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ゲルハルト・リヒター、あるいは現代絵画の「描き方」の問題

リヒターとはいったい何者なのか

 ゲルハルト・リヒターとは一いったい何者なのか。この問いに答えるのは案外難しい。

 どういう人物かなら単純だ。リヒターは現代の最高峰の画家である。適切かどうかは置いておいて、分かりやすい指標で語るなら、リヒターの作品<アブストラクト・ビルト>は2012年の競売にて当時存命の画家としては史上最高額の約26億9000万円で売買されたという凄い画家である。また聞きで恐縮だが、美大生はこぞってリヒターのような作風の作品を作ろうとする、なんて話も聞いたことがある。
 念のため簡単な経歴も記しておこう。リヒターは1932年にドイツのドレスデンに生まれ、第二次大戦後はしばらく東ドイツで暮らしてきた。ドレスデン芸術大学で基礎的な画法を身につけたあと、妻子と共に西ドイツに移住し、デュッセルドルフ・アカデミーで学び直しながら展覧会を行なっていった。フォト・ペインティングやアブストラクト・ペインティングと呼ばれる前衛的な手法で作品を制作しており、2022年現在なお世界的画家としてのキャリアを歩み続けている。

 しかしこうした話では、リヒターが何者かを語っているかのようで、その実何一つ語れてはいない。
 例えばマネやピカソだったらまだ良かっただろう。印象派やキュビズムなどのカテゴリーとそれがどういうものかという説明、<積み藁>や<泣く女>など代表作品を示せば、もちろんそういった手法をとる以前の作品やそのカテゴリーから外れるような多少の作品もあろうが、全体像としてその画家が何者なのかはわかるだろう。
 しかしリヒターはそうはいかない。リヒター はあまりにも多くの、ややもすると以前とは真反対にも見えるスタイルで描き続けている画家なのだ。写真をもとにした具象的な作品を描いたかと思えば極めて抽象的なスタイルを取ったり。色彩豊かな作品を描いたかと思えば、グレイ一色の作品を描いたり。もはや絵画ですらないガラスのオブジェ作品や聖堂のステンドグラスの制作をしたり。リヒターの手法はあまりにも多岐にわたるのだ。もちろん個々の手法がどういうものなのか語ることはできる。しかしその一つ一つを見ていっても、じゃあリヒターはどういう画家なのかというのは一向に見えてこない。あるいはその手法の数だけ、リヒターにはブレイクスルーがあり、その度に過去の作品群とは全く断絶した作品を描いてきたのだろうか。もちろんそういう解釈もできるかもしれない。しかし私はそのような立場はとらない。リヒター自身もアミーネ・バーゼによるインタヴューで次のように語っている。

■ あなたは人々をいつも当惑させてきました。まず作品のなかには、もはや写真とほとんどみわけがつかない絵画がありますし、また、他方では作品どうしにすぐ見てとれるような関連性がないからです。一九六四年≪雄牛≫、六六年≪十二の色彩≫、六八年≪縞模様≫、七一年≪断片≫、七ニ年≪四十八の肖像≫、七五年≪グレイ・ペインティング≫、そして七七年以降は、アブストラクト・ペインティング、雲の絵に、風景画に、椅子に、トイレットペーパーに、≪ティッツァーノによる受胎告知≫です。なぜこんなにテーマやスタイルが多様なのですか?
R でも今あげられたのは、かなり長い期間にわたっていますから、一つのテーマには三、四年かかっていることになって、それだけの時間がたてば、なにかべつのことができるのではないかと、ある程度は思いいたるものでしょう。それに作品が多種多様であるといっても、それは表面的な相違であって、根本的な問題意識はつねに同じです。
『増補版 ゲルハルト・リヒター写真論/絵画論』P33

