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アルコールに飽きた人類

「どうしてお酒を飲まないの?」と尋ねられる度に答えに困る。というのも自分でもお酒を飲まない理由がわからないからだ。

確かに周りの人は不思議に思うかもしれない。僕はお酒が飲めない体質でもないし、お酒で失敗した経験があるわけでもない。美味しいと感じるお酒を飲んだこともあるし、ちょっと酔う感覚が幸せだってことも知っている。

でも飲みたいとは思わない。

ここまで話すと最初の一杯くらいはみんなと合わせて生ビール飲んでもいいんじゃないかと思うかもしれないが、ノンアルを注文する。

単に自分がアマノジャクなだけかもしれないと思うことが多々あった。

だが、最近そんな僕の価値観を共有できそうな言葉が生まれている。
日本語だったらゲコノミスト、英語だったらSober curious。

ゲコノミストはFacebookに集まるお酒を飲まない人達が集うニッチなグループの名称である。3500人以上の人がグループに所属しており日夜、美味しいノンアルを共有している。断酒した人や飲めない体質という人が多数を占めるが、僕みたいな人もいるかもしれない。

Sober curiousは2019年に発売された洋書のタイトルだ。お酒を辞めた著者が書いている本だが、直訳の「シラフに興味深々」という言葉が僕の中ではしっくりときている。

西洋ではこのSoberの波が押し寄せているらしい。ノンアル市場の需要も高まっている。ノンアルコールビールやノンアルコールカクテルの流行の中心も西洋だ。

ここで面白いなと感じるのは体質的にアルコールは全然OKな西洋人がアルコールを飲まないという選択をする点だ。

「若い世代を中心に健康志向が強くなっている」と理由が考察されていることが多いが、背景にあるのは本当にそれだけだろうか。


僕は新しい説を唱えたい。
「人類がアルコールに飽きた説」

アルコールと人類の歴史をざっと振り返るとこんな感じだ。

人類アルコール発見

もっと飲みたい

麦、ぶどう農業化・大量生産成功

もっと酔いたい

蒸留技術開発

僕は人類学者でも歴史学者でもないので、細かいことは分からないがNHKスペシャルの「食の起源」という番組で放送していた内容だ。面白い。人類は歴史的に「もっとアルコールを摂取したい」と願い、脳みそを大きくして試行錯誤を重ねてきたのだ。

素人でも納得できる。

ここでもう一度、アルコールを摂取しない人々を加えて人類の歴史を振り返ってみたい。

人類アルコール発見

もっと飲みたい

麦、ぶどう農業化・大量生産成功

もっと酔いたい

蒸留技術開発

もう酔いたくない

脱アルコール法開発



「???」
 


今までアルコールが欲しいと言っていたのに、180°嗜好を方向転換してしまった。そして、せっかく作ったアルコールをわざわざ抜く脱アルコール法まで開発した。

一部の人類は「アルコールを摂取したい時期」から「アルコールを摂取したくない時期」に移行しているのだ。

21世紀に入り、環境問題から原発問題など人類はヒトのキャパシティの限界を否応無しに感じている。そして、それが引き金となり「何かを得たいという欲求」から「何かをコントロールしたいという欲求」に変化しているのではないだろうか。

「酔う」という状態はアルコールを得て、脳を一時的に麻痺させることで自分をコントロールできない状態に置くことのに等しい。「コントロールしたいという欲求」とは正反対の行動だ。
Soberな人々はアルコールを摂取を控えることで自分を制御しようとしている。

自分をコントロールしたいという欲求は、筋トレブームだったり、無駄を削ぎ落とした生活を求めるミニマリストにも見ることができる。人類は「自分をコントロール」することに幸福を感じ始めた。

最後に「お酒を何で飲まない?」と聞かれたときの答え方を改めて考えてみようと思う。「アルコールに支配されることを拒んでいる」というのが現時点での答えだろうか。ただ厨二病感が漂うので答えは保留だ。模索は続く。



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