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これだけで十分なのに…

「人間ってほんとに欲深い生き物だよな〜」と昨今改めて感じています。

もしかしたら、
あまりにも幸せを求めすぎて、逆に不幸に感じてしまう場面もあるのではないかと感じたので、
今回は「これだけで十分なのに…」というテーマで自分が考える欲望との付き合い方について深掘ってみたいと思います。

それでは、本題へ

私自身、関係あるかはわかりませんが、
どちらかというと欲望があまりなく、現実主義であるため向上心もない、とてもつまらない人間です。


しかし、
そんな私でも人生がかかっている重要な問題になるとしっかり欲望があるんだなと思うことがあります。


それがいい事でもあることはわかっているのですが、どうも好きになれないのです。


例えば、大学の体育会サッカー部に入部した際、
「関東リーグで試合に出られれば満足だわ」ぐらいでしか思っていませんでした。


そのため、入部した後は頑張った事なんってほんの一瞬で、だらだらとやる気なく過ごしていたせいで、大学4年生でやっと目標にしていた関東リーグの舞台に奇跡的に立つことができました。

しかし、
目標を達成できた嬉しさなんか一瞬で忘れ、それと同時に、

「常に試合に出続けたい」、「点を決めたい」、「優勝したい」、「日本一を獲りたい」、「プロサッカー選手になりたい」、「死ぬまでサッカー選手でありたい」
など様々な欲望が生まれました!というより、湧き出てきました!


他にも、
大学4年の頃の私は、今勤めている会社に入社することに大満足していました。

しかし、入社1、2ヶ月も経てば、もっと上を目指し続けたいと思う自分が現れました。


それは仕事やサッカーだけでなく、
過去を振り返ってみると恋愛でも、遊びでも、旅行でも、その他多くの場面で、そうなっていました。


きっと人間である以上、それが当たり前なのかもしれません。


しかし、
目標達成と同時に、当たり前のように夢や目標が自然とアップデートされることで、今まで幸せに感じていたものが、その日を境に不満に変わってしまう(小さな幸せを忘れてしまう)その瞬間が私は嫌いです。



そして、
結局は何かの限界(基本的にはタイムリミット)を迎え、それが後悔に繋がります。


それが
サッカーなら、
仕事なら、
旅行なら、
後悔の大きさが成長の証だと割り切ることができますが、日常生活や人間関係でその痛みを味わいたくはありません。


例え、
もし将来お財布がもの凄く潤っていても、
コンビニのブラックサンダーやバームクーヘンを食べれば心の底から幸せを感じていたいし、
久しぶりに昔の仲間に会ったとしても、変わらずいじったり、いじられたりして心の底から笑っていたいです。


でも、多くのものを手にした人のほとんどはそうではありません。


きっと私たちは、多くものを手に入れたとしても、それだけでは抑えきれず、さらに欲してしまう生き物なのです。
それは欲深さゆえのもので、
物だろうが、お金だろうが、地位や名誉だろうが、夢や目標だろうが、欲望に際限などないため、死ぬまで求め続けてしまうのだと思います。


私も、目標達成し、ステージが一個上がるたびに、視界に入ったもの全てを手に入れたくなってしまうことが沢山あります。


でも、そうなってしまうことを理解しておけば、
欲望のままに追い求めたいものと、今のままでも十分幸せなものをしっかり区別して考えることが出来る思います。

もちろん、
様々な場面で欲望を感じるまま追い求める時期も大切ですが、しっかりと区別し、本当に手にしたい物だけに絞ったほうが(欲望に優先順位をつけたほうが)、コストも全振り出来て、より効率が良く、幸せにも繋がるのではないかと私は考えます。
(決して折り合いをつけて、欲望をコントロールしろということではありません。)


それを行った上で私は、
日々の小さな幸せも大切にしながらも、
1年後や10年後、そして50年後、その時どんなことに後悔し、どんな夢や目標を思い描いているかなんって今の自分からは想像もつきませんが、将来の自分が、物凄くレベルの高いことに後悔し、めちゃくちゃ面白くワクワクするようなことを追い求め続けていてほしいと心から願っています!


そのために地に足つけて今日も歩んでいこうと思います!

共に切磋琢磨しましょ!


最後まで読んで頂き、本当にありがとうございます!

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