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鉄道研究部は本当に研究部? 前篇

暫く放置してしまっていた。

今日は今から139年前に新橋~横浜間で日本最初の鉄道が開業した鉄道の日ということで。いわゆる鉄オタなので鉄道についてはいくらでも語り草はあるが、今日は自分も一時期所属していた鉄道研究部(以下、鉄研)について自省も交えて語るとする。

中学受験する受験生の中には鉄研に入りたくて、っていう人もいるかもしれない。自分もまた他の事情があったとはいえ、その事が中学受験した動機の一つではあった。考えている受験生と保護者に向けて経験者から。一読した上で鉄研に入るのであれば意識が必要であるという事を理解していただきたい。

中高一貫校には鉄研が存在するケースがある。あるとはいっても主に男子校ではあるが、稀に共学でも元男子校を中心にある場合もある。自分自身は男子校に絞って受験をし、その受験した学校はいずれも鉄研がある学校であった。そして合格・入学して念願の鉄研に入部し、楽しい日々が続くと思われた。

その前に一つ。文化祭の鉄研の展示に行った事があるだろうか?昨今のコロナ情勢で文化祭も中止や延期されているかもしれないが。行った事がある方はわかると思うが文化祭の目玉といえばジオラマである。Nゲージと呼ばれる148~160分の1のスケールの鉄道模型が走っていて中には運転を体験できるコーナーがある場合もある。他にも様々な展示があってもまずそれが目に付くのでは?と思う。

入学して暫くは仮入部という事で気軽に体験できる。これは鉄研に限った話ではなくどこの部活も、そして期間の長さの差異はあれどどこの学校もそうだが仮入部期間があってその間は気軽に体験が出来て顧問も先輩方も優しく接してくれる。だが、その期間が終わって本入部という事になると活動も本格的になり、顧問や先輩方も(時に)鬼になり、練習がキツくなっていく。鉄研の場合も仮入部期間が終わった頃から本格的なジオラマ政策に入る。どんな部活も大会やコンテストといった晴れ舞台があるように鉄研も夏休みの終わり頃に鉄道模型を展示するイベントがある。同時に中高生向けのコンテストがあるのだ。その晴れ舞台に向かって一学期~夏休みはジオラマ制作の期間になる。とりわけ期末試験が終わって夏休みに入ると一日中ジオラマを制作する日々が続く事になる。夏休みが終わると文化祭があり、文化祭が終わると高2の部長が高1の代に世代交代し、高2は大学受験に向けて引退という流れになる。その後はぼちぼちと翌年度のジオラマ制作の準備をしたり新入生歓迎の準備を整える、という形である。その間に部誌に載せる個人研究や年2回ずつ行われる撮影会と合宿のルポを執筆もする、これが鉄研の一年間であった。

一応鉄道「研究」部というぐらいだからその研究がメインでは、と思う方も中にはいるかもしれない。しかし鉄研の展示の目玉がジオラマであるように往々にして鉄研というものはジオラマ制作に力を入れている事が多い。少なくとも私の母校の場合はそうだった。しかも自分の入っていた鉄研は手作りに拘っていた。つまり、海や山や川、都会のビルから家、その他建物に加えて道路の上に載せるバスまで手作りしていた。手作りでない(≒既製品を用いる)ものといえばレールと走らせる車両ぐらい。

そう、私がいた鉄研は鉄道「研究」部とはいうものの実態としては模型製作が中心の実質的には鉄道模型工作部だったのだ。私は手先が器用ではなく、ジオラマ制作もそこまで楽しいとは思えなかった。それでも鉄研に入るために受験したんだしという想いはあったので辞めようなんて気は皿更なく、何もない日に部室で談笑するのが楽しみだった。一年目は。そしてそのまま二年生になる。談笑するのが楽しみなように私は部活動というものを遊びの延長のように捉えていた部分はあった。それが仇になる。遊び半分で鉄研に来てた為か、ジオラマ制作の技術は二年目になっても芳しくなく、去年一年何してたんだと先輩(とジオラマに熱心な同輩)に度々どやされる事になる。詳細は省くが、結局その後、部内の対人関係などで鉄研を辞めてしまった。中2の11月だった。

鉄道「研究」部とは言え、メインはジオラマ制作のいわば工作部である、それが鉄研だ、という事で続きはまた明日。

※次回はその後自分が辞めた後鉄研がどう変わったかを少し、それと鉄道研究部に入るなら心がけておきたい点を記します。

※ヘッダーの電車は適当に選んだだけでその電車と自分の母校の鉄道研究部になにか関係がある訳ではありません。


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