こうした彼自身の言葉を導き石として、本稿はそのバラバラな手法で描いてきたリヒターがいったい何者なのか、彼の歩みを一貫した視点で捉えようとする試みである。

あまりにもさまざまな意匠

 ゲルハルト・リヒターの全体像の把握の難しさを理解するために、本節では実際にリヒターのさまざまな、本当にさまざまな意匠を確認していこうと思う。

フォト・ペインティング
 フォト・ペインティングとは文字通り、雑誌や新聞、書籍に載せられた写真や、リヒター自身の私的な写真をカンバスの上に投影させ、それを絵の具で書きうつした作品のことである。突如は極めて写真的な作品として理解されていたが、部分的に薄く絵の具を塗ったり、あえて全体にぼけみを出したりなどの操作をしていることもあり、今日的な視点で見ると極めて絵画的だといえるだろう。

<モーターボート>1965
<トイレットペーパー>1965
<エマ(階段上のヌード)>1966

カラーチャート
 カラーチャートとは、画材屋に並ぶ色見本のことである。リヒターは色をランダムに配置することによってそれ自体を絵画として打ち立てた。こうした作品はのちに東西統一後のドイツ連邦議会議事堂に設置されたりやケルン大聖堂のステンドガラスに活用されたりと、公共空間に並べられることもしばしばだ。

<4900の色彩>2007
<大聖堂のステンドグラス>2007
<黒、赤、金>1999

グレイ・ペインティング
グレイ・ペインティングとはより無個性を強調してカンバス一面をグレイで塗り固めた作品だ。だからと言って、もちろん何の特徴もないわけではなく、さまざまな筆致によってそれぞれの作品が描かれている。

<グレイ>1973
<グレイの縞模様>1968
<グレイ(樹皮)>1973

アブストラクト・ペインティング
アブストラクト・ペインティングとは、多様な色彩で、多様な筆致を持って一枚のカンバスが仕上げられた極めて抽象的な作品群である。大小さまざまな筆や大きな木の棒で、偶然のままに時に掠れさせながら絵の具を塗りつけ、時にはそれをキッチンナイフなどで削り剥がす。それを繰り返す中で、リヒター自身が納得のいく出来になった時、ひとまずの完成と相なる。

<アブストラクト・ペインティング>1992
<アブストラクト・ペインティング>2016
<ビルゲナウ>2014


ガラス作品
 リヒターはさまざまなガラスの作品も制作しているが、これは紛れもなく絵画の一容態として位置付けるべきだ。ガラスはそれ自体であり、その奥のものも透かせ、また対峙するものを反映する。また、これはカラーチャートやグレイ・ペインティングとも関係するが、背景に色付きの顔料が平面的にあれば、それはれっきとした一種の鏡になる。

<8枚のガラス>2012
<鏡、グレイ>1991
<豊島のための14枚のガラスー無用に捧ぐ>2015

 以上、代表的な手法を5つ紹介させていただいた。このほかにもオイル・オン・フォトやアラジンなどのさまざまな描き方をしているが、今見たものだけでもリヒターがあまりにも多様なアプローチを試みており、その全体像把握は極めて困難だということがお分かりいただけたことだろう。

現代絵画をめぐる二つの死

 さて、こうしたリヒターのさまざまな作品群の統一的理解のために、ひとつの補助線を引こうと思う。それはリヒターがこうした絵画を描く背景となる歴史的状況である。
 もちろん、特に現代の絵画はとても複雑で、単純な図式を示すのは難しい。だからここではリヒターを語る上で重要になると思われる二つの潮流について述べるにとどめておこう。

 一つは、社会主義国での社会主義リアリズムに代表される、イデオロギーの物語に奉仕する絵画だ。
 社会主義リアリズムとはいったいどんなものか。第二次世界大戦後すぐに、東西冷戦が始まり、ソ連をはじめとする東側では、西側のモダニズム芸術をブルジョワ的だといって非難し、伝統的な技法で来るべき社会主義の勝利を描くことで民衆を鼓舞することを目標にした芸術に対するイデオロギーだ。
 こうした政治化した芸術の問題は決して東側だけの問題ではない。68年の反戦運動、学生運動に代表されるように、西側諸国でも自国の権威主義への批判が高まりつつあり、アートシーンでも政治化が叫ばれていた。事実リヒター自身も、ヨハン・シュトルスフェによるインタヴューで次のように語っている。

