っても良い。唾が互いの顔に飛び散るくらいの距離まで顔を近付け、相手の目を睨み付けて、酷く汚い言葉を使って罵倒し合うのである。
 講師は審判となって二人の近くに寄って行き、顔を見比べ勝ったと思った方を指差すとこのゲームが終わるのである。
 そして今度は指を刺されてお前の勝ちだと言われた者が講師に変わって審判の役目をする。負けた方は新しい相手ともう一度罵り合う。負ければ何度でも「お前の勝ちだ」と指差されるまでずっと罵り続けることになる。
 読者諸君は、この行為をどう思うだろうか?
 この中で唯一の女性である私は内心この行為のあまりの馬鹿馬鹿しさに呆れていた。
 我々新入社員全員、大学で四年間学んで来たことは一体なんだったのだろうか? 私は何のためにデザインと言うものを大学にまで行って学んだのか……
 自分の番が回ってくるまでの数分間、私はいっそここから立ち去ろうかとも考えていた。それはイコールこの会社を退社することと同じだと思った。その時私はチラリと人事部のマッチョ係長と芋洗係長の方を見た。彼らがどんな表情だったか記憶には残っていない。ただこの二人は、私達の罵り合いの勝負の結果を紙と鉛筆できちんと記録していた。

 沈みいく夕日が口汚く罵り合う同期の仲間達を赤く染めて、私には自分を含めたここにいる全員が薄汚いゴミの様だと感じていた。
 そんなことを思いながら、もうすぐ自分の番が回って来るのに、私はまだ自分の取るべき行動を決めかねていた。

 自分もこの中に飛び込み、同じゴミとなって同期の仲間を口汚く罵り、お前の勝ちだと指差されるのを待つのか?
 それとも、このゴミ共に背を向けてここから立ち去り、得たばかりの職を失うのか?

「次!」と呼ばれて私は立ち上がり
「始め!」と言われて私は目の前の同期生の顔を見て、皆と同じ様にした。

 私は自らをゴミに貶めることを選んだ……

 分かってくれとは言わない。
 ただただ、悔しくて、悲しくて、こんな自分が許せなかった。

 この会社の人事部の目的は、新入社員達の自尊心を徹底的に打ち砕き、使役し易い下僕を作り上げることなのだろう。
 戦後GHQが我が日本に行ったことと同じではないか。米国に仕返しが出来ないので立場の弱い新入社員にこんな行為を強要するのだろう。

 私は彼らのことを惨めだと思ったが、そんな私も同じくらい惨めだった。

(続く)

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