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DQ7のゲーム配信を通じ、改めてレブレサックの村のイベントを見返して思ったこと

ドラゴンクエストよりFF、FFよりロマサガ派な僕ですが、DQ7だけは結構やってました。まるです。

↑のリンクから飛べるホロライブの鷹嶺ルイさんが配信されていたバックナンバーをアーカイブで流しながら作業していたのですが、昔やったころの記憶で一番キツかったストーリーに差し掛かったので、改めて観返す機会があって、結構印象変わりました。

自分が備忘録として残しておきたくて、noteにザクザク殴り書きしようかなと思い立っただけであるため、レブレサックのストーリーについては割愛します。
多分初見とか斜め読みでストーリー読むと明確に「こいつらが悪い」と言えてしまう、ひでえ話です。

大人になってから見ると、本当に印象変わりました。
具体的には、過去編の村人へのヘイトがほんの少し和らいだ気がします。

僕の印象が変わったきっかけになった、レブレサックを出ていこうとする神父のセリフは以下の通り。

「ここは良い村でした。村人もみなよい人ばかりでした。私は忘れますまい」
「あなた方が村を救って下さった。本当になんといってよいやら」
「おしゃべりはこれくらいにしましょう。なごりおしくなる」

DQ7 レブレサックの神父の台詞より抜粋

大前提として、主人公パーティー(≒プレイヤー自身)がこの村で過ごした時間よりも、神父がこの村で過ごした時間のほうが長いんです。
神父は優しかった頃のレブレサックの人達を知っているだろうし、愛する故郷だからこそ守らねばと、魔物退治にも同行したのでしょう。
そして、仲間を魔物に屠られ、残ったのが神父だからこそ、村の人間を食われないために、魔物の取引に応じたんだろうなあと思います。
村人の精神が魔物の支配でしっかり疲弊し、恐怖し、病み散らかしているのも神職なら理解するでしょう。

村人も神父を村の仲間だと思っていたと考えると、仇ともいえる『魔物』が神父の格好して教会に居座り始めるのだから、憎悪で狂うのは仕方がないようにも思います。

正直「生きてりゃエエのになんで神父は村もどったん?」って感じなんですが、ボスの台詞も加味すると『魔物の姿で村に戻り、生活しないと村の人間を食い散らかす』くらいの脅され方はされてそうな気がします。

学生の頃に一度プレイしたとき「ここの村しんどい!」と思った僕でしたが、当事者でない主人公たち(≒プレイヤー視点)から村人を悪いと断ずること自体は自然だと思います。

でも、追い詰められた村人の感情に視点を寄せたことはなかったなと思いました。

今改めてレブレサックのストーリーを見て、良くも悪くも人間のドラマだなあと思うと同時に、ドラクエ7ってすごい重厚なゲームだったんだなあと思います。

このストーリーの善悪やらを一々議論するつもりはありません。
多分全員の共通解はなく、善悪の概念は人それぞれ違うものだから。

いかなる苦しみの時も
いかなる悲しみの時も
いかなる時も
人を信じ 人を愛せ

DQ7 レブレサック教会の机上のメモ書き

そういう心の余裕が持てない時が僕にもあるので、
そう自覚したときは、ちゃんと休もうと思います。

そんなホロライブの「ハッハー!」枠女幹部のルイさんですが、シドのモノクロのキスのカバーが結構よかったので載せておきますね(このころのシドも好き)

ルイさんの歌と原曲が喧嘩してない良いカバーだと思いました。

最近この時間はもうすっかり眠くて、左目が空いてません。
そろそろ寝床に行こうと思います。

が、最後に一言。
僕のホロライブの最推しは大空スバルさんです。

それではそれでは、おやすみなさいー。

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