■ 一九八一年、デンマークの画家ペア・カークビーは、ゲオルク・バゼリッツについて、次のように書いていました。「あれは六〇年代のおわりでした。だれがまだ、あのころの芸術的な趨勢を覚えているでしょうか。絵画はほとんど不可能になり、純粋な絶望が我々をとらえました。タブー視された絵画から手をひくことができなかったのですからね。その良心の呵責からは、ありとあらゆるいいわけがでてきました。日曜日だけ描く、左手だけで描く、絵を逆さにする。」六〇年代当時、あなたも同じ問題を体験されたでしょう。それをどのように解決したのですか?
R たんに描きつづけました。そういう反絵画的な雰囲気があったことを、よく覚えていますよ。六〇年のおわり、アートシーンの政治化が始まりました。そこでは絵画は、なんの「社会的意義」ももたない、つまりブルジョワのすることだったので、タブーとされていました。
『増補版 ゲルハルト・リヒター写真論/絵画論』P110

要するに、絵画それ自体ではとるに足らないもので、政治的目的を伝達するための手段として活用されるべきだという潮流ができたのである。

 もう一つは、写真やマルセル・デュシャンのレディメイド(既製品)による絵画の死の宣告である。
 写真については殊更あらためて云々する必要はないだろう。フランスの画家、ルイ・ダゲールのダゲレオタイプから始まった写真は、技術的な発展とともに格段に必要な露光時間を短くしていき、一瞬で、簡単に、正確に事物を写し取ることができるようになった。これは事物の写実的な描写を試みるタイプの絵画にとっては脅威だった。リヒターも上に引いたインタヴューで語っている。

■ 写真家がポートレイトを撮ることによって、画家の競争相手として登場したということですか?
R 絶対にそうです。そしてその競争の範囲はとても広いのです。写真はあらゆる分野の映像をあたえてくれますからね。しかも迅速に、安く、そしてなによりも実に完璧で信頼があるから、この点で絵画の劣勢は救いようがありません。
『増補版 ゲルハルト・リヒター写真論/絵画論』P34

 また、こうした写真の登場に加えて、マルセル・デュシャンのレディメイド(既製品)についても述べておく必要がある。デュシャンはダダイズムの画家だあったが、1917年のニューヨーク・アンデパンダン展にて、既製品の男性用小便器に「リチャード・マット」という偽の署名をして、芸術として展示して大きな波紋を呼んだ。デュシャンはなぜそんなことをしたのか?デュシャンはニューヨーク近代美術館での講演で、絵の具のチューブがレディメイドであることに言及することで「世界中のすべての絵画は『手を加えたレディメイド』」に過ぎないと言い放った。要するにレディメイドに署名して展示することで、絵画をはじめとする芸術作品に暗黙の前提とされた作者の独自性をコンセプチュアルに否定したのである。

マルセル・デュシャン<泉>1917

 こうして見てみると写真やレディメイドの登場は、絵画が物事自体を描写することも、それによって画家の何らかのメッセージを伝達することも不可能にしてしまったのである。

 もちろんこうした二つの状況は必ずしも二者択一だというわけではないことは言い添えておかなくてはない。しかしここではざっくりとリヒターの問題意識と近づけて次のようにいってしまおう。つまり一方には事物を描くという絵画の機能は写真に取って代わられ、ある一つのメッセージを伝達するという絵画の機能はその欺瞞性をレディメイドによって指摘されてしまう。他方で絵画のメッセージの欺瞞性に目を瞑って、むしろ政治の変革という美名のもとに、人々を駆り立てるために描かれる絵画がある。後者の立場で絵画を描き続けることは絵画の手段化に他ならず、画家の自由は拘束される。またいくら高邁な目的を喧伝したところで、そのメッセージが欺瞞に他ならないことからは決して逃れることはできない。しかしだからと言って前者の立場を取れば、もはや絵画を描くことはもはや不可能である。
 こうした閉塞的な状況下から、リヒターは絵画を描いていかなくてはならなかったのだ。

