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批判精神はなぜ民主主義をダメにするのか

民主主義と批判精神


 民主主義と共に批判精神が大きく進展してきた今日、批判は民主主義と根底においてもっとも結びついたものとして捉えられています。民主主義がその原始、戦わねばならなかったのは階級制度でした。一部の国王や聖職者、貴族のみが国政に携わるのではなく、すべての国民に主権が委ねられること、そのためには一人ひとりの個人が合理的な判断が可能であるという啓蒙の精神が深く浸透せねばなりません。階級という権威に唯々諾々と従うのではなく、合理的な主体としての個人たちの判断によって政治が決定される、これこそが平等という革命のひとつのスローガンでした。
 そして民主主義にとっての次なる敵はファシズムでした。人々がある権威のいうことに流されて、主体性を失った末の悲劇こそが一時期の世界を覆った全体主義です。民主主義国家はそうした全体主義国家に戦争によって打ち勝ち、再び全体主義の影が跋扈することのないよう、ますますその批判を研ぎ澄ませます。つまり、権威に流され従うのではダメだ、あらゆるものを主体が批判的に捉え、自分で考えることが重要だというふうに捉えられたわけです。これが最も顕著に現れたのは、非民主的だった大学ギルドへの学生たちの反乱として民主主義国家で同時多発的に現れた運動でしょう。その後ドイツの緑の党の登場に顕著にみられるように、それまで経済右派か経済左派かという横軸の一次元的に捉えられていた政党分布が、権威主義-リバタリアニズムという縦軸を加えた四象限マトリクスで表されるような形で政党分布が理解されるようになったというのがハーバート・キッチェルトの議論でした。
 要するに民主主義と批判精神は相共に結び付けられて進展きたわけです。我々が批判精神を身につければ身につけるほど、国家や社会はますます民主的になっていくというふうに。

批判精神の堕落としての全体主義

 しかし21世紀の我々の現状を鑑みると、どうも議論はそう単純ではなさそうです。なぜならば批判精神の教育が最も深まっているであろう今日において、世界中では逆説的に全体主義の影が蠢き出しているからです。ドイツのAfD(ドイツのための選択肢)という排外的な極右政党が、全体の5%以上の票を獲得しなくては議席を持てないという厳しい制限がある連邦議会で議席を獲得し、イギリスではイギリス国民党が、フランスでは国民連合が台頭しつつあります。アメリカのトランプ前大統領は言うまでもないでしょう。一体なぜ、もっとも批判精神が花開いているはずの今日、こうした問題が再燃しているのでしょうか。これはもはや批判精神の進展=民主主義の進展という単純な図式では捉えることができません。
 事情はむしろ正反対なのではないでしょうか?つまり批判精神の頂点こそが、全体主義を呼び寄せているのではないのでしょうか?それを考えるのには、やはりナチスドイツの例に立ち返る必要があるだろう。
 なぜ当時の世界でもっとも民主的な憲法体制のワイマール期のドイツでは、ナチスが台頭してしまったのか。従来の説明では産業化によって農村的な人との絆が断ち切れ、アトム化した人々が、個人個人の自由な判断に伴う責任に耐えかねて、勇壮な主張をするような権威に自分の判断を委ねるという権威主義的なパーソナリティのためと説明されてきました。なるほどこの説明なら、全体主義の起源とは、自己の判断を放棄し、それが非合理なものであれ権威の判断に委ねるという批判精神と正反対の事態として理解できます。
 しかしその説明では不可解な点が2つあります。まず第一に、アトム化した人々が権威に判断を委ねるとして、多くの人たちが皆が特定の一つの権威に判断を委ねるのかが説明がつかないからです。単に権威主義的パーソナリティというのであれば、別に多くの人がナチスをその対象に選んだ必然性はなく、例えば従来通りSPDなどの政党を盲信してもよさそうなものです。第二に、そもそもナチスを選択した人々は本当に非合理な判断をしたのか、ということです。もちろん後から見ればナチスを選んだことは非合理だと言わざるを得ないのは間違いない。しかし選挙が行われた当時、人々は将来に起こるアウシュヴィッツという悲劇を知りようもないでしょう。ハーバート・サイモンは経済主体は合理的な判断を意図するものの、認識の限界によって限られた合理性しか持ち得ないという限定合理性を提唱したが、当時のドイツの人々もまたまったくの不合理だったのではなく、限定された合理性のもとに判断をしていたのではないでしょうか。
 ジョヴァンニ・サルトーリは世界の国々の各時代の政党制がどのようなものかを分類しましたが、ナチス台頭当時のドイツは分極多党制と位置付けられました。多くの少数政党が並び立ち、主だった政党もカトリックのための中央党や労働者のための社会民主党といったかたちで特定の人たちを対象として政策を打ち出す組織政党だったのです。つまりそれらの政党は政策間の距離感も遠く、妥協可能性が低かったということであります。それに加えて右派左派の両極に、WWⅠ後の国際秩序(ヴェルサイユ体制)や民主主義を否定する反システム政党としてNSDAP(ナチ党)と共産党がありました。そんな状況のためどの政党も議席の大多数を占めることができず連立政権を組む必要に迫られたが、政党の政策館の距離も遠く、妥協可能性も低かったため政権の取れる政策は限定的になっていました。そのため政権は戦後ドイツ社会の問題の解決することができず、かつ中道寄りの右派の政党も左派の政党が連立しないと政権が維持できないため、選挙で政権交代が行われず、政策も変わり映えしない。そんな中で戦後ドイツ社会に噴出した問題を解決するためには人々は反体制政党に投票するしかなかったのであります。そう考えれば、ドイツ人の投票行動は、決して非合理だったわけではなく、限定されていたとはいえ合理的だったのです。そしてそうであるならば、その合理的な批判精神に基づく判断が、むしろ全体主義へと人々を駆り立てたと言えてしまうのです。
 ところで権威主義を徹底的に排する批判精神は、徹底的に判断主体の閉じた世界の観想に依存しています。他者の権威を徹底的に疑い、それが正か否かを判断するとき、判断する主体としての自己は抽象的で公正なものと見做される。しかし事実として、判断主体は教育や環境を通して判断以前に何らかの傾向性を受けているし、その視界は限定されていて世界全体を鳥瞰することはできないでしょう。つまるところ批判精神は、それぞれの主体の自己満足的な世界の観想に依存しており、にもかかわらず客観的な判断を下していると錯覚してしまうのです。そうして傾向性を必然的に帯びた主体=自分とは全く違う他者を必然的に見落とさざるを得ない主体の大多数が、客観的合理的な判断として下した判断によって、少数者や内輪から外れた他者を抑圧して多数者の目的のための手段として用いる全体主義を生んだと言い切ることは間違いではないでしょう。こういう意味で、合理的だったはずの批判精神こそが、むしろ全体主義へと堕落するのであります。

