教科書袋と子育て支援

4月に小学校に入学した長女。
何とか学校に通っていますが、毎日算数の宿題が嫌だと駄々をこねてます。
算数といっても一桁の足し算。理屈で覚えるようなことでもないので苦しいかもしれませんが無味乾燥な訓練を続けて覚えてもらわなければなりません。

少しでも楽しく覚えられるようにと、トータス MEDALというカードゲームを買ったんですが、「トータスはやりたいけど宿題はやりたくない」なんて言い出す始末。
まぁ、私も高校の数学で余弦定理、正弦定理なんてやって「どこでこんなもの使うんだよ..」なんて言ってたんですが、測量士補の試験を受けることになって再び出遭ったのが正弦定理に余弦定理。
これがとても楽ちんで、まるで魔法のようだ!と感動しました。
ですので、実践で覚えてもらうのもいいかもしれないんですが、やっぱり数をこなすことを考えると、計算ドリルや単語帳のようなカードの方がいいんですよね.…。

今を遡ること半年前、小学校の入学式に参列したんですが、新一年生にとっては教科書が配布されるのも一つの重要なセレモニーです。
教科書は袋に入れて配られるのですが、その袋にこんなことが書いてありました。

教科書の入っていた袋

日本の物価は低水準と言いますが、それでも買えば高額。教科書も実際に買うとなるときっと高価なのだろうと思います。それを公費で戴けるのですから、有り難く使わせて頂くのは当然のことで、それを子供にも教え、大切に使ってもらうのも、やらなくてはならない親の努めだと思います。

もともと、教科書は無償ではなかったようで、昭和40年頃までは教科書を購入していたと言います。しかし、憲法第26条は「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」
と規定していて、教科書を無償とまでは明言はしていないものの、教育の機会平等という観点から教科書が無償で配布されているということです。

近頃、憲法改正が議論されるようになり、一部の国会議員からは「天賦人権説は西洋から持ち込まれた考え方で日本の伝統的な考え方には合わない」という主張も聞かれます。「権利には義務が伴う」という考え方も間違いではないと思います。金銭的な負担のことを考えればこの教科書を公費で買うためのお金は誰かが負担していることは事実ですから、タダでもらえると思ったら大間違いだというのもある程度は納得がいく話だと思います。

一方で、この教科書をもらう親の気持ちとしては少々複雑な思いがあることは事実です。
子供に教科書を買ってあげられないほど困っている人も多いとは思いますが必ずしもそうではない人もいるし、子供にとってはやりたくもない勉強を押しつけられてさらに「我が国の繁栄と福祉に貢献しろ」と借りを作らされるようなものですから、大人の論理に反発を覚えられても仕方ないでしょう。
介護施設に「この施設は現役世代の負担において運営されています」なんて貼り紙ができるか、国会の議場で「憲法で掲げる民主主義の精神を実現するものとして国民の税金で運営されています。」なんて書いたものを配れるのか?とも思うのです。

そもそも「我が国の繁栄と福祉」という抽象的な表現は具体的にどんなことなのか。
国民が広く共通の言葉を使い、計算ができて、社会活動や経済活動をスムーズに行えることは社会の人的なインフラを整える意味もあり必要なことです。それは、教育を受ける個人のためでもあり社会全体のためでもあります。そういったことを言いたいのか?さらにそれを超えて、「教科書を無償で渡しているのだから、その借りをきっちり返しなさい」ということなのか。または、「本当は教科書を無償で給付するなんてやりたくないんだけど憲法にこう書いてあるんだから仕方なくやっている。有り難いと思いなさい」ということなのか。あれこれ考えてしまうと、どこかすっきりしない気分になります。

今の小学校1年生は年間出生数が100万人以上だった最後の年で、昨年の出生は80万人ということですから、恐ろしいペースで子供が減っているというのが現実です。マクロで考えると子どもは国の担い手でもありますが、あまり重荷を背負わせるのも考えもの。優秀な人ほどもっと有利でチャンスのある国を求めて出ていってしまいます。
我々、昭和のおっさん達は環境の変化にもっと敏感になって子どもの考える必要があります。

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