現代絵画の「描き方」の問題

 ではリヒターは一体どうやって描き始めたのだろうか。さまざまな模索をしてきたリヒターが到達した最初の到達点がフォト・ペインティングであった。
 しかしここで2つの疑問が浮かぶかと思われる。第一に、それがどうして絵画の死の状況を回避する手立てとなるのか。そして、それがその後のリヒターの歩みとどう関係するのかということである。この2つの疑問への解は、密接に結びついているため、順に回答していこうと思う。
 まずは一つめの疑問から。第一の絵画の死たるイデオロギーの奉仕については、問題ないだろう。リヒターは写真に写し取られたものを絵画に映し取ることによって、なんらのイデオロギーを回避して描くことができる。リヒターは1986年に書いたノートの中でこう書いている。

なにを描くべきか、いかに描くべきか?この「なに」がもっとも難しい。それが本来のことだからだ。「いかに」は比較的やさしい。「いかに」からはじめるというのは軽薄だが、正当である。「いかに」を応用すること、つまり技術と、素材の条件を、自然の条件のように応用すること、、つまり創作意図にあわせて利用すること。意図ーなにもつくらない、アイディアなし、コンポジションなし、対象なし、形式なし、……それでいて、すべてを維持するーコンポジションも、対象も、形式も、アイディアも、映像も。すでに青年時代、私はある種の素朴さから「テーマ」(風景や自画像)をもっていたけれども、いかなる主題ももたないというこの問題をすぐに感じとった。もちろんモティーフを選んで、それを描写していたが、それは本当のモティーフではなく、たいていは月並みで人工的なにせものだと感じていた。なにを描くべきかと問うと、自分の無力がいやというほどわかって、しばしば私は凡庸なアーティストたちがもっている「関心ごと」を羨んだ(今でも羨ましい)。その関心ごとを、彼らは辛抱強く凡庸に描写するのである(だから基本的には私は彼らを軽蔑しているのだが)。
 一九六二年、最初の解決策をみつけた。写真を描きうつすことによって、主題選びや主題の構成から解放された。たしかに写真を選ばなければならなかったが、主題へのかたよりを避けるように選ぶことができた。つまり、あまり主題のない、反時代的なモティーフの写真を選んだのだ。こうして、写真をとりあげ、いささかの変更もなく、現代的なフォルムへの翻訳(たとえばウォーホルがしたような)もしないで描きうつすこと、それはすでに主題の回避であった。
『増補版 ゲルハルト・リヒター写真論/絵画論』P260

つまりリヒターは主題、広い意味でのイデオロギーを回避するために写真を書きうつすという「描き方」を方法論的に採用したのである。

 そう「描き方」である。これこそがリヒターの全作品を貫くであろう一つの統一的視座である。フォト・ペインティングにせよ、カラーチャートにせよ、グレイ・ペインティングにせよ、アブストラクト・ペインティングにせよ、まずあるのは「写真をそのまま描きうつす」、「さまざまな色のパネルを組み合わせる」、「カンバスをグレイ一色で塗る」、「多様な色彩を多様な筆致で描く」といった方法論なのであり、システマティックな手法をさまざまにスライドさせつつ作品を作り続けるのがリヒターなのだ。
 そのことがよくわかるのがストリップというシリーズである。ストリップとはアブストラクト・ペインティングをスキャンし、それを繰り返し分割したものを縦に並べて横に引き伸ばしてカラフルな色彩の帯にした作品である。ここにはもはや画家の痕跡は全くといっていいほど認められず、あるのはただ方法論である。そしてそのシステマティックな方法論だけで絵画ができてしまうのだ。

<ストリップ>2013〜2016

このように絵画の主題を回避するために、リヒターは「描く方」をこそ問題にしたのだ。

しかしこれだけではまだ問題が残っている。一つは本当にリヒターが政治的な意図から自由に描いているといえるのか、という問題である。そして仮にイデオロギーから自由だとしても、リヒターは写真と、そしてレディメイドの立場とどう違うのかという点である。以下2節でそれらの問題にそれぞれ議論を進める。