自壊せよ、と権威主義は言う

 徹底的な個人化を推し進める批判精神が全体主義へと堕落する、そうであるならばむしろ全体主義を打ち滅ぼすヒントは、逆説的に批判精神に真っ向から敵対する権威主義に見出すことができるのであるのではないでしょうか。そう私は言いたい。
 権威主義とは何か、いま一度問うてみましょう。批判精神が如何なる権威も他者も疑い、ただ自己の判断のみを絶対的合理的なものだとする思考の作用だとするならば、それに真っ向から敵対する権威主義とは、自己の判断を徹底的に排除し、あらゆる他者の思考を神聖なものとして受け止める思考作用でしょう。ここには全き自己批判の精神が宿っています。私は全体を一望できず状況を理解することがありません。ですので先ずもって自己の判断を留保し、あらゆる他者の言説に耳を傾けねばなりません。そこには自己満足的な観想など微塵もありません。ここに私は、真の意味で民主主義が成り立つ希望を見出すのです。

並び立つ塔たち

 早々と、次のような反論が私に投げかけられることとなるでしょう。確かにそうすれば、主体の身勝手な合理的判断を抑制することはできるかもしれない。しかしそれではむしろ、従来の権威主義批判の通り人々は、批判精神がそうした時よりもずっと早巻きに、全体主義へと堕するのではないだろうか、というものです。ええ、確かにその危険性を拭うことはできないでしょう。しかし、それは徹底せざる権威主義であることも同時に付け加えなければなりません。
 一体どういうことでしょうか。つまり徹底せる権威主義とは、決して単一の権威に盲従することはないのです。他者とは単数ではありません、常に複数的です。そしてその複数の他者がそれぞれ相対立する主張をするとします(それはごく自然なことなのですから)。徹底的な権威主義者とはそのどちらをも平等に飲み込む人のことです。そしてその主体はその時、「いったいどちらが正しいのか」と頭を抱えずにはおれません。
 その時にこそ、批判精神とは違うより高次なレベルにおける判断が人には可能となります。相対立する、並び立つことのできない二つの主張を丸ごと飲み込んだ時、主体は初めて主張の持つ党派的な「価値の体系」を公正に見てとることができます。この時人は個々の人間を超出した、宇宙論的判断が可能になります。
 重要なのはこの立場に立つことなのです。例えば身体的に自分がどちらかの主張に対してシンパシーを抱くとします。しかしその時敵対する立場の主張を丸ごと信頼して飲み込めば、相手が何もわかっていない馬鹿者なのではなく、自分とは違う「価値の体系」のもとに生きているということがわかります。それと同時に自分の「価値の体系」が相対的なものでしかないことにも気が付きます。
 この相対的という言葉は極めて重要です。最近相対主義を標榜する人がしばしば、「オルタナティブ・ファクト」などと言って敵対者の言論に対する自分の見解を合理化するために使われてしまっているからです。これでは相対主義などではなく、自分の見解に「客観的」どのラベルをつけたに過ぎません。そうではなくて、真に相対主義であるということは、自分の主張は絶対的ではないと反省することにこそ重点が置かれます。そしてその時こそ自分とは全く異なる他者の合理性を認め、相互に尊重する眼差しが生まれます。異なるファクターが相互に、一定程度以上尊重し合う時こそ、ナチスのような全体主義に陥ることなく、民主主義という理念が真に達成されるのではないでしょうか。

終わりに

 この議論はかなり細かい部分が欠損しております。構成も歪です。やや短絡的で理想主義的な結びだったかも知れません。その点は心ゆくままに書き付けたのでご容赦いただきたい。
 またいくつかの点を補足しておく必要があります。議論の中では権威の複数性が一つの要点でした。しかしそれは必ずしも自然発生するものではありません。先ず第一に、複数の塔が並び立つためには、表現の自由、出版の自由は何としても守らねばなりません。政治的な圧力によって表現の場が奪われることや、高度資本主義の原理に基づいて本屋の棚が一面的な見解の書物で一色になってしまうことがありますが、私たちはそれに何としても抗議せねばなりません。複数の意見が混在している状況でなければ、権威主義はすぐにでも全体主義に落ち込んでしまいます。また第二に、複数の意見が存在しているとして、そこへのアクセシビリティが確保される必要があります。地方で生まれた私にとって、ここは重要な問題でした。もちろんインターネットがあるのだから、いくらでも接続できるだろうという声もありましょう。しかし全く知らない世界への「検索ワード」など思いつきようもありません。如何にアクセシビリティを確保していくのかという点は来るべき権威主義の大きな課題の一つです。


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