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【4711】 卒業文集  後編

この作品は『シトラスの暗号』から始まる4711シリーズの続編です。よろしければ1作目からどうぞ。

 いつもと違って、職員室のドアは開いたままだった。
 左の胸に花を付けた卒業生が出たり入ったりしている。
「失礼しまーす」と小さく言って中に入る。
 織田先生のデスクは、奥のスケジュールボードの前。
 女生徒何人かに囲まれてご歓談の最中だった。
 わたしにひとりで来いって言っといてこれじゃん。
 ふくれっ面になりそうなところで、
「水木さ〜ん!」
 遠山先生が駆け寄ってきた。
 いきなりハグ。
「水木さ〜ん、淋しいから卒業しないでー!」
「そ、そんなご無体な」
「専門行ってもたまに美化委員会遊びに来て! みっちゃんも有村くんも須田っちもいるから」
「えー」 
 すると、抱きついたまま遠山先生が耳打ちした。
「織田先生から頼まれてるの。あの子たちうまく追っ払うから、ここで待ってて」
 そう言うと、わたしを廊下に押し出した。
 自分は体半分だけ室内に入れて、
「織田せんせー、そろそろ時間でーす」
 奥に向かって声を張り上げる。
「はーい、すみません」
 と織田先生の声。
 しばらくして、さっきの女生徒たちが、そのあとで織田先生が出てきた。
「悪い、お待たせ。じゃ行こっか」
「どこに?」
「生徒指導室」
「え、床屋?」
 床屋と聞いて、織田先生は吹き出した。
「君はバリカンで丸刈りにされるようなことしたのか?」
「だって」
 歩きながら振り返ると、遠山先生が両手チョキでるんるんしていた。
「さすがに卒業式の日に実験室は使えないから、生徒指導室借りたんだよ」
 先生はプレートをひっくり返して【使用中】に変えて、鍵を開けドアを引く。
「入って」
 生徒指導室って、初めて入った。
「寒い? 暖房入れる?」
「丸刈りにされるんじゃなきゃ大丈夫」
「オッケー」
 机をはさんで、向かい合って座る。

「さて、卒業おめでとう。もう現役合格じゃなくなるってだけで、大学行くのに遅いってことはないから。気が変わったらいつでも相談しに来てください」
「えー、またそんな話?」
「嘘だよ。これ、卒業祝い。開けてみて」
 赤いリボンが付いた小さな箱を開けると、腕時計。
「あ、……えっ、タグホイヤー!?」
 先生は「シーッ」と唇に人差し指を当てる。
「俺のクロノスペースあげようかと思ったんだけど。ブライトリングはでかいし重いし。それだったら君に似合うしかわいいと思うよ」
「ありがとう。赤って限定カラーでしょ? すごくうれしい。でもこれ……もう会えないからってこと?」
「ん? なんで?」
「だって……もう学校に来ないし……」
 そう思ったら、いきなり涙がぽろぽろあふれて落ちた。
「え? え、いや待って、なんで?」
 先生の慌てた声。でも勝手に涙が出て止まらない。
 わたしはわたしでいるだけでいいって言ってくれた人。
 どんなわたしでも受け入れてくれる人。
 暗かったわたしの道を明るく照らしてくれた人。
 ずっとそばに居てもらえると思ってた。
 バカ話して、笑いあって、たまにすねてみたり、甘えてみたり。
 根拠もないのに、この状態がいつまでも続くと思ってた。
 そうじゃないって、今初めて気が付いた。
「ゴメン、校内だし、ここじゃ何もしてあげられないよ」
「うん、らいりょーぶ」
 垂れかけたハナをすん! と吸って、思い切り深呼吸して、ハンカチで涙を拭いた。
「もう今までみたいには会えないし、一緒に居られないんだね」
「会えばいいだろ、いつでも」
「だって、学校来ないもん」
「俺たちが教師と教え子じゃなくなったら、どうなる? それで終わりじゃないだろ。逆に関係が対等になるんだ。明日からはもう友達でいいんだよ」
「友達?」
「そう」
「先生と友達なんて、考えたことなかった」
「友達の他になんかある?」
「他に?」
「別に学校に来なくてもいつでも会えるよ。ま、君は堂本とデートで忙しいだろうけどね」
「……そんなことないけど」
 よかった。お別れのほにゃららはないんだ。
「堂本と帰るの?」
「ううん、サッカー部は3年生の追い出しコンパ」
「コンパねえ。まさか制服のままじゃないだろうな」
「制服じゃ入れてくれないんじゃない?」
「君たちいつもそんな感じだけど、大丈夫なの?」
「大丈夫って?」
「いや、うまくいってる?」
「普通、だと思うけど」
「高校生カップルって、もっとイチャイチャしてるもんかと」
「先生はそうだったの?」
「俺? 俺は男子校だったから」
「わ! そっち系? 彼氏?」
「なんで女子はすぐそういうこと言うかね」
「だって美しいものが好きだから」
「美しいかよ! 少女マンガの読み過ぎだ」
「……くしゅん!」
 しゃべろうとしたらくしゃみが出た。
「ゴメン、寒かった? 風邪引くからもう出よう」
「ねえ」
 ドアを開けようとした先生の、上着の裾を引いた。
「ん?」
「校内じゃなかったら何してくれたの?」
「えっ? あー。あのね、気が動転してたし。恥ずかしいから訊かないで」
「ふーん」
 抱き締められる自分を想像したら、顔が熱くなった。
「何ニヤニヤしてんの?」
「えっ?」
「なんかさ、君を見てると飽きないな。いきなり泣いたり笑ったり」
「それほめてるの? けなしてるの?」
「どっちでもない」
「えー、どーゆーことー?」
「こういうこと」
 と言って、わたしの頭をわしわし撫でた。
「意味わかんないよ」
「いつか教えてあげるよ。君がもう少し大人になったら」
「またそれー?」
 ちぇっ、結局子供扱いか。

「メシでもおごってあげたいんだけどね、体育館の片付け手伝わなきゃいけないから帰れないんだよ」
 プレートを元に戻して、鍵をかけながら先生が言った。
「いいよ、家帰って食べるから」
「俺時給なのにさー。力仕事分の時給出るのか謎!」
「肉体労働したら、そのあとのビールがおいしいんじゃない?」
「オッサンみたいなこと言うな」
 笑われた。
「じゃ、改めて、卒業おめでとう」
「ありがとう」
 出された手のひらを握り返した。
 同じ部屋に居たのに不思議。この人の手はいつもあったかい。
「これからも、光り輝く未来を共に歩みましょう」
 ……ん? どっかで聞いたようなフレーズ。
「あーー! 作文読んだんでしょー!」
「君が首席なら答辞に使えたのにな。残念だね」
「やだもうー!」
 もう少し大人になれるのはいつになるやら。
 さよなら、優等生のわたし。
 ようこそ、光り輝く未来。

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