リヒターは政治的?:イデオロギー読解の試みたち

 実のところリヒターの政治性を強調する議論はしばしば取り沙汰される。例えばアブストラクト・ペインティングの一つ<ビルゲナウ>連作がその代表の一つである。
 <ビルゲナウ>連作はホロコーストというモティーフに基づいて描かれた絵画連作である。しかし絵の前に立ってみても、背景事情を知らない人は決してホロコーストをモティーフに描いていることなど分からないだろう。しかしホロコーストがモティーフであることに間違いはない。4枚の作品はそれぞれ初めはアウシュヴィッツ強制収容所で撮影された写真のフォト・ペインティングとして始まった。しかし出来た絵が元の写真の迫真性を超えられないと感じたリヒターはそれを塗りつぶし、写真の痕跡を完全に消し去り、アブストラクト・ペインティングとして成立させたのである。

1944年夏にアウシュヴィッツ強制収容所でゾンダーコマンド(特別労務班)によって撮影された写真

 それだけではない。リヒターはそのキャリアでしばしば、政治的な事件を描いた作品を発表している。第三帝国時代にナチスの優生学プログラムの指導的地位にいたヴェルナー・ハイデが1959年に警察に出頭した際の新聞写真をもとにした<ハイデ氏>や、大戦で戦死したドイツ軍人の叔父の姿を幼少期のイメージのまま描いた<ルディ叔父さん>、過激化してテロリズムに走ったドイツ赤軍の人々を描いた連作<1977年10月18日>、アメリカ同時多発テロで旅客機がぶつかり黒煙の上がるツインタワー・ビルを描いた<9月>などがその例として挙げられよう。

<ハイデ氏>1965
<ルディ叔父さん>1965
<射殺された男1>1988
<9月>2009

 こうした政治的なモティーフを扱った作品群からか、従来は主題に重要性もなく無差別に選ばれていると考えられていたその他のフォト・ペインティングなども、同様に政治的な意図に基づいて選ばれているとの主張も生まれてきた。例えばディートマー・エルガーはリヒターの評伝の中でフォト・ペインティングの選定について次のような説を唱えている。


 こうした物語が曝露するのは、幸せな家庭というファザードが崩れだしており、小市民的幸福を願ったところでそれは誤った希望だということである。悲劇なのは、ほぼすべてのケースで犯人が身内の人間であることだ。家庭、それは安心の住処で、夫婦円満あるいは子供と仲良く暮らす幸せの居場所ですーそういうものは、リヒターの目には疑わしく映るのである。疑う代わりに、リヒターは小市民の円満な家庭生活という偽りのイメージを演出する。描かれたモチーフの悲劇的背景を臭わせる要素をすべて覆い隠し、広告会社がプロフェッショナルに設えた偽りの楽園をそのまま採用するのである。不完全で悲劇的な現実の日々と、希望に満ちた私的生活のユートピアのあいだの矛盾こそが、リヒターの作品に緊迫感を与えているのだ。
ディートマー・エルガー『評伝 ゲルハルト・リヒター』pp146-147

なるほどこれは<モーターボート>や<ルディ叔父さん>、あるいは後の<ビルゲナウ>連作などを見れば悲劇的現実を塗り潰し、表層的幸福を、表層的なままに描くという要素は確かにリヒターに見出せるかもしれない。それに充分意義深く面白い解釈だとは思う。

 しかし完全に納得はいかない。そうした要素は例えば<トイレットペーパー>に見出そうとしてもかなり無理がある。またリヒターのカラーチャートや多くのアブストラクト・ペインティングなどの多様な作品にそれをみるのは不可能だろう。
 であるならやはり私としては、リヒター自身の証言を信頼したい。リヒターはなんと言っているのか。ベンジャミン・ブクローによるインタヴューで次のように語っている。

■ では、選択基準ははっきりしていたわけ?どのように写真を選んだの?
僕自身の現在がうつっている写真を探したんだ。つまり、僕に衝撃をあたえた写真を。それから白黒写真を選んだ、というのも、カラー写真よりも強くうったえかけてきたからね。白黒写真はずっと直接的で、芸術的でなくて、だから信じられる。それで素人写真や、陳腐なものを撮った写真や、スナップ写真のほうを好んだ。
『増補版 ゲルハルト・リヒター写真論/絵画論』pp54-56

これは極めてシンプルな回答だ。つまり写真を選定している以上、間違いなく作為性は否定できないものの、自分が衝撃を受けた写真を選んでいるだけで、そこに確かに一定傾向性はあるかもしれないが、決してイデオロギーの伝達ではないのである。
 そうである以上、政治的な事件をモティーフを描いているとしても、それは社会的・政治的な意味以上に、個人的な体験として衝撃を受けて描いたものに過ぎず、そこにイデオロギカルな意図は見出すべきではないだろう。
 リヒターは<ビルゲナウ>を描き終えた後、次のように語っている。邦訳がおそらくないので、孫引になるが引用しよう。

≪ビルゲナウ≫を完成させた後、私は自分が自由になったと感じました。私は全てを片付けた、もうなにを気にする必要もない、自分が楽しいことをする。楽しんでいい、絵を描く喜びをまた認めよう、と。こうして一連のカラフルな新作群ができたのです。
ディートマー・エルガー『評伝 ゲルハルト・リヒター』pp362-363

 リヒターがホロコーストについて描かなければならないと言う意識を持っていたのは間違いないだろう。しかし私はむしろ、それを描き終えた後の、彼のアブストラクト・ペインティングなどの作品に現れる自由と歓びこそ彼の本質なのだと感じる。

全体性と無限


 次のトピックの方がずっと厄介な問題のように思える。なぜならリヒターの作品はややもすると、リヒターはその作品に写真を活用しており、また極めてレディメイド的な、少なくともそう見える作品だと捉えられうるからである。初期のフォト・ペインティングから始まり、カラーチャート、あるいはガラスの作品など、作者という個人に否定線を引き、事物をそのまま示すやり方はまさしく写真的、レディメイド的だ。しかしもしそうだとすれば、リヒターの画家人生は壮大な蛇足にすぎないことになるのではないか?
 しかし少し立ち止まって考えてみよう。なぜリヒターは写真を描かなければならなかったのか?リヒターの作品をみても、仮にレディメイドの複製をし続けることを考えていたなら、それこそカラーチャートやガラス作品などをつくり続けるなど、必ずしも画家である必要などないように思える。それなのになぜ描がなければならなかったのか?ここにレディメイドとリヒターの違いというものをはっきりと描き出せるように思える。

 まず最初に触れておきたいのは、写真との関係である。リヒターは写真と絵画の違いについてヨナス・シュトルスフェによるインタヴューで次のように述べている。

■ あなたの仕事のなかで、写真はいつも重要な役割を果たしてきました。あるときはモティーフとして、またあるときは、以前のフォト・エディションや、最近の一九九〇年の自画像におけるような、独立したメディアとしてもです。あなたの仕事のなかで、写真はどのような意義をもつのでしょうか?写真は絵画と同じ価値をもつのでしょうか?
R なんにせよ、同じ価値をもつことなどありません。写真が自分にとってどんな意義をもつか、深く考えたことはないですけどね。絵画は映像の形式だ、とまあいえるでしょう。映像とは、映されたイメージであり、絵画とはそれをバラバラに分割するための技法なのです。さて、一方に絵画があり、他方に写真があります。写真とは映像そのもの、映像自体です。写真には、なんの現実性もありません。それはたんに映像なのです。それにたいして絵画には、つねに現実性があります。絵の具に触れることができますし、それは現前しています。でも写真はつねに一つの映像をあたえるだけです……よしあしに関係なくね。理論はなにももたらしません。私は小さな写真を撮って、その上に絵の具を擦りつけました。写真についての問題はそこに集中的に表れています。私がなにかあれこれいうよりも、この作品のほうがずっといいし、優れています。
『増補版 ゲルハルト・リヒター写真論/絵画論』P115

リヒターは写真は現実的なものではなく一つの映像、イメージだと言う。その写真を描くと言うことは、絵の具を擦りつけることは、現前するものとして現実的なものとすると言うことなのである。

 これでひとまずはリヒターがあえて写真を描く意味がわかった。しかし一方でますます、現実的な物を展示するというレディメイド的であることになりそうだ。
 たしかにリヒターがデュシャンに、レディメイドに影響を受けたということは間違いない。しかしだからと言って彼の作品がレディメイドの再生産であるというわけでは必ずしもない。なぜならリヒターのフォト・ペインティングには、明確にデュシャンへの反抗的要素が表れているからである。その例が<トイレットペーパー>と<エマ(階段を降りるヌード)>である。
<トイレットペーパー>ではレディメイド<泉>が男性用小便器を芸術だということに対しての皮肉としてトイレットペーパーを主題として描かれた。また<エマ(階段を降りるヌード)>は、デュシャンがラディカルに運動を静止したカンバスに描きその後に絵画の終わりを宣言した<階段を降りるヌード>に対して、「ある特定の描き方がかたづけられてしまうというのは、納得がいかなかった」として反抗して描かれた「因習的ヌード」の作品である。

マルセル・デュシャン<階段を降りるヌード>1912

 ではいったいリヒターは、デュシャンのレディメイドをどのように捉え、そこから自分の作品をどのような方向に持っていこうとしたのか。ここにそれがよくわかるノートがあるので引用する。

レディメイドの発明は、「リアリティ」の発明であるように思う。つまりそれは、世界を描写してある映像をつくることではなく、リアリティこそが唯一重要なことがらなのだという、決定的な発見なのである。それ以来、絵画とはもはや現実を描写するものではなく、現実(自分自身をつくりだす現実)そのものとなった。そしていつか時がくれば、その現実も否定されて、もっとすばらしい世界の映像を(あいもかわらず)つくりだすことが再び問題となるだろう。
『増補版 ゲルハルト・リヒター写真論/映画論』P269

リヒターはレディメイドによって現実そのものとしての絵画が重要になったと語る。ここまではまあいい。しかし将来的には再び映像をつくりだすことが問題になると語っている。この未来予想には「あいもかわらず」と否定性をもって語られているように思われる。「映像」といえば、写真についても「映像自体」であると語られていた。ようするに将来的に写真以前同様にまた、特定のイメージを描写することが絵画にとって重要になってしまうと言うのである。
 ここで再び整理しよう。リヒターはイメージ自体としての写真とは違うものとして現実的な絵を描き続けた。一方で現実自体であるレディメイドには反発を示している。
 ではいったいリヒターはなにを描いているのか?やはり手がかりはフォト・ペインティングにおける、描写を妨げるボケみや絵の具の塗り付けと言う操作が重要になってくるだろう。フォト・ペインティングの操作がどう言う効果を持っているのか、それは写真の持っている具象性、イメージへの取消線としての機能である。単に写真に現実性を持たせたいだけならそうした操作は不要だ。写真をそのまま描けば現実性+イメージというレディメイドができる。しかしリヒターはそこに取消線という中途半端な打消しを行った。それは絵画を描く方法論から完全な取消はできないといえばそうだが、こうした操作によって単一のイメージを算出するわけでも、全くイメージを持たないわけでもない開かれたイメージの絵画が産まれるわけである。ここにレディメイドとの違いがある。
 こうしたことはその後の更なる抽象化したレベルの作品群でも同じことが言えよう。リヒターはロバート・ストアによるインタヴューでかたっている。

■ つまりアブストラクト・ペインティングのなかにイメージの連想や暗示を読み込むのは許すが、具体的な図像がみえてはならないのですね。
R 具象ではないのですから。私はただ、我々にはそれ以外の見方はできないと強調したかっただけです。絵画を面白いと思うのは、そこに見知ったなにかに似たものを探すからにほかなりません。なにかをみて、頭の中のなにかとくらべ、なんに関連しているかをみいだそうとする。たいてい、類似のものをみいだすので、それを名づけます。テーブルとか、毛布とかね。類似のイメージがなにもみいだせないときは欲求な満たされないので、神経は興奮しつづけ関心も持続し、やがてあきると我々は絵のそばを離れるのです。ブクローとの議論で私がのべたのはこういうことでした。マレーヴィチだろうがライマンだろうが同じです。そういうふうにしかみるほかない。マレーヴィチの≪黒い正方形≫の解釈は好きなだけあるでしょうが、作品は一つの挑発でありつづけます。挑発されたあなたは対象を探し、なにかをみいだすでしょう。
■ 芸術家が、そこに特定の対象が描かれていると実際に指示したり、なにかが描かれている可能性をほのめかして我々をじらしているのか、あるいは、そういうイメージは存在せず、なにかがちえたとしてもそれはその再現=表象ではない、と我々にはっきり知らせるのか、このちがいは重要ですよ。
R 絵をみる行為はどのように機能するかにこだわりたかっただけです。基本的には我々はいつも、絵画がなんらかのみかけに結びつく、その関係を同定しようとする。これは特定の主題を再認するということではありません。
■ なしかにレオナルド・ダ・ヴィンチら天井の木目に人の顔をみることに言及していました。たぶんそれは人間の基本的性向なのでしょう。しかし芸術家がこの性向を奨励するか、抑止するかは抽象絵画にとって大きな問題です。
R ほとんどの画家はそれを回避しようとしてきました。でもこのメカニズムは逃れることはできない。モノクロームの表面だけとされるような絵画ですら、先に述べたような「探すまなざし」でみられるのです。そういう絵画の効果は、そのメカニズムに依存している。それ以外にどういう見方、見られ方があるのか考えつきません。
『増補版 ゲルハルト・リヒター写真論/絵画論』pp168-169

やや長くなったが要するに、リヒターは抽象絵画においても見る人は何かのイメージを見出してしまうというのである。だからこそリヒターはさまざまな描き方をシステマティックに用いて、なんらのイメージもない抽象絵画を描くことで、現実的な油の現前する現実の絵であるにも関わらず、それが具体的イメージに直結せず、むしろ見る人にとっての無限のイメージを産出するように描き出したといっていいだろう。
 このことはガラス作品ではもっと理解に容易い。ガラスは現実の物自体であるにもかかわらず、そこに透過や反射の要素が加わる。その時、その場所によって見えるイメージは全く違う。さらには数枚のガラスを重ねたり、その重ねたガラスに角度を加えることで、より多様なイメージが広がるのだ。ある意味でリヒターの絵画の要素は全てこれらガラス作品に集約されていると言っても過言ではない。

 リヒター時折、芸術が宗教であるということを述べている。次のノートの記述を引用してみよう。


芸術は宗教の代わりではなく宗教である(語の意味において、つまり「結び直す」ー認識不可能なもの、理性を超越したもの、超越した存在への「結びつき」)。これは、芸術が教会の機能(教育、人格形成、意味付与)をひきうけたということではない。そうではなく、超越性を人々が経験できるものに変形し、その変形を通じて宗教を実現するための手段としては、教会がもはや不十分になったので、芸術が、宗教を唯一完遂するべつの手段であり、したがって宗教そのものなのである。
『増補版 ゲルハルト・リヒター写真論/絵画論』P243

この言葉はリヒターという画家を端的に表していると思う。イデオロギーを排した方法論からシステマティックに、具象性に取消線を引いた抽象性のある絵画を描くことによって、見る人はその現実的な一つの絵という存在に多様なイメージを、言い換えれば超越性を、無限性を読み取ってしまう。それこそがゲルハルト・リヒターなのである。

参考文献

『ゲルハルト・リヒター』青幻社

ディートマー・エルガー『評伝ゲルハルト・リヒター』美術出版社

『増補版 ゲルハルト・リヒター写真論/絵画論』淡